第八話『残酷なカルマ』

 天使集会とは月に一回はある会議の事で、地域の天使たちが集まっては情報を交換して、親睦を深める。いわば連携を強化し、効率良く悪の欠片を除去するのが目的だった。

 と、いってもその文化は時代と共に廃れつつあり、今ではすっかり形骸化しているのが現状である。

 広野市担当の三天使も会議という形だけを取り、駅前のファストフード店で学生のように駄弁っていた。


「それで貴方たちはノルマを達成したのでしょうね?」


 先ず、話を切り出したのはロトだ。スマホに表示された自分の業績を見せ、それはノルマの二倍を達成している。仄音に会う前の彼女は仕事熱心であり、ブラック企業に勤めているかのような働きぶりを見せていた。


「んな!? 私より多いじゃん! くっそー……自信あったのに……」


 一番に反応を示したアリアは悔しそうに肩を落とす。女子高生のような制服のうえ金髪であり、雰囲気的にはギャルだろう。この店に、いや人間社会にしっかり溶け込んでいる。


「そう……残念ね。アリアが私を超えることはあり得ないでしょうね」


 対して、ロトは余裕そうにポテトを一本一本抓んでは口に運んでいるが、魔法少女を彷彿とさせるドレスであり、物凄く目立っていた。

 周りに一般人はそんな天使たちを見てはヒソヒソと私語を話している。


「な!? 私に喧嘩売っているの!?」


「ま、まあまあ落ち着いて……確かにロトさんの方が多いけど、アリアさんも平均より多いよ」


「くっ……此処が店の中じゃなかったら水魔法を放つのに……!」


「あはは……」


 アリアを宥める三人目の天使は朗らかな微笑みを見せる。

 サラリーマンのようなスーツを着ている彼の名前はサトウ。漢字で書けば佐藤であり、ロトとアリアと違って人間社会の歯車として働いている、一番の常識天使だ。


「で、サトウはどうなの?」


「いつも通り、ギリギリノルマを達成したよ」


「またなの? 貴方、それでも天使の誇りを持っているのかしら?」


「ご、ごめん……言い訳のつもりじゃないけど人間社会ってたいへんなんだ。仕事は難しいし、飲み会に付き合わされるし……」


「ブラック企業に勤めているからじゃないの? 天使の仕事に集中したら?」


「……二十四時間働いているロトさんに言われたくないなぁ」


 サトウは天使の仕事の他に、普通のサラリーマンとしても働いている。そこらの天使よりは毎日が忙しく、いつもギリギリな生活を送っていた。

 しかし、それは成績が伸びない理由にならない。サトウが人間社会で働くのは趣味であり、天使の使命ではないのだ。


「いや、サトウ君は凄いよ! 私たちと違って人間社会で働いて、天使の仕事をこなしているんだから! 元気だしなよ!」


 立つ瀬がないと落ち込んでいたサトウを、アリアは頬を赤らめながら一生懸命に励ました。


「あはは……ありがとう。そう言ってくれると気が軽くなるよ」


「はぅ……」


 サトウの笑みを不意打ちされたアリアは茹った風にもじもじと手を弄り始める。

 明らかに恋する乙女(三十路)であり、青春のワンシーンのようなやり取りを食事中に見せつけられたロトは段々と苛立ってきた。


「あ、そうだ。サトウ君もポテトを食べる?」


「え? ぼ、僕は別に……」


「いいからいいから、ほらあーん……」


 アリアはソースを軽く付けたポテトをサトウの口元に運ぶ。

 最初は恥ずかしがっていたサトウだが観念して口を開いてポテトを受け入れた。


「ん? ――か、辛らああああああい!」


「ひぇっ! さ、サトウ君!?」


 柄にもなく叫びながら水を飲み干すサトウ。本当に辛く、まるでハバネロを舌全体に塗ったように痛い。その証拠に舌が赤く腫れ、あまりの痛さぁら大事にとっておいた白い粉を舌に塗った。

 するとみるみるうちに赤みは引いていき、舌は本来の姿に戻った。


「ひ、酷いよアリアさん……エンジェルパウダーを使っちゃったよ。これ、結構高いのに……」


「え? わ、私じゃ――はっ!」


 アリアは悪魔のような微笑を浮かべているロトに気がついた。手元にはご丁寧にドクロマークが描かれた黒い小瓶を転がしている。

 そう、これは冤罪だ。アリアはロトに罪を被せられたのだ。


「わ、私じゃないよ! 犯人はロトに決まってるよ!」


「何を言っているの? こういう悪戯は貴方の専門でしょ? いつも私にしているじゃない」


「くっ……」


 確かにアリアはよくロトに悪戯を仕掛けていた。その殆どはロトに効果がなかったが、それでもこのグループでは悪戯=アリアという図式が成り立っていたのだ。

 どう弁解しようが無駄だと思ったアリアは悔しそうに歯ぎしりをし、恨んでやるとばかりにロトを見つめることしかできなかった。

 このピリピリとして緊迫に満ちた空気が店内に漂い、客は悪寒を感じて静まり返っていたが、鈍感であるサトウは気にせずにハンバーガーを頬張っていた。





 読み上げ終えたアリアは怒りのあまりロトナンバーで仄音を叩いた。


「そう! ロトの所為よ! ロトの所為でサトウ君に嫌われたじゃない! きっと悪戯好きなババアって思われたわ!」


「どうして私が殴られたの!?」


「八つ当たりよ!」


「あ、はい。そうですか……って、ぎにゃああああああああああっ!」


 腫れ物には触れないと決めた仄音は理不尽を屈せず、静観を貫いた。その顔はまるで仏のようで、心頭滅却すれば火もまた涼し、を体現しているようだ。

 そんな仄音の態度に苛立ったアリアは更に癇癪を起し、ジェットコースターのような急降下を繰り返す。ぐるぐると回る視界に胃が揺さぶられる感覚。これには流石の仄音も音を上げてしまい、吐く寸前まで繰り返された。


「はい、着いたわよ」


「ぜぇーぜぇー……し、死ぬ……」


「仄音さんが悪いんだよ? ああいう時は嘘でも同情しておけばいいの。まあ嘘だったら殺すけど」


 どのみち殺されるじゃないか……と、仄音は天使の横暴さを身に染みたところで辺りを見回した。

 そこは何処かの廃工場だった。少なくとも仄音に見覚えはなく、広野市から大分離れているのだろうと察せられた。


「此処は……まあ田舎にある廃工場ね。目的は悪の欠片を覚醒させた人間の始末よ」


「え? それって……」


 仄音が理解する前に、何者かが廃工場から這い出てくる。

 それは異形だった。顔にはドロドロとした血を彷彿とさせる双眸があり、口は裂けてしまっていて肉が丸見え。サラリーマンだったのだろう。元は紺色だったであろうスーツは血塗れになっている。

 人間としての形を最低限保っているようだが、化け物には違いない。仄音は身体の芯から震え上がって、思わずアリアの背後へと隠れた。


「仄音さんの悪の欠片に反応して出てきたようだけど……予想以上に成長しているじゃん。殺し甲斐があるわー」


「え? 殺すの!?」


「そりゃそうじゃん……いつまでもほのぼのとした日常が続くとは思わないことね。仄音さんは悪の欠片を持つ害虫なんだから」


 そう言って、アリアはチェーンソーを手にして、化け物へと突撃した。対する化け物も瞳をギラつかせて、鋭く尖った爪で飛び掛かる。

 これが天使と悪魔悪の欠片の戦い。命の奪い合い。

 ドラマや映画でしか見られないような、リアルな光景が広がっている。

 アリアのチェーンソーが化け物の腕を切断し、そのまま身体を切り裂いた。臓器が撒き散らされ、血飛沫が舞う。

 グロテスクだ。いくらそういうゲームで鍛えた感があったとしても吐き気を催す。

 しかし、これは現実だ。アリアが言っていた絶望的な現実というもの。

 いわば、あの化け物は仄音の成れの果てなのだ。いずれ仄音もああなって、天使によって裁かれる。殺される。凶器を握るのはロトかもしれない。


「あはは! これだから天使はやめられない!」


 返り血で真っ赤に染まるセーラー服。

 もはや、原型を留めていない化け物。

 仄音は青ざめて、ただ身体を縮こまらせていた。この場から逃げようにも戦慄から動けず、頭の中が真っ白だ。


 やがて、化け物は絶命した。

 アリアは三日月のように頬を吊り上げて、狂気的な笑みを浮かべていた。


「どう? これが天使の実態よ? 絶望的だよね。仄音さんもいずれはこうなるんだから……」


「いや、あの、魔法は使わないんですか? 水魔法なら、もっと綺麗に殺せたんじゃ……」


「ああ!? あんな不確かな物より信じられるのはコレだけでしょ!?」


「えぇ……」


 そう叫んだアリアはチェーンソーで化け物だった物を更に刻んだ。

 鬼畜の所業だろう。天使とは思えない行動だ。

 仄音は呆れた溜息を吐いた。水魔法やシャボン玉があれば、簡単に窒息死させられる気がしたのだが、どうやら天使が信じられるのは物理攻撃だけらしい。


「悪の欠片を秘めた者は悪神ヒステリーのために行動するの。まあ要するに人類を滅ぼうとする。その結果がこれよ……今回は随分と馬鹿な相手だったわ」


 アリアは徐に錆びた扉をこじ開ける。その瞬間、辺りに漂い始める異臭。まるで生ごみを数か月放置したかのような酷い悪臭に、仄音は吐きそうになった。


「ただ殺人衝動に身を任せていたようだし……あっ、こっちには来ない方がいいわよ?」


 アリアは手慣れた様子で忠告する。

 果たして扉の向こうには何が広がっているのか……微かに見えるこびりついた血痕と生臭さから、勘の悪い人でも察せられるだろう。その先は見ちゃダメだと。


 仄音はどうにかなりそうだった。

 目の前で起こったのは非現実的で、それも物騒な展開。悪の欠片を持った人間の成れの果てが化け物で、人を襲っていた。これがアリアの言う絶望的な現実なのだ。

 他人事ではない。

 仄音もまた、悪の欠片をその身に宿している。つまり、いずれはああなってしまうのだろう。


「どう? 絶望した? 仄音さんもこうなるの。化け物になって、人類を滅ぼすために行動する。今回は馬鹿だったけど、もしかしたら頭脳派のテロリストになるかもしれないし、そしたら被害が出るかもしれない。絶望的だよね……だから、私が殺してあげる」


「でも……」


「でもじゃない! 人殺しになりたくないよね!?」


 アリアは仄音に詰め寄った。拒否権はないと言わんばかりに、力強く肩を掴む。


「早く私に殺されよう!? ね!?」


「で、でも、どうせ殺されるならロトちゃんに……「そんなことしたらロトのノルマになるじゃない!」


 本音を漏らしたアリアを、仄音はジト目で睨む。

 しかし、そんな悠長な事をしている暇はなかった。目を血走らせたアリアはチェーンソーを振り上げ――ることはできなかった。


「アリア? こんなところで仄音に何をしているのかしら?」


「ひっ! ろ、ロト!? どうして此処が分かって……」


「ニュータイプよ」


「あっ分かった! エンジェルパウダーを発信機代わりにしていたのね!?」


 一瞬で見破られたロトは不貞腐れたように肩を落とし、ムラマサぶれーどを召喚してアリアに歩み寄る。その姿は鬼気迫るもので、苛立ちと怒りを募らせた、激昂を通り越した凍てついた闇のように思えた。

 これには威勢のいいアリアも躊躇い、あたふたと窮された。近くにいた仄音を人質に取ったが、その行動は火に油を注ぐしかない。


「ロトちゃん! ちょっと待って!」


 そして、アリアがちびりかけた時、仄音が声を上げた。


「私、悪の欠片がどんなに残酷なものなのか、何も知らなかった。無知で愚かだった私に、アリアさんは教えてくれたの。だから、許してあげて?」


「仄音さん……」


 拉致した挙句、殺そうとしたアリアを庇う仄音こそ天使だろう。慈悲の心で満ち、本心からの発言だ。

 これには感服したアリアは自分の行いを振り返り、恥じた。いくら悪の欠片を宿す人間だったとしても、やり方が汚いだろう。ロトを目の仇にして、恨んで、仄音への仕打ちだ。天使というよりは悪魔だった。


「アリア……許すわけないでしょう?」


「へ――うげっ!」


 許す流れだったのにも関わらず、それに逆らったロトはムラマサぶれーどを投擲。矢のように真っすぐ飛んだそれはアリアの脳天に突き刺さり、アリアは血を噴き出して倒れてしまった。

 まさかの展開に仄音は唖然としつつも、恐る恐るアリアの首元に手を添えた。脈はない。ただの屍のようだ。


「ろ、ロトちゃん? 流石にやりすぎじゃ……」


「大丈夫よ。天使はこれくらいでは死なないわ。それより仄音は大丈夫? アリアに何もされていない?」


「うん。ロトちゃんが助けてくれたから無事だよ……」


 果たして、本当に無事で良かったのか……

 悪の欠片の行く末を目の当たりにしてしまった仄音は表情を曇らせる。


「そう……帰りましょうか……」


 ロトは仄音の手をひいた。もう離さないとばかりに力が籠っていて、温かみを感じる掌だ。


「…………」


 なんて声を掛けたらいいのか分からない仄音は終始無言を貫き、ただロトに縋りついた。もはや頭の中からギターの弦は消え去っていた。

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