おとこが卵を産むようになっちまった世界の最低最悪なボーイズラブ

ベンジャミン四畳半

第1話 進化したおとこたち

 俺は市場の早朝バイトで生計をたてつつ、駅前や公園でギターをかき鳴らし歌う男だ。そういう暮らしをもう十三年ほど続けている。進歩も進化もない男だ。

 だが人類は着々と進化し続ける。

 地球レベルで加速する少子化の果てに人類は尖った進化をとげた。女は腹に胎児をはらみ、男は腸の途中から分岐した臓器で卵をはらむ。

 男の尻穴はいつのまにか総排出腔となっていた。


 まあそうは言ったが、俺は尻の穴からうんこしか出なかった頃のことはしらん。俺たちは当然のように毎朝、ニワトリのように卵を産む。

 いまでこそ朝飯の後にプッと卵をひり、余裕で自転車にまたがる俺だが、初めて卵を産んだときはケツの痛みで最悪の気分だった。忘れもしない十五歳のクリスマス、彼女もおらず、サンタももう来ないクリスマスの朝だ。俺はホカホカの卵を産み、布団の中でケツの痛みに泣きぬれた。

 これから毎日この痛みを味わうのかと絶望したが、毎日のこととなればすぐに慣れた。産んだ卵をごみ箱にぶち込むのも手慣れたものだ。

 だが、この人類の比較的新しい機能には恐ろしい弊害があった。

 カルシウム不足だ。牛乳、煮干し、牛乳、煮干し、牛乳、煮干し……飲んでも食べても毎日、卵の殻になってケツから出て行く。効率よくサプリメントで補充する手もあるが、毎日飲むとなると高い。俺たちのような貧乏人には特にきびしい。

 三十歳まであと一週間という初冬、サプリ代にすら困っていることについてはあまり深く聞かないでほしい。


「いやー、まいった。まさか折れるとは……」


 全然参ってない顔でキタハラハチロウはヘラヘラと笑っている。そして、ほらほらと包帯が巻かれた小指の側面をみせつけてくる。

 ハチと俺は同い年だが、洗ってないイモのような俺とは違い、ハチはどことなく南の方の血を感じさせる向日葵のようなやつだ。三十前にして四十代に間違われる俺と、いつまでも二十歳前の青年のようなハチ。共通項は性別と高校が一緒だったこととカネがないことぐらいだ。


「キレーな顔は守れてよかったな」

「ほんとそれ!浮気ぐらいでフツー、ビール瓶投げるか?」


 ハチはいわゆるヒモをして暮らしている。彼女とどんな喧嘩をしたのかは知らないが、どうせハチが悪い。投げつけられたビール瓶が目に浮かぶ。ハチはとっさに自分の美しい顔面をかばい、ビール瓶の底が命中した小指の根元の骨がほんの少し欠けたらしい。


「おまえ、倫子さんと付き合ってから浮気何回目だ?三回か?」

「いや五回…?」


 顔が良いだけのぐうの音も出ないクズ。それがハチだ。かわいい女が目に入れば、ほいほい口説いてベッドに上がる犬のようなやつ。そのうえカネにもだらしない。

 ハチはあちこちの女に手を出してバレてぶん殴られるなりして寝るところをなくすと連絡も寄越さず俺の城に転がり込む。この家賃三万円トイレ共用風呂なし城に。

 決まってハチは勝手に俺の大事な相棒が入ったギターケースをどけ、積み上げた古本たちの上に高そうな服をドサドサとのせる。もこもことした毛皮のコートやらツヤツヤした生地のシャツ。一見女物に見えなくもないが、全部こいつの服だ。


「倫子さん、なんでお前と付き合ってんだ。まったくわからん。」

「え、俺が最高の男だからじゃない?」


 ハチに寝床を与え三食の飯を食わせている女、倫子。ハチが尻尾を振るだけあって、その姿はギリシャ神話の女神のように美しい。しかし四六時中酒を飲み、常に目が座っているのであまり関わりたくない種類の人間だ。ハチをたやすく養えるほど羽振りがいいが、なんの仕事でカネを得ているのかもよくわからない。不思議に思ってハチに尋ねたことがあったが、興味がないの一言だ。

 ハチは自分以外どうでもいい。そんな単純明快なハチとは対照的にまったく不可解な女。それが倫子だ。


「やっぱ肉追加しよ。あ~欠けたのが左指でよかった。右だと飯を食うのもむずかしい」


 小指の治療費で文無しになったハチは俺の部屋に上がり込んで荷物をバラすと、勝手にカセットコンロと鍋を引っ張り出して飯を作り始めやがった。明日の晩、炒め物にするはずだった半分で三十円のしなびた白菜と常備の一キログラム三百円の安ソーセージで一人鍋パだ。


 何を言っても無駄なので俺はダシ用の煮干しをむさぼり食いながら、勝手にソーセージを追加しているハチにらむ。

 白菜をつっつきまわす箸をつまむハチの指はスッと長く、桜貝のような色をしたほっそりと形の良い爪が付いている。煮干しをつまむ俺の指は太く、妙にムチムチしており、同じ人類の指の形とは思えない。

 ハチのまぶたにはあきれるほど長いまつげが並んでいて、煮える鍋を眺める伏し目でさえ憂を秘めていそうな影を落とす。本当はなにも考えてないのに。極めつけに、いつも口角が上がって機嫌がよさそうな口元と黒目がちな目、ハチミツのような陽気な色したふわふわの髪の毛、見た目だけならまるで無害なワンちゃんだ。


「はぁ~カネがねえ。コレの治療費どうすっかな~リンちゃんに請求しようかな?」

「やめとけ。またビール瓶が飛んでくるぞ」


 天使のような神に愛されし顔で口をとがらせ、骨が欠けた方の手のひらを揺らす。手首まで巻かれた包帯の真下で金色の細い腕輪がふらふらゆれる。


「…服とか売れば。あとその高そうな腕輪とか」

「いやだね。俺が輝くための投資なのこれ」


 ハチは馬鹿なうえにナルシストで本当に救いがない。


「俺、いっつもリンちゃんに飯を作ってもらってたんだけどさー。なんかカルシウム?が足りないみたいで。こないだ卵詰まりで死にかけた」


 煮干しが喉につかえ欠けて俺は激しくむせる。何がおかしいのかハチはケラケラと笑い出した。


「リンちゃん料理下手くそでさ~。いっつもなんかめっちゃ塩っ辛い炒めた肉とごはんとかなの。それかカップ麺」


 ハチの肌は真っ白…いやこれは血色が悪いのか。カルシウム不足で殻がうまく作れなくて卵がケツにつまるなんて、あまり現代の日本では聞かない。


「くえ」

「うん」


 俺は思わず煮干しを差し出す。ハチはぱくりと煮干しにかみつくと「にがいなあ」と文句を言いつつ乾いた小魚を咀嚼する。


「……月一の床屋やめてサプリでも買えよ。カネの無いなら自分で切ればいい、俺みたいに。バリカンなら貸してやる」

「美容院?」

「そこはどうでもいい」

「俺、丸刈りなんか似合わないよ」


 もぐもぐとハチは追加投入されたソーセージも遠慮なく食う。俺は白菜が沈んだハチの小鉢に数本の煮干しを投げ入れた。


「お前、ちゃんとカルシウムを取らないと本当にヤバいぞ。ケツに卵が詰まって死ぬのは嫌だろう」


 ははうけるとハチは眉毛を下げる。


「確かにそれはカッコ悪いな…。カルシウム……あ、卵の殻とか食えばいいんじゃない?煮干しより効率よさそう!」

「は?」


 いいことを思いついたとばかりにハチは立ち上がる。俺の足には絶対に入らない細身すぎるズボンをはいた長い脚で、台所の片隅にあるワンドアの粗大ごみに近い冷蔵庫に歩み寄り卵を一個あさり出してきた。いつ買ったかもわからないニワトリの卵だ。


「おいやめろ!絶対に腐ってるぞ!それは!」

「なんでゴミを冷蔵庫にいれてるの?」

「うるさい!忘れてたんだ」


 ハチの馬鹿がテーブルの角で古い卵を割ろうとしたので俺は慌てて卵を奪い、ごみ箱にぶち込んだ。


「あ~あ」

「あ~あじゃない」


 俺は肩で息をしている。ハチは花のように笑っている。


「もうこの際、ヨシ君が産んだ卵でもいいや」

「はぁ?!」

「ヨシ君は毎日産んでるんでしょ。俺はたまにしか出てこないけど」


 最悪すぎるのでいっそグーで殴ってやろうかと思った。だが結局、俺はそういうことができない。

 ハチの澄んだ色した目が笑っている。ハチは何を考えているんだろうか。もしかして冗談をいっているのだろうか。俺はお前のことが気持ち悪いのか、怖いのか。お前に怒っているのか、困惑しているのか。何もわからなくなる。


「お前、マジで言ってるのか。俺の卵……」

「あ、歯ぁ磨いて寝よ」


 煮干しが浮いた小鉢をちゃぶ台の上に置いて、ハチは部屋を出ていった。この部屋に洗面所というものがないからだ。眠くなったから寝る。寝るために共用の洗面所で歯を磨く。ハチはそういうやつだ。


 ちゃぶ台の上には出しっぱなしのカセットコンロと鍋。その隣にハチの持ってきた瓶…化粧水?と何かわからんが顔に塗るやつが並んでいる。カーテンなんかないガラス窓を通して降り注ぐ外の防犯灯の光が見慣れない瓶の輪郭を照らしている。狭い部屋は鍋の残り香とハチが持ってきた化粧品の花畑のような甘い香りとが混ざり合っている。

 ハチは当然のように俺の薄っぺらい布団にくるまって寝ている。俺の寝る場所がない。ちゃぶ台の上に乗ったものを倒さないように慎重に壁に寄せ、俺はけば立った畳の上に寝転ぶと掛布を引っ張って何とか布団の下に入った。


 明日のバイトも早い。これから寝るのでは三時間も眠れない。ハチが転がりこんでこなければ、もっと早くに布団に入っていたはずだ。まだ日も登らぬ市場で魚の入ったトロ箱を右や左に運ぶ作業。体はキツイがそこそこ実入りはいい。そして午後は丸々、自由になるのが何よりもいい。


 日々がさついていく畳の感触。前の住人が置いて行った古いエアコンから溢れるぬるい風。遠ざかるサイレン。静かなハチの寝息。腹の中で勝手に作られる卵。まったく世界は物思う俺とは無関係に進んでいく。

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