第十一話『サプライズ』

「ロトちゃん遅い……連絡はないし、いつ帰って来るんだろう……」


 仄音は炬燵でだらだらと寝転び、スマホを弄りながら呟いた。

 プレイしていたゲームはクリアし、長い時間ニートを満喫しているのだが、何時まで経ってもロトは帰ってこない。


「最近、特撮にハマっているようだし、何かあったのかな……」


 ロトは熱狂的なファンだ。そして、天使故か頭のネジが抜けている。神仮面ファントムセイバーのグッズを買い占めてきても何も可笑しくはない。

 折角だから押し入れにある変身玩具でも取り出そうかと仄音が思い立った時、ぐぅーという間抜けな音が鳴り響いた。


「お腹空いた……」


 現在の時刻は夜の十二時だ。昼食を摂ってから何も食べていない仄音の腹は鳴いている。


「今日の晩御飯はオムライスかなぁ……先に食べても――いや、待った方が良いよね」


 冷蔵庫の中身を思い出しながら献立を考え、今から料理して先に食べようかと思ったが止めた。

 今から料理するとロトは冷たいオムライスを一人で食べる事になってしまう。いや、それならロトの分だけ後で作れば良い話なのだが、それはそれで悲しいだろう。やはり二人一緒に食べる夕飯の方が美味しいのだ。


「……いや! それにしては遅いよ!」


 慮った仄音は思わず起き上がって、炬燵を叩いて八つ当たりする。

 しかし、いくら叫ぼうが、苛立ちを積もらせて八つ当たりしようが、ロトが帰ってくるわけではない。ただ虚しさが残るだけだ。


「はぁ、待つしかないよね……ん?」


 静寂とした部屋の中に響くのは微かな音。パソコンのモーター音でも、近所の公園からでもない、それは隣の部屋。つまり空室から発せられていた。


「ロトちゃんの声? 誰かと喋ってる?」


 じっと聴いていると話し声のようだろう。

 誰もいない筈なのに……と、不思議に思った仄音はそっと壁に耳を当て、盗聴し始めた。


『ちょ――そこ――あか――』


『いいじゃない――くる――』


 壁越しだけあってよく聞こえない。しかし、誰と誰が話しているか仄音には分かった。


「え? ロトちゃんとアリアさん? どうして……」


 どうやら隣の部屋にはロトとアリアが居るようで仄音は訝しく思う。

 連絡もしないで夜遅くまでアリアと遊んでいるのか? 自分は仲間外れなのか……

 悲しみの気持ちがふつふつと積もり、気持ちがどんどんと沈んでいくのに比例して、ロトへの不信感が深まる。


『ちょ――ほん――』


『あな――す――き――』


 壁越しに聴こえたのは途切れ途切れだが、断片的なものを繋ぎ合わせるとまるでロトがアリアを襲っているように聴き取れるだろう。


「な、ななななななななななななな……!」


 仄音はこれ以上にないほど動揺して、顔を真っ赤にさせた。

 帰りが遅いロトはアリアと逢引していた。それも今、隣の部屋で享楽に耽ろうとしている。自分はお腹を空かせて待っているというのに……

 仄音とロトの関係は一言で表せない。天使と悪の欠片を宿す人間の関係であり、家主と居候の関係でもあり、友達でもあった。

 ロトが誰とどういう関係になろうが、何をしようが、仄音には関係ない事だ。しかし、胸が抉られたかのような疎外感を覚えてしまう。約束をした訳でもないのに裏切れたと思った。

 ショックから眩暈がした仄音は居ても立っても居られずに隣の部屋に突撃――しなかった。


「もういいもん……ロトちゃんなんて知らないから……」


 ヒキニートという内気な仄音がとった行動は不貞腐れて眠ること。つまりは不貞寝だった。頭の中を闇がぐるぐると巡り、昼夜逆転を恐れていなかった。



 ――ドカーン!



「な、なに!? 爆発!?」


 不貞腐れていた仄音の耳朶を打ったのは爆発音。轟音と共にアパートが震え、壁には大穴が開通された。咳き込んでしまうような砂埃が舞い、視界が煙たい。


「ちょっとロト! 普通にドアから行きなさいよ!」


「インパクトに欠けるじゃない? それにしても威力が強すぎたかしら……ファントムスラッシュは危険ね」


 開通された穴から出てきたのはロトとアリアの二人。やはり隣の部屋に潜んでいたらしく、その事実が仄音をさらに追い詰めた。


「珍しい組み合わせだね。私のことでも殺しに来たの?」


 仄音から飛び出た言葉はどこか重々しい。いつもの可愛らしい声ではなく、平坦気味で棘が感じられた。

 醸し出される靉靆とした雰囲気に、ロトは心配から胸のざわつきを覚える。


「……? 今日が何の日か分からないの?」


「え? どういう――」


 反射的に身体を起こした仄音の目に飛び込んできたのは隣の部屋。そこは空室だったにも関わらず、豪華な飾り付けがされている。部屋の壁に掛けられていた『仄音お誕生日おめでとう』と書かれた看板。それだけでなく折り紙で輪を作り、連結させたカラフルな鎖が部屋を一周しており、机には三人分のコップとお皿。近くに買ってきたであろうチェーン店のピザの箱が置いてある。

 まるでパーティーのような雰囲気だろう。もしかして、と思った仄音はとんがり帽子を被ったアリアを見つめた。


「まだ分からないの? 仄音さんの誕生日よ。仕事終わりに飲みに行こうと思っていた私も手伝ったんだから感謝しなさい!」


 アリアにそう言われて仄音は全てを察した。

 ロトの帰りが遅かったのも、アリアと隣の部屋に居たのも、全て仄音を祝うためだったのだ。アリアとロトが享楽に耽っているように聴こえたのは勘違いだったに違いない。

 思わぬサプライズに、仄音は涙腺が崩壊しそうになるのをぐっと堪えた。このような事は生まれて初めてで、自分には一生縁がないと思っていたことだ。


「そっか……十二時を超えたから私の誕生日……」


「そうよ。だから、こう言うべきよね」


 ロトは仄音の華奢な手を取り――


「お誕生日おめでとう、仄音……」


「おめでとう……不服だけど……」


「ロトちゃん、アリアさん……ありがとう……」


 仄音の真摯な言葉に、天使たちは顔を綻ばせる。

 それから楽しい誕生日パーティーが始まったのだが、勝手に隣室を使っていることを指摘するのは野暮なのだろう。と、仄音は楽しむことを優先した。

 因みに壊れた壁はロトの修復魔法によって直された。






 談笑やアニメを見たりしながらケーキを平らげ、無事に誕生日パーティーが終わった。時間にしたら二時間ほどで、仄音は満足で爽快な気分だった。飛び立つアリアを見送って、きちんと玄関から自分の家へと戻った。そして、パジャマに着替えて就寝準備に入る。


「もう夜中の二時ちょっとだし、そろそろ寝ないとなぁ……」


 仄音は二階の布団でダラダラとスマホでソシャゲを楽しみ、下ではロトが真新しい布団を敷いていた。

 その服装は魔法少女のような天使の正装ではなく、仄音とお揃いのパジャマだ。

今までロトの寝間着はドレスだったが、寝づらいに決まっている。そこで布団を購入するついでに仄音と同じ淡いピンク色のパジャマを購入したのだ。


「仄音? ちょっといいかしら?」


 まだ汚れ一つないシーツの上で正座をし、膝に乗せた小さめの紙袋をぎゅっと握ったロトは上にいる彼女に話し掛けた。


「ん? どうしたの?」


「その……今日は一緒に寝てもいいかしら?」


「え……それって私と同じ布団で眠るってこと?」


 二階であるロフトは狭く、布団を二枚敷けるか、敷けないか、ぎりぎりのラインで、それならば同じ布団で寝ると考えるのが普通だろう。

 その通りであり、ロトは静かに頷いた。


「ふ、二人で……一緒に……」


 普段使用している布団で一緒に眠る。それもスペース的に抱き締め合うかの如く、くっつかないといけない。

 狭くてもいいのか? 汗臭くないだろうか? 一緒に寝る事は構わないが、色々と不安に思ってしまう。いや、そもそも恥ずかしくて気が遠くなりそうだった。


「流石に恥ずかしいよ」


「そのくらい慣れなさい」


「でもスペース的に狭いよ? それに私って良い匂いじゃないし……」


「そんなことないわ。狭いのは気にしないし、別にいいでしょう? 最初は二人で寝たじゃない」


「あれは事故っていうか流れというかなんというか……うぅ、分かったよ」


 ロトから熱い眼差しを送られ、上手く言い訳できなかった仄音は観念した。

 許可を下りたロトは緊張感がほぐれて、少し身体が軽くなった。が、まだ問題は解決してないのでいつも以上に無口である。

 ぎこちない動作で梯子を上り切ったロトはきょとんと座り、同じ柄のパジャマを着た彼女を窺った。


「うぅ……」


 毛布を抱き寄せた仄音は恥ずかしそうに、微かに頬を赤くして、落ち着かない様子で手を弄っている。一緒に寝たのは出逢ったばかりの頃、炬燵で添い寝した時以来であり、その時とは状況が違う。

 あの時は流れでそうなったが今は違い、お互いに同意し合っての添い寝なのだ。


「その……改めて誕生日おめでとう。これは私からの気持ちよ」


 勇気を出したロトは後ろに隠し持っていた紙袋を仄音に差し出した。そう、渡せていなかった誕生日プレゼントである。

 パーティー中に渡さなかった理由は仄音の反応を独り占めしたかったからだ。


「あ、ありがとう。まさかロトちゃんから貰えるなんて……」


 誕生日パーティーの時に貰えなかったので、用意していないのだろうか? と少し残念に思っていた矢先の事である。

 突然のプレゼントに仄音は吃驚したが、物凄く嬉しかった。まだ中身を見ていないのに、ロトの祝いたいという気持ちだけで心が安らぎを感じる。


「早速開けるね! ……これは、指輪?」


 紙袋から出てきたのは黒い小箱。その中に入っていたのは二つの銀色の指輪で、側面の窪みに紫色の宝石が呻込められている。装飾はそれだけでシンプルだろう。故に高級感がある。


「あのね、貴方の誕生日プレゼントをずっと考えていたの。で、その結果がそれよ。高い指輪だと遠慮しそうだから、私が一から作ったわ。どうかしら?」


「うん、嬉しい。ロトちゃんみたいで気に入ったよ……」


「その宝石は私の魔力で作っているから……」


 魔力で生成された宝石は光に反射して、星の光の如く輝いている。ロトが創っただけに、ロトのイメージにぴったりで仄音は吸い込まれるように見とれてしまった。


「そうなんだ。ロトちゃんって機械音痴なのに、そういう面では器用なんだね」


「機械音痴じゃないわ。誰だって初めて触る物は使いこなせないでしょう?」


「いや、そうだとしてもロトちゃんは人一倍酷いと思うけど……それにしてもどうして指輪が二つなの?」


「ペアルックよ。私との……嫌かしら?」


 不安からロトは弱弱しい声で言った。一番に懸念していた事であり、緊張している原因だった。

 もしも拒絶された暁には死ねる。仄音の返答が、これからのロトの運命を分かつのだ。


「嫌じゃないよ! 寧ろ、そういうのって憧れてたから嬉しいよ!」


「本当? 無理してない?」


「してないよ! ほんとに嬉しい……」


 その返答はロトからしたら、免罪符のようなものだ。許しを得ただけでなく、寧ろ嬉しいと屈託のない笑みで言われた。

 ロトは心が躍った。霧が掛かっていた感情が薙がれ、自然と笑みを零してしまう。


「早速付けてみよっと! あ、ピッタリだよ!」


 本当に嬉しかった仄音は早速、指輪を左手の薬指に通した。そう、左手の薬指だ。無意識下で行われたことで、その意味に仄音は気づかない。

 それとは裏腹に、意味を知っていたロトは驚いたが顔には出さない。しかし指輪を凝視してしまい、教えようかと考えてしまう。


「あ、ロトちゃんにもつけてあげるね」


 その隙に仄音はロトの右手を奪い取って、薬指に指輪を通した。その行為にも意図はなく、ただ見栄えが良いように自分と同じ部位に付けただけである。


「あ……」


「えへへ、どうしたの? 顔が真っ赤だよ?」


「な、何でもないわ!」


 左薬指の指輪の意味は愛、または絆を深める。そして、願い事を叶える意味を持つ。例をあげるならば婚約指輪がそうだ。あれは互いに愛を深めるための手段の一つなのだ。

 ああ、まるで結婚しているようだろう。

 意図した訳ではない。そもそもロトは仄音に対して、そういった恋愛感情は抱いていない筈だった。それなのに茹蛸のように顔を真っ赤にして、布団を被って逃げた。


「も、もう寝ましょう? 明日に響くわ」


「そうだけど……本当に一緒でいいの?」


「もう、何度も訊かないで。ほら! 寝るわよ!」


「わわっ! 急に押さないで!」


 腕を引っ張られた仄音は布団の中に引き込まれ、そのまま寝る体勢に入った。仰向けになり、その隣ではロトも然り。二人して寝転んだまではいいが、お互いに意識し合い、とても眠れるような空気ではないだろう。

 仄音がこっそり隣を見ると仮面を付けたロトがいる。仮面の所為で目を瞑っているのかが分からない。


「ロトちゃんは……仮面を外さないの?」


「ええ……私としては外したいのだけど、上から外すなときつく言われているのよ」


「あ、そうなんだ……」


 仮面は上司が強制していたものだったと、知った仄音はあっさりと引き下がった。否、引き下がるしか出来ないのだ。ただの拘りだったら止めるが、天使、それもロトの上司が関わっているなら軽率な行為はできない。


「仄音……」


「どうしたの?」


「その……ごめんなさい……」


「どうして謝るの?」


「私は自分の気持ちが分からない。貴方を殺さないといけないのに……思えば出会った時からそうだった……私、天使失格ね……」


 珍しく弱気になっているロト。

 慰めようにもどうすればいいのか分からない。不器用な人間だった仄音はふと大切な存在が脳裏に過った。


「ロトちゃん……これ……」


 仄音は衝動的に大事な写真をロトに見せた。こうすることで話を逸らすと同時に、自分のギタリストとしての原点を知って欲しいと思ったのだ。


「写真? 仄音がいつも隠れて見ていたものよね?」


「隠していた訳じゃないよ? ただ恥ずかしかったというか……ロトちゃん? どうしたの?」


「……いえ、何でもないわ。それで、この少女は誰なのかしら?」


 ロトは写真に写る幼い仄音の隣、屈託のない笑顔を浮かべた少女を指した。


「長月深紅ちゃんだよ。私の親友……ギターを始めたきっかけも深紅ちゃんなんだ。深紅ちゃんが私の弾くギターが格好いいって、そう言ってくれたから今がある」


「そう……」


「いつか最高の演奏を聴かせる約束をしているんだけど……一体いつになるのか。ここ数年は会っていないし、もしかしたら忘れていたりして……」


 仄音は自虐的な笑みを浮かべ、ロトの腕に抱き着いた。


「でも安心して。悪の欠片が覚醒する兆しが出たら死を選ぶから……化け物にはなりたくないし……だからその時はよろしくね? ロトちゃん……」


「……ええ」


 返事をすると同時にロトは仄音に抱き着いた。


「わ、ちょ、そんなにくっつくの?」


「じゃないと布団からはみ出てしまうわよ? 風邪を患うよりはマシだから我慢しなさい」


 最初の時と同じように抱き枕扱いされた仄音の耳は赤くなり、心拍数が高くなった。

 少しでも顔を上げれば間近にロトの顔がある。薄い生地で出来たパジャマだからか、より一層ロトの体温と香りに包まれて、仄音はぎゅっと瞑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天使なリズムとHG! 劣白 @Lrete777

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ