第六話『天使と慣れ』


 時刻は朝の七時。現役の天使という事もあり、朝に強いロトはすっかり頭が冴えていた。いつもの私服を着込み、昨日に取った天使の輪を頭に付けている。

 それに比べて仄音は未だに睡魔に打ち勝つことが出来ず、だらしないパジャマの格好で大きな欠伸をしていた。


「うぅんねむい……あ、ロトちゃん醤油とってくれる?」


「はい、どうぞ」


 二人は炬燵で暖を取りながら、仲良く朝食を摂っていた。

 暫くして、仄音は目が冴えると同時に落ち着きが消えていく。それは身体に表れ、貧乏揺すりが激しさを増した。

 これには普段仄音に優しいロトも寝起きということもあって苛立ってしまった。


「少しは落ち着いて食べられないの?」


「えっ? あ、ごめんね」


 指摘されて気が付いた仄音はしまったと思い、しょんぼりと項垂れて正座した。表情が曇り、食が進んでいるようには見えない。

 ロトはリモコンを使ってテレビの音量を下げた。因みに朝に天使の番組を視聴するのは日課になっている。


「それでどうしたの?」


「え?」


「いや、さっきから様子がおかしいでしょ? 言ってみなさい」


「あ、えっとね、昨日、ギターの弦が切れちゃって……一日中弾いていないから落ち着かないの……」


 もじもじとして答える仄音に、ロトは呆れた。

 弾いていないと言ってもたった一日の話である。それくらいで精神が乱れるとは、どれだけギターが好きなのだ。音楽家を目指すなら、その感性は好ましいだろうが、そうではないロトには到底理解できない。


「昨日は買い忘れたものね」


「そうなんだよね……はぁ憂鬱だよ……」


 ロトに言われて、不満げな仄音は味噌汁を口に含む。

 昨日の買い物で、十分な食料を購入したので家の冷蔵庫は潤沢。朝食はインスタント食品から白飯に味噌汁、鮭と豪華になった。如何にも日本人らしい朝食だろう。料理したのは仄音である。

 本当はロトに任せるつもりだったのだが、昨日の夕飯の時にライスオーブというおにぎりを出され、仄音は嫌でもロトの料理の腕を思い知ってしまった。


(あれはもう一生食べたくないな……)


 ライスオーブという天使に伝わるおにぎりは地獄のような味だった。天国ではなく、悪魔のイメージがある地獄だ。人間が知る甘味、辛味、苦味といった味覚全てに該当しないよううな不思議な味で、唯一は分かるのは死ぬほど不味いということ。

 仄音は一口齧っただけで身体が爆発したかのように錯覚して、意識が闇に吞み込まれた。思い返しただけで吐きそうになった仄音は頭を軽く振って、何とか忘れようとする。


「そういえばロトちゃんは弦を出せないの? その修復魔法ってやつで……」


「だから魔法は私用できないのよ」


「でも壁とか、UFOキャッチャーを直していたし……」


「あれはいいのよ。そのままにしていたら仕事に支障が出るから」


 壁を直さなかったら大家から修理費を請求され、UFOキャッチャーを直さなかったら今頃警察にお世話になっていただろう。つまり、ロトの言う支障とは物事の大きさ。ロトの匙加減である。


「むぅ……なんか釈然としないよ」


「何度でも言うけど魔法を頼りにするのは良くないわ。魔力だって限りがあるもの」


「そうなの?」


 魔力という如何にもゲームにありそうな要素を耳にして、仄音は小首を傾げた。


「人間と違って天使は魔力を持っているの。早い話、体力よ。使い切っても寝れば回復するわ」


「そうなんだ。ロトちゃんは重力魔法と修復魔法だっけ? それ以外は使えないの?」


「そうね。基本的に、生まれた時に魔法が定められるわ。因みにアリアは水魔法よ」


「え? 天使って生まれるの? 魔法が決まるっていったい誰が?」


「……さあ?」


 はぐらかしたロトは会話を切り上げて食事に集中する。

 その意図が分からず、ただ訊いちゃいけないことだと思った仄音は大人しく引き下がった。


 忘れてしまいがちだがロトは天使であり、仄音は人間。それも悪の欠片を宿した天使の駆除対象である。それなのに仄音が天使の内部を探るのは良いことではないだろう。そもそも、こうして一緒に暮らしていることが可笑しい。肉食動物であるライオンと草食動物であるシマウマが仲良く暮らすなんてあり得ないのだ。


「ロトちゃんは、どうして私に尽くしてくれるの? アリアさんが言っていたけど本当は駄目なんだよね? 私を殺さないといけないのに……どうしてなの? 本当に自己満足なの?」


「……前にも言ったけど、生に執着しない貴女を見ているとむかついたのよ。時が来れば殺すわ。絶対に」


「そう……なんだ……」


 まるで自分に言い聞かせるかのような断言だ。

 ここ数日の暮らしで仄音は随分とロトを気に入っていたため、言い切られるのは冷たく感じられた。分かっていたことではあるが、やはり実際に口に出されると辛い。ロトからとなると猶更だろう。


 そんな仄音をこっそりと見つめていたロトは真剣な表情で思考に耽り、箸を止める。

 ロトの言葉は嘘ではなかったが、真実かと問われれば違った。

 本来、ロトたち天使は悪の欠片を除去することが仕事であり、駆除対象に肩入れするなんてことはない。上によって、そう定められていた。

 それなのにただの気まぐれで仄音を生かすのか? いや、あり得ないだろう。例えば、目の前に害虫がいたとして、自分はそれを駆除する仕事をしている。そして、依頼も承っている。それなのに駆除対象を態と見逃す。否、何度でも言うがあり得ないのだ。

 ではどういう意図があって、仄音を生かしているのか? それはロト自身にも分からなかった。最初こそ殺すつもりだったが、彼女を見ているといざ振り上げていたムラマサが震え、そこで自分が躊躇していることに気がついた。殺そうと思っているのに、本能が否定しているのか胃がチクチクとし、胸に熱いものが込み上げてくる。

 形容し難い感情だ。ロトは頭を悩ませた。苦悩を続け、気まぐれだろうと思い込んだ。勿論、深層では違うと分かっているため溜飲は下がらない。しかし、そうでも思わない限りロトは永久に考え込んでしまいそうだった。

 そのうえで現在の倒錯的な生活があり、皮肉にもロトはとても満足していた。


(何なのかしらこの気持ち……仄音との生活は楽しいけど、本当はいけないのよね。でも仄音を殺すなんてできない……ああ、きっと師匠に怒られるわ)


 先の未来を予測してロトは億劫とし、それは仮面越しでも分かるほどに顔に表れていた。


「ロトちゃん……あのね……」


「なにかしら?」


「え、えっとね、ロトちゃんは悩んでいるんだよね? よく分からないけど好きにすればいいと思う。自己満足でしょ? もし何かあったら私を殺してくれていいから……」


「……仄音はそれでいいの?」


「うん。前に言ったけど、そこまで生きたいと思っていないし……優しいロトちゃんに殺されるなら本望だよ」


「貴女ねぇ……」


 自分のことを心配してくれることは嬉しく、特に仄音だからか胸が高鳴った。

 しかし、同時に生物としての本能である生きることに執着しない仄音に、不満を抱いてしまう。死んでもいいなんて今の生活は楽しくないのか、と非難したかった。


「……口元にご飯粒が付いているわよ?」


「嘘!?」


 仄音は咄嗟に手の甲を使って口元を拭う。


「嘘よ」


「え? ろ、ロトちゃん! 揶揄うのはやめて!」


 嘘だと分かった仄音は騙されたことに悔しそうにしている。

 これはロトなりの仕返しなのだ。生物の道理に反して生に執着を見せないのが気に食わないと言っているのに、簡単に死を口にする彼女への仕返し。

 少しだけ気分が晴れたロトは茶を喫した。




 朝食を食べ終えた仄音は手持ち無沙汰になり、退屈そうに炬燵に突っ伏していた。

 ギターは弦がないので弾けず、やれることはノートパソコンを動かして暇を潰すか、よく分からない天使の番組を見るか。

 どちらも気が進まないので、ベッドで布団に包まろうとしたらロトに止められた。


「大丈夫だよ。布団で休むだけだから」


「いや、貴女の場合は寝ちゃうでしょ? 二度寝したらまた生活リズムが狂うわよ?」


 ご尤もである。仄音としても昼夜逆転は避けたい。寝過ごして結果的にギターが弾けなくなる可能性だってあるのだ。


「それじゃあ何しようかなぁ……溜まっていたアニメはこの前に消化したし……」


「なら私とお話しましょう? 嫌かしら?」


「え? そんなことないよ! いっぱい話そう!」


 仄音とロトは炬燵で温もりながら談笑を楽しみ、空気は弛緩した。

 話題は何気ない世間話だったり、将来のことだったり、特に仄音が興味を抱いたのはアリアという天使の話題だった。


「アリアは私と同期の天使でね。水魔法を使い、特に泡が気に入っているようね。よく私と業績を競い合っていたの」


「ぎょ、業績……」


「そうよ。まあ同期の中では私が一位で、彼女はいつも二位だったわ。それが悔しいのか、いつも私に突っかかってきて面倒くさい女性よ」


「確かにアリアさんはロトちゃんに執着していそうだったなぁ……」


 仄音の記憶の中のアリアはロトを見下すような、何かしら特殊な感情を抱いていた。ロトの名前を口に出した彼女はとても恨めしそうに歯を食いしばっていた。


「あっ、そうだわ。仄音更生計画でも進めましょうか……」


「えっ、なに、その思いついたかのような言い方は……もしかして忘れていたの?」


 仄音の指摘に、ロトはあさってを向き、鳴らない口笛を吹いている。

 思わず、仄音は苦笑いを浮かべてしまうが、そんな余裕はないだろう。

 何故なら、仄音更生計画Ⅱは既に達成されているため、次のステップへと移行。ステップⅢは働くこと。つまりは就職だ。就職という文字はヒキニートにとって地獄、また処刑とも読めてしまう。

 ロトの説明を受けて、処刑を悟った仄音は脳内をフル回転させ、被害妄想を抱いた。

 妄想の中の仄音は会社によって馬車馬の如く働かされ、何か失敗を犯す度に、魔物のような見た目の上司に鞭打ちされる。やはり地獄なのか。


「週一のバイトでもいいのよ……? でも、確かに心配ね。ヒキニートでゴミクズな仄音に働くのは酷かしら?」


 妄想した挙句、放心状態の仄音は口から白い靄のような魂を出してしまっている。

ロトはもう一度反芻する。その結果、やはりヒキニートに就職は難しいという考えに至った。

 しかし、このまま一生ヒキニートをやる訳にもいかないだろう。親の仕送りだっていつまで続くか分からないし、やはりきちんと自立しないと心配である。


「と、なると慣らさないといけないわね」


 仄音の外出が決定した。




 仄音は昨日購入した服――漆黒のスカートに、少し弛んで皺のようになっているシャツ。腰辺りからはチェーンが乱雑に伸び、ヴィジュアル系バンドのようだろう。ロックロックしいファッションだ。

 外出の目的は外に慣れること。それと、昨日買い忘れてしまった弦の購入である。


「それじゃあ行ってくるね」


「本当に一人で大丈夫? 慣らしだから私と一緒でもいいのよ」


「いや、メイド服のロトちゃんといたら余計に目立つよ」


 もうあんな想いはしたくない。ロトと出掛けるなら、一人の方が数段楽なのだ。それほどヒキニートにとって注目を集めるというのは毒である。


「いってきます」


「いってらっしゃい」


 挨拶を交わし、お互いに何だか家族みたいだと思ったが、言葉にすることなく別れてしまう。

 昨日、過激なレベリングをしたお陰が、外の世界はまたがらりと変わっていた。否、視覚的にはあまり変わっていないが、大きく変わったのは仄音の気の持ちようである。

 人目を気にして、俯きがちに歩いていたのが、今では背筋を張ってきちんと前を向いている。幻聴も聞こえない。完全に不安感を拭えた訳ではないが、それでも多少挙動不審気味に見える程度で収まっている。


(いける……! 私は成長してる!)


 もう何も怖くない。そう仄音は調子に乗って、駆け足気味に楽器店へと向かう。


「ちょっといいかな?」


 刹那、背後から声を掛けられ、振り返っては呆気にとられた。

 その人物自体、見覚えがない。が、見た目からして二十歳前半の青年で精悍な面構えをしており、服装的に警察官なのだと察せられる。

だからこそ仄音の背筋が凍り付き、顔色を悪くした。息が荒くなり、目の焦点があっていない。

 それもそうだろう。今の状況は二十歳の女性が警察官に声を掛けられている。職務質問という奴であり、つまりは疑われているのだ。

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