第九話『特撮ヒーロー』

 仄音が悪の欠片の実態を目の当たりにしてから一週間が経った。

 弦を買い換え、今日もギターの練習に励む仄音だったが、やはり本調子ではない。少しでも暇があれば、脳裏に浮かぶのはアリアの言葉とあの化け物の姿。こびりついた頑固な汚れだろう。

 いっそ洗剤で洗い流せないかと、仄音が溜息を吐いた時、ロトは荒ぶっていた。


「なによ! アニメが見れないじゃない!」


「ロトちゃん? 何をして――ちょちょ私のノートパソコンをどうするの!?」


 ロトが勝手にパソコンを弄っていたことも驚きだが、それよりもムラマサぶれーどの錆にされそうだったので仄音は咄嗟に止めに入った。

 仄音にとってパソコンとはスマホよりも大切なものであり、ヒキニート生活で集めた堕落の結晶が溜まっているのだ。それを破壊されようものなら精神的にダメージを負ってしまう。


「いえ、アニメというものが気になったのよ」


「だからってどうしてパソコンなの? ロトちゃんはスマホ持っているよね?」


 ロトはきょとんとした様子で小首を傾げた。


「そうだった……この天使は情弱なんだった……」


「失礼ね。すまーとふぉんでアニメを見られるなんて知っていたわよ」


 その発言自体が如何にも情弱っぽくて仄音は苦笑いを浮かべてしまった。

 アニメに興味を持つとはロトらしからぬことだろう。そういったサブカルは嫌いのイメージがあったのだが、心境の変化でもあったのか。


 兎に角、同志が増えるかもしれないのは仄音にとっても悪い話ではない。きっとロトとアニメについて語り合えたら、素敵なことだろう。キャラクター談義、今期アニメの視聴……考えただけで涎を垂らしてしまいそうだ。

 仄音はウキウキでロトにノートパソコンを渡し、某有名サイトを開いた。ヒキニートであった仄音は俗に言うアニメ見放題のプランに入っているのだ。


「沢山あるのね」


「そりゃあね。日本を代表するサブカルだもん」


 ページいっぱいに表示されているアニメは膨大で、スクロールしても果てが見えない。

 じっくりと吟味して決めるのが一番だろう。しかし、ロトは机に頬杖を突いて、仄音に訊いた。


「仄音のおすすめのアニメは何かしら?」


「私?」


「ええ。そもそもアニメを見ようと思ったのは仄音に興味が出たからだもの」


 真っすぐな瞳で告げられて仄音は赤面する。恥ずかしがることなく想いを伝えられるのはロトの良いところであり、悪いところでもあるだろう。

 仄音は平静を装いながらパソコンを操作して、特におすすめだったものをクリックした。


「お、おすすめはこれかな」


「……これはアニメなの?」


「特撮はアニメじゃないけど、広い意味では同じだよ」


 ディスプレイには『神仮面ファントムセイバー』という文字が痛々しいフォントで描かれている。

そのパッケージは如何にも男児の興味を惹きそうな格好良いシーンだ。変身している主人公が怪人と戦っており、CGを駆使されてエフェクトが派手。どうやらリスト型の装置を使って変身するようで、手には刀のような現実ではあり得ない剣を持っている。

 ロトは眉をひそめては固い表情でモニターを睨みつけていた。


「特撮って男の子が見るものじゃない」


「甘いよロトちゃん! その考えは古い! 今の時代、女児向けアニメを男性が見て、男児向けアニメを女性が見る時代なんだよ!」


「そ、そうなの……」


 据わった瞳の仄音に啓蒙されたロトは少しだけ辟易としてしまった。


「それでも特撮はちょっと……」


 特撮と言えば正義のヒーローというイメージが強いだろう。主人公が変身して世界の平和を守る。悪い言い方をすれば大きな野望を叶えるためにコツコツと努力を積んできた悪の組織に、正義のヒーローである主人公が怒りの鉄槌を下すというテンプレだ。

 魔法少女や勇者といったものが嫌いなロトは特撮を否定する訳ではないが、特段興味がなかった。


「ま、まあ取り敢えず見てみようよ! 面白いから!」


 不服そうなロトを横目に仄音はテレビから伸びていたケーブルとパソコンを繋いで『神仮面ファントムセイバー』を再生する。プレミアム会員なので見放題なので躊躇いはなかった。





 お試しで一話を視聴した。感想は人それぞれだろうが、二人ともつまらないとは感じず、寧ろその逆であった。


「いやぁ……久々に見たけど斬新で面白いよね。押入れに仕舞っている変身玩具を取り出したくなるよ……ロトちゃんはどうだった?」


「……そうね。及第点かしら」


 澄ました表情で点数を述べたロトだが、内心は穏やかではなかった。特撮という評価が変わるほど、面白いと感じており、溢れんばかりの興味で妙にソワソワとしている。及第点というのはただの見栄っ張りだ。


 ――ピンポーン!


「あ、頼んでいた物が届いたのかな?」


 仄音はロトの様子がおかしいことに気づかず、荷物を受け取るために「続きを見ていてもいいよ」と言い残して玄関へと向かう。

 あっという間に一人残されたロトはじっと目を瞑る。

 脳裏に蘇るのは先ほどの『神仮面ファントムセイバー』という特撮の一話だ。

 幼い頃に両親を亡くした主人公の圭一は育ての親である祖母のお墓参りをしていた。線香を焚いて、手を合わせて黙禱をしていた時、不意に背後から現れた白装束で如何にも幽霊のような少女に衝撃の事実を告げられる。


『そこ、私の墓なんだけど……』


 幽霊が現れたのと、信じていたものが間違っていた二重の驚きで圭一は絶句した。

 それから幽霊少女の手を借りて、山奥で本来の祖母の墓を見つけ出したが、突如現れた怪人に襲われた。その際、祖母の墓が破壊されて出てきたのかARという腕に装着する形の変身アイテムだった。


「本当に凄い……! 面白いわ……!」


 窮地に立たされた主人公は幽霊の少女と契約してARを腕に装着して変身。その姿は少年男児の心を惹く様な研ぎ澄まされたスーツで、それを生かすアクションシーン。命のやり取りに、圭一は主人公らしい視聴者を魅了する戦いを見せる。


「確か変身する時はこうよね……」


 もはや底なし沼だ。特撮という沼に片足を突っ込んだロトは夢中になって、主人公圭一の真似を始めた。

 腕に妄想のARを付け、その時計の針のような芯をぐるぐると回し――足を大きく開いて右肘を前に出し、身体を捻る。そして「リバイブ」と言えば変身は完了だった。


「後は必殺技ね。確か剣を使って……」


 主人公である圭一は変身した際に装備されている剣を使って戦い、必殺技もそれに因んでいる。

 ロトはムラマサを召喚し、一話目のラストを着飾った必殺技を再現する。


「こうして魔力を剣に宿して、剣先で球体にして……ファントムスラッシュ! ――って、え? ほ、仄音?」


 ムラマサの剣先に球体を作って、それを投げ飛ばす圭一の必殺技『ファントムスラッシュ』。名前から斬撃なのに斬っていないというツッコミはさておき、ロトは帰ってきていた仄音と目が合った。

 仄音は待ちに待った商品が入ったダンボールを抱えて、軽い足取りだったのだが、衝撃的な光景に固まってしまった。不幸にも目撃してしまった。そう、事故である。

 誰にも見られていないと思っていたロトは動揺し、コントロールを失った必殺技がガラスを突き破って彼方へ飛んでいく。


「あ、危な!? ろ、ロトちゃん!? ま、まあ気持ちは分かるけど、本当にファントムスラッシュを繰り出したらダメでしょ!?」


 ガラスの破片が床に散りばめられ、思わず仄音は声を荒げた。

 しかし、そんなことよりも恥ずかしい行動を見られたロトは正気ではなく、ただ茫然としていて――


「拳があちーぜ……」


 ふと主人公の決め台詞を呟いた。暴発した必殺技の所為でアリアが大変な目に遭うのだが、知らぬが仏だろう。


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