第6話 夢幻の毒

 急にドアが乱暴に開けられた。ドカドカと男たちが入り、ヴァンサンをつかんで捕える。


「なにをする」

「殿下は幻霊族げんれいぞくの希望です。将来はわが一派の頭首となられるのですぞ」

「異民族ふぜいと遊んでいないで、おをなさいませ」


 ヴァンサンは身体からだを振って抵抗した。


「僕はそんなものなんかにならない」

「なにを言うか。近頃のたるんだ王族を立て直すには強力な頭首が必要なのだぞ」


 むなしく、彼はドアの向こうへ引きずられていく。リンランは真っ青になり、あわててベッドから降りた。物言わぬガブリエルくんが床に落ちる。


「ヴァンサン」


 手を伸ばそうとするが、足に力が入らずよろけて倒れる。


「ヴァンサン! 行っちゃいや」


 ヴァンサンは叫んでいる。


「リンラン! 僕はすぐにもどるから。だからそのときは僕と……」


 バタンと冷酷にドアが閉められた。

 リンランはドアにすがって叩くが、びくともしない。


「ヴァンサン、ヴァンサン……」


 たったひとりの人が、いなくなってしまった。

 身体に大きな穴が空いたようだ。

 目が痛くて、しずくがこぼれた。

 喉が締めつけられ、息がうまくできない。

 うずくまって泣くことしかできないのが、とてつもなく悔しかった。

 するとググッと、床のガブリエルくんが上体をあげた。


「リンラン。泣かないで。僕はここにいるよ」


 ガブリエルくんは、呆然とするリンランの腕をさすってくれた。

 きっとヴァンサンがその強い幻霊の力を、断片としてガブリエルくんの中に込めたのだ。

 自分の分身として。

 お人形を強く抱きしめ、ひたすらに泣き続けた。



 リンランは閉ざされた部屋で、毎日ガブリエルくんと過ごした。

 本を読み聞かせてやり、ままごとをする。ヴァンサンとそうしたように。

 咳をしたら、ガブリエルくんは背中をなでてくれた。彼がしてくれたように。

 ヴァンサンの力が込められたガブリエルくんは、彼そのものであり、彼とリンランの子どもだった。



「病める時も健やかな時も、死がふたりを分かつまで、愛し慈しむこと誓いますか?」

「はい。誓います」


 ある日、地べたに座り、リンランはガブリエルくんと結婚ごっこをしていた。適当なレースを頭に被って。


「リンラン。僕の願いごと、ひとつ叶ったよ」

「うん」

「ずっと一緒だよ。ふたりでリンランに行こう。そこで暮すの」

「うん」


 ガブリエルくんはリンランの左手を両手で取り、口づけする仕草をした。小さな花で作った小さな指輪を、一生懸命リンランの薬指に入れようとする。

 ヴァンサンのやりそうなことだ。

 心からのほほえみを浮かべ、ガブリエルくんを見つめた。

 ガブリエルくんは唐突に、長い足のつま先に蹴飛ばされ、床に倒れた。


「ガブリエルくん!」

「人形ごときが。リンランを妻にするだと?」


 低く冷たい声。

 リンランが振りあおぐと、ドアの隙間から、背の高い金髪の青年が、こちらをのぞいた。きれいな顔に不気味なほど白い白粉おしろいを塗りたくり、目元や鼻や唇を赤の顔料で色づけている。ピエロのメイクのようだ。服装も原色で、悪趣味なピエロのよう。


「ヴァンサン? もどってきたの? 何、その顔……?」


 ヴァンサンは無言でドアを開け、部屋に入った。

 妖艶で冷徹な雰囲気。面影はあるのに、リンランの知っているヴァンサンと違う。

 怖くなり、後退る。

 ヴァンサンはリンランに迫り、腕をつかんで無理やり立たせる。

 白く長い指は強く乱暴で、痛かった。

 彼はささやく。


「リンラン、この世界はおかしいと思わないか?」

「え?」

「純粋な者は虐げられ、愚鈍で狡猾な者が笑って過ごす。私に与えられた能力はそんな世界を変えろという神の意思だったんだ」

「何言ってるの? やめて。放してよ」


 腕を振って指を払った。


「私の言うことが聞けないのか?」


 ヴァンサンはリンランに指先を向け、動かした。

 戸惑う間もなく、リンランの手が勝手に持ち上がり、ヴァンサンの広い肩にそっとかけられる。

 戦慄せんりつが身体を突き抜けた。


「いやだよヴァンサン」

「私はシアラミーレ人全員を、いや、この世のすべての人間を操り人形にする」

「ヴァンサン……」

「これでもう誰にものけ者にされない。私も、きみも」


 意思と関係なく、リンランの手はヴァンサンの肩を押し、彼の上半身をベッドに倒した。勝手に動く顔が、勝手に彼の奇妙な顔まで寄せられる。


「そんなの間違ってる。誰も誰かの操り人形なんかになりたくないよ」

「わからずやのリンランはいらない。私のお人形のきみになれ」


 頭が勝手に動き、乾いた唇がヴァンサンの原色の唇に触れそうになる。

 いやだ。

 いやだ。

 いやだ。

 横から鋭い三叉みつまたやりが飛んできて、リンランとヴァンサンの鼻先をかすめる。

 反射的にのけぞった。


「この変態ピエロ!!」


 ドアの向こうから、オンダが駆けこんだ。すばやくガブリエルくんを拾いあげると、リンランの肩をつかんで引っ張る。





 目覚めれば、リンランはベッドで息を荒くし、びしょ濡れのオンダに手を握られていた。

 ここは宿屋。まだ夜も空けていない。

 冷や汗が噴き出て止まらなかった。


「い、今の、幻霊げんれいのカケラ……」


 幻霊のカケラは、幻霊族の力が込められた小さな塊。能力者が自在に操ることはできないが、わずかな力を発動することができる。


「どっかにひっつけてやがったな」

「取り込まれていたら夢に囚われて目が覚めなかった。ヴァンサンが……」

「でもギメアは幻霊よけをしてるはずだろ。いったい……」


 はたと気づく。

 幻霊よけは、ギメアを襲う強力な幻霊族に対して想定され、設けられているのではないか。カケラが非常に小さく、ともしびのように無力で小さな者の中に包まれていれば、その網を抜けられるのでは?

 オンダも気づいたようで、顔を歪ませあたりを見渡した。

 ベッドのかげから、ガブリエルくんがおそるおそるこちらの様子をのぞいている。


「てめえだな!」


 オンダがガブリエルくんをつかみ、握りつぶそうとした。


「あう、あうう。僕知らなかったの」

「やめてオンダ!」


 大声をあげ、オンダからガブリエルくんを取り上げる。


「ふざけんな! こいつのせいで……」


 オンダを無視し、放心しているガブリエルくんに顔を寄せて宣言した。


「ヴァンサン、聞いているか? 私はきみのお人形なんかには絶対ならないからな。昔とはもう違う」


 ヴァンサンとふたりきりだったあの頃とは。

 チラリとオンダを見た。彼女は顔を背けている。気に食わないのだろう。



 

 シアラミーレの城。月明かりが差し込む大きな窓辺。寄りかかるヴァンサンは、ゆっくり目を開けた。

 昔リンランに再会したとき、ガブリエルに幻霊のカケラをつけておいた。

 真実の自分を見て、彼女は逃げていった。敵対する組織の一員だった、氷霊族ひょうれいぞくの老騎士のもとへ。

 許せなかった。

 だからいつかリンランがもっと遠くに逃げる場合に備え、夢にとらえてやろうと。

 指を、操り人形の糸を操るように動かす。


「迎えに行くよ。私のお人形」

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