第6話 イメチェンゴ



 お昼ごろに起きたワイは寝巻きから外行きの私服に着替えると寝ているネルを起こさないようにそっと自室から出る。


「――母さんおはよう。髪を切りに行きたいんだけどさ、散髪代貰ってもいいかな?」


 リビングのソファーでゆっくりと寛いでいたママーンにそう問い掛けた。


「……」


 案の定、ママーンは鳩が豆鉄砲を食ったような顔を浮かべているが。


「……サンパツダイ。それは新しいゲームかしら? お金は問題ないけどどこまで買いに行くの? お母さん着いて行こうか?」

「違うんだ。ゲームじゃなくて散髪代。このボサボサの髪を切りに行きたいんだ」


 自由に伸びた前髪を少し手で摘み。

 

 賢司がなん○民との約束で初めに変わろうとしたものが自分の身嗜み。


「け、賢ちゃん……」

「って、母さん!?」


 口を押さえて静かに涙を流す母親を見て戸惑い狼狽えてしまう。


「あ、あの。俺、何か悪いことしちゃったかな……」

「違うの。嬉しくて。あの賢ちゃんが自分から何かをしたいって……」


 泣きながら笑みを浮かべる母親の顔を見て穏やかな心になる。そこで自分の決意も伝えることに。


「母さん。俺さ、今の生活を一変して変わろうと思うんだ。あ、別に今の生活がイヤとかじゃないんだ。ただ、このままじゃ俺は何も成長しないし……母さん達に少しでも恩返しをしたいから、少しずつでも変わりたい」

「……それは、嬉しいけど。何かあった?」


 心配を孕んだ顔で見てくる母親にこの頃あまり見せることのなかった微笑みを携えて。


「うん。俺さ「」ができたんだ。この歳でかよって話だけどそのが応援してくれたんだ。だから、俺は変わるよ」


 目を見て自分の口でハッキリと。


「そう、そうなのね。賢ちゃんに。よかった。よかった。本当に、よかった……」


 己の言葉を聞いて自分のことのように泣いて喜ぶ母親の肩を抱く。


「今まで育ててくれて、支えてくれてありがとう。本当は今までの「ごめんね」も伝えたかったんだけど。感謝の気持ちがあるなら「ありがとう」を真っ先に伝えたかった」

「……ふふ。いいのよ。親にとっては子供の幸せが自分の幸せなんだから。私も「ありがとう」の方が嬉しいわ。「ごめんなさい」なんて使っちゃダメ……約束よ?」


 自分と同じようにママーンも優しく肩を抱いてくれた。


 この優しく気持ちのよい温もりを感じて、もっと早くに気づけていたらと思うものなん○民の皆から背中を押されたことでほんの少しだけど一歩前に進めた事実を噛み締める。


 ・

 ・

 ・


 心配して着いてこようとしていた母親をなんとか宥めて賢司は参る。


「――美容院が近くにあるからといって、少し見栄を張りすぎたかな。母さんに……いや、これは俺の成長の一歩」


 家の玄関を開けただけで心臓がバクバクと鳴り。鼓動すら自分の耳に聞こえるほど。

 気分が少し悪くなるも、後悔の選択をしないためにも自分はその足で歩む。


 四年振りの外出。

 それも一人。


「あぁ、大人になったから、決心したからできるだろうと安心していたけど。ここまである意味嫌な意味で、深刻だとは……っ」


 前方からおばさんが歩いてくる。

 ただの通行人であるおばさんの存在にビクビクとしてしまう自分がいた。


 今は秘密アイテムとして持ってきた瓶底メ眼鏡を掛けているため周りはボヤけて見えづらいから表面上安心に見える。


「――ッ」


 ただここ数年で培わられた感覚は猫のように研ぎ澄まされ他の人間の気配に敏感になっているせいか少しの音でも警戒してしまう。


「?」


 不審に動く賢司の様子におばさんは首を傾げるがそのまま通り過ぎる。


「ふ、ふー。中々、手強いな……っ」


 玄関から出て数分の出来事である。


「瑠奈から貰ったこの瓶底眼鏡で視力を落とし顔を隠さなければ危なかった……仕切り直しで……帰る、じゃなくて、負けるな自分」


 崩れ掛けた信念を燃やし、米粒くらいの理性を総動員させ進む。

 なんとか目指していた美容院の看板も見えてきたことで一安心。


「大丈夫。大丈夫。ワイには秘策がある」


 美容院の前で立ち止まり進もうとして、進めない。それは足裏が地面に張り付き店内に入ることを体全体が拒むように。


「……ッ」


 そんな自分に苛立つも冷静さを保ち、店内の状態を確認。


 平日の昼過ぎだから店内に人はいない。店員だけや。後はどうにかして店内に入るだけ。


「……ぉ」


 店内にお客がいないという安心からか、体が羽のように軽くなり。


「……参る……っ!!」


 鳩胸の如く堂々と胸を張り、店内に――


 ・

 ・

 ・


「またのご来店、お待ちしております」

「う、うす」


 お爺ちゃん店長の声を背にガクガクと震える足で一歩、二歩進み。

 

「み、ミッションコンプリート……っ!!」


 小声。それでも熱い気持ちを乗せて。


 自宅の自室だったら片膝をついてガッツポーズをとった上に奇声を上げるレベル。

 それほどまでの達成感と余韻に浸るもこの場から早く立ち去りたい気持ちが優先して。


「……いつぶりだろうか。さっぱりしたな」


 立ち去る前に美容院のガラスに映る自分の姿を見て。


 そこにはボサボサの髪から今風の若者向けの髪型へ、髭も剃ってもらいスッキリと。

 前髪で見えなかった目元もはっきりと分かる整った顔。少し老けたと感じるも30歳にもなれば誰でもそうやなと思う。


「おっと。忘れない内に」


 その――俳優のように整った顔を来た時と同じように瓶底眼鏡で隠す。


「スレ民達の知識は本当に助かる。ある言葉を使うだけで散髪が終わるとは」


 実は今日ママーンと会話をする前にスレ民達に聞いていた。



56 下僕一号 2023.7.6(金)13:06


〔あのさ、髪の毛を切りに行っても話せないけどどうしたらいい?〕


 心優しいスレ民達は沢山の意見を出してくれて一人の意見が満場一致で採用される。


72 無知の極地 2023.7.6(金)13:14


〔簡単や。こう言うんや。「お任せで」〕



 その言葉を使った瞬間、お爺ちゃん店主は「分かりました」と言って自由に綺麗に切ってくれた。ほんと、神や。


 スレ民、お爺ちゃん店主に心の中でお礼を言い帰宅。



 ◇◇◇



「――ただいまンゴ〜」


 何事もなく無事に帰宅できた賢司は上機嫌に玄関口を開け。


「珍しいわね。アンタが出かけ……」


 玄関口を開けたそこにはダボダボのパーカー姿の妹様が靴を履こうとしている場面で。

 なぜかこちらの姿……というよりも顔を見た瞬間、石像のようにピシリと硬直。


 な、なんなンゴ? ワイは何もやってないンゴよ? なんでそんな規格外な生物を見たみたいな顔を向けるん?


「え、えっと。俺はこれで……」


 硬直する妹様の横を通り何事もなかったかのように装い――


「ま、待ちなさいよ!」


 ――こともできず。


「な、何?」

「何って、アンタ……アンタこそ何かあった?」


 少し赤面しモジモジとする妹様の行動原理が意味不明で怖くて震える。

 それでもなんとか喉の奥から声を発し。


「あ、いや。あの。イメチェン、しました」

「なんで?」


 な、なんで……!! 


「べ、別にいいじゃんか。イメチェンはイメチェンだよ。俺だって年頃だし」

「……」


 はぐらかすように告げるとこちらをその可愛い顔を唖然とした表情に変え見てくる。


「もしかして……好きな人でもできた?」

「ひぅ」


 どうしようと思ってた時、突然自分の首筋に冷たい感触と右耳からゾクリとするやけに冷たい声が聞こえ。反射的に身構える。


「ねぇ?」

「あ、あの。できてましぇん」

「じゃあなんで?」

「……」


 こ、これじゃ埒があかない。


「ねぇ、話してよ――」

「あぁもう! 瑠美が可愛いから俺も周りから馬鹿にされないようにカッコいいお兄ちゃんでいようって思ったんだよ解れよ!」

「ぇ」


 もう、どうにでもなれと適当なことを並べて支離滅裂なことを話す。


「これでいいだろ! 瑠美だって俺の格好を前からダサいって馬鹿にしていただろ!!」


 勢いがどうにかしてくれるだろうという勝手な期待を寄せて強気で挑み。


「……そ。ただし、アンタの目付きはイヤらしいから外出する時は私があげたその瓶底眼鏡をつけること! ふん!」


 それだけ告げると靴を履いたまま土足で廊下を歩き、階段を上がっていってしまう。


「……出かけるんじゃなかったのかよ。ほんと、妹様は何を考えているのか分からん」


 玄関で茫然と立ち尽くし。


 その夜は妹様が自室から出てくることはなく、顔を合わせないのは少し気が楽だった。

 パパーンにはママーンの時のように泣かれ、夕飯に赤飯が出たのはまあ、お約束。


 

 

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