たぶんそれらは異界の神様

甘栗ののね

第1話

 今日、五月八日がおばあちゃんの一周忌だった。


「僕がいろいろとやらないといけないのに、すいません」


 近所に住む親戚のおじさんが運転する軽トラックに揺られながらハルアキは少しうとうととしていた。朝から法事の準備に追われ、亡くなったおばあちゃんの親戚や知人の相手をし、法事の手伝いに来ていたおば様たちに「片づけはいいから早く帰りなさい」と送り出されたのは西の空が朱に染まる頃だった。


「んなことはいいんだ。お前さんはまだ子供なんだ。遠慮するこたない」


 そう言っておじさんは豪快に笑った。おばあちゃんの兄の奥さんの弟の息子というかなり遠縁ではあるが、おじさんはハルアキにとてもよくしてくれている。


「しかし、本当に大丈夫なんか? やっぱり俺たちと一緒に」

「いいえ。僕は、おばあちゃんと暮らしたあの家が好きなので」


 ハルアキはそう言って笑顔を作る。少し疲れた顔に浮かべられた笑顔はどこか無理をしているような、強がっているような、そんな笑顔だ。


「まあ、それでいいならいいが。困ったことがあったらいつでも頼るんだぞ? お前さんに何かあったらあの世でクニさんにぶん殴られちまうからな」


 クニさん。というのはハルアキのおばあちゃんの名前だ。おじさんはおばあちゃんのことをクニさんと呼びとても慕っていた。


 そんなおばあちゃんの一周忌が終わった。


 一年前、おばあちゃんが亡くなった。朝、冷たくなっていた。


 急性心筋梗塞だった。本当に眠るように静かに息を引き取っていた。


 それからハルアキはひとり暮らしだ。父はハルアキが十歳の時に、殺された。駅で暴漢に襲われている女性を助け、首と腹を刃物で刺されて、死んだ。


 母は、どこにいるかわからない。ハルアキが六歳の頃に男を作ってどこかへ消えた。それから一度も会っておらず生きているのか死んでいるのかさえわからない。


 そんなハルアキは少し前に高校に入学した。そんなハルアキをおじさんや、おばあちゃんと仲の良かった町の人たちが支えてくれている。支えてくれているからひとり暮らしができている。


 感謝してもしきれない。けれど、甘えていてもいけない。


「ありがとうございました」

「おう。明日も学校あんだから早く寝ろよ」

「はい。おやすみなさい」


 軽トラックに揺られ、ハルアキは自宅に帰ってきた。


 誰もいない真っ暗な家。木造平屋建ての古い日本家屋。ハルアキは玄関の引き戸を開け、暗く広い玄関の奥に向かって「ただいま」と声をかけた。


 返事はない。当たり前だけれど、苦しくなるほどに寂しい。


 ハルアキは玄関の電気をつけ、靴を脱いで玄関を上がり、脱いだ靴をそろえる。玄関を上がるときは靴をそろえなさい、とおばあちゃんに教わったことを今でも守っている。


 ほかにもいろいろなことを教わった。ハルアキは暗い家の電気をつけながらいろいろと思い出し、思い出しながら仏壇へと向かった。


「ただいま、おばあちゃん。みんな、元気だったよ」


 ハルアキは仏壇の前に座り手を合わせ、今日の法事のことを報告する。


「大丈夫。僕は、大丈夫だからね。心配しないで」


 大丈夫、大丈夫だから、とハルアキは何度も繰り返す。それはなんだか、おばあちゃんに言っているのではなく自分に言い聞かせているように見えた。


「そうだ。お稲荷さん、みんな美味しいって言ってくれたんだ。おばあちゃんの味だって、褒めてくれたんだよ」


 お稲荷さん。おばあちゃんは稲荷ずしが大好きで、ハルアキにもよく作ってくれた。そんなおばあちゃんのお稲荷さんがハルアキも大好きだった。


 今日はそんなおばあちゃんのお稲荷さんを作って法事に来てくれた人たちに振舞った。生前のおばあちゃんに作り方を教わり、おばあちゃんと一緒に作ったお稲荷さんを。


「まだあるからいっぱい食べてね。明日も、お供えするから」


 そう言うとハルアキは仏壇に供えられたお稲荷さんに目を向ける。ハルアキが手作りしたおばあちゃんのお稲荷さんが、小さなさらに二つ供えられている。


 お稲荷さんを見たハルアキの腹が鳴る。今日はいろいろと忙しくてお昼をあまり食べていなかったから余計に腹が減った。


「……僕も、食べよう」


 ハルアキは一度手を合わせると仏壇の前から立ち上がり台所へと向かった。冷蔵庫にはまだお稲荷さんが作り置きしてある。


 台所に来たハルアキは冷蔵庫を開ける。その棚の一番下にはタッパーに入れたお稲荷さんがあった。


「……ちょっと、作りすぎちゃったかな」


 大きめのタッパーに詰められたお稲荷さんを取り出してハルアキはフタを開けた。そこには確かに一人では多すぎるくらいのお稲荷さんが入っている。


「作りすぎちゃったよ、おばあちゃん……」


 ハルアキは少しの間、お稲荷さんを眺め、目をこする。それからタッパーとお皿とお箸を持ちハルアキは居間へと向かった。


「いただきます」


 座卓にタッパーとお皿を置いたハルアキは座卓の上に置いてあるポットと急須でお茶を入れ、お皿にタッパーから稲荷ずしを三つほど箸で皿に移し、手を合わせてから食べ始めた。


「やっぱり、まだまだかな」


 お稲荷さんを一つ食べたハルアキは静かに目を閉じる。口の中に広がる味はおばあちゃんが作ってくれたお稲荷さんと少しだけ味が違う気がした。


 同じ材料を使い、同じように作っても微妙に同じ味にはならない。おばあちゃんはおばあちゃんの味に、ハルアキはハルアキの味になる。


 おいしいよ、とおばあちゃんは言ってくれた。けれど、ハルアキはどうしてもおばあちゃんの味が食べたかった。


 けれど、何度作ってもおばあちゃんの味とは少しだけ違う。


「何がダメなのかな……」


 おばあちゃんがここにいれば、とハルアキは思う。思うけれど、どうにもならない。


「大丈夫、大丈夫。大、丈夫……」


 ハルアキはもう一つお稲荷さんを食べる。やはり、おばあちゃんの味とは少し違う。


 どうしてだろう、と考えながら三つめに手を付けた。


 その時だった。


「あ、あれ。、んだろう。急に、ねむ……」


 ハルアキは目をこする。まぶたが自然と落ちてくる。


 意識が遠のいていく。周囲の音が聞こえなくなるほどの甲高く激しい耳鳴りと、視界が歪むほどの強い目眩がハルアキを襲う。


 ヤバい、とハルアキの本能が警報を鳴らしている。しかし、抗えない。ハルアキは立ち上がろうとすが体に力が入らない。


 視界が真っ暗になっていく。そして、ハルアキはそのまま気を失うように眠り始めた。

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