第1話 女ふたりと人形ひとりの逃亡
十年後。
シアラミーレの王宮に、屈強な兵士が押しいった。霊族の火や毒がまかれ、城内の衛兵が次々殺されていく。
城の最奥では、王族たちが身を寄せ合い、怯えていた。衛兵を殺し尽くした血みどろの兵士たちが、波のように押し寄せる。
王が王族をかばい、兵士たちに
「きさまら、シアラミーレの王族にこんなことをしてただで済むと……」
「残念。こんなことをしているのもまた王族だ」
カツカツと、悠然とした足音が響いた。
白マントの男が悠々と歩いてくる。
くるくるの金髪に青い目。きれいな顔。にこやかな表情。
極めつけは、顔じゅうに塗りたくられた
妖艶な雰囲気も相まって、女のようにも見える。
背後から、仮面をつけた男が続いた。
「きさまはヴァンサンか……? その格好はなんだ?」
ヴァンサンは王族の一人で、身分が高い。少し前に貴族連中のパーティで見たときは、顔がきれいなだけの普通の青年だったのだが。
「美しいだろう。真実の私さ」
気取って言うと、兵士たちが歓声をあげた。
「閣下かっこいい!」
「閣下美しい」
ヴァンサンは丸めた手を口元に当て、フっと笑った。
王は虫唾が走る。
「血迷ったか」
ヴァンサンは人差し指を左右に振り、舌をチチチと鳴らす。
「ノンノン。今日のためにじっくり何年もかけたんだよ。陛下に隠居してもらうためにね。有力貴族はみんな私の味方さ」
「甘い。きさまは真に高貴な血筋をみくびっている」
王は手をかざす。念じると、オーラを帯びた大きな砲弾が浮かんだ。ヴァンサンに向かって撃とうとする。
「
幻霊族の能力は、能力者が思念した幻と現実の境界を曖昧にすること。高い能力値の者であれば、
国で唯一の
ヴァンサンも手をかざし、ひゅっと
「私の愛を受け取り」
紐がオーラをまとい、王の首を締めあげる。
王はもがき首を掻くが、次第に大人しくなり、ぶらんと手足と首を垂らした。
「陛下」
王族たちが見守るなか、王は突如舌を出し、犬のようにハッ、ハッと息をしだした。ヴァンサンがニコニコと拳を握り、幻霊の力を解除して紐を消失させる。
王は這いつくばって足元にすがった。
「ご主人様」
「知ってた? 幻霊の力は幻を現実にするだけじゃない。脳にも影響できるの。修行の末にようやく身につけた私の極地」
王族たちは嘆く。
「神よ。なぜこの男の存在を許していたのです」
ヴァンサンは手をかざし、幻霊の念の紐を放出させた。
一か所に捕らえた王族たちに紐が絡みつくと、みな四つん這いになる。犬のようにヴァンサンにすがった。
「ご主人様」
「さあて。ネーズ侯爵のお家まであの子を迎えに行くかな。遊びに行ったらしいから」
ヴァンサンは黒髪の虚弱な少年のことを考え、うきうきとした。
一番お気に入りのお人形。しばらく会っていない。ガラスケースに入れてたっぷり遊ぼう。
伝令の兵士がヴァンサンのもとへ来る。
「閣下、ネーズ侯爵の家にリンラン殿下は来ていないそうです」
「……嘘つかないで。屋敷のどこかに隠れてるんじゃない?」
「本当です。ただ侍女に手紙を持たせ、身代わりに遣わせたらしく」
「手紙?」
「ええ。手紙には『私がここにいるという体にしてください』と。今朝その侍女は
「ふーん」
「川辺に侍女の服や靴があったので、身投げしたのではと言われています」
ヴァンサンは顎をなでた。
自分を欺くために工作していたのか。誰も気づかなかったクーデターも、すべて見透かしていたようだ。
やはりあの子は誰よりもこざかしく、頭が切れる。
「そういうところがかわいいんだけど。私のお人形」
上機嫌で、控えている仮面の男を振り返った。男は片ひざをつき、手の甲に口づけしてくる。
ヴァンサンは身をかがめ、彼の耳元でささやいた。
「リンランを捕まえてきて。生きてるなら状態は問わない」
「御意。閣下のために命を捧げます」
「大げさだなあ」
「ところで従者は?」
「ん? ああ。あいつか。きみの好きにしていい。ついでにあの時やあの時の落とし前もつけなよ」
仮面の奥の瞳が燃えたった。ヴァンサンは目を細める。
「苦戦しそう?」
仮面の男の
これがこの男の力。ヴァンサンが与えた。
「いいえ。リンラン殿下の従者は
「うん」
「して、場所は?」
「フフ。検討はついてる。あの子のことはなんでもわかるもの」
だってあの子は私のお人形。
真っ平な草地がどこまでも続くアジーレ平原。シアラミーレの隣国だ。
乾いた大地にはまばらに草が生え、掘られた堀には川のように水が流れている。農業用の用水路のようだ。
土ぼこりを立てて走る馬がいた。馬の
黒の短髪の上には、小さなピエロ人形がへばりついていた。白いダボッとした服に金髪、青い目、赤い鼻。動くそれは、へとへとに疲れている。
「リンラン。僕疲れちゃった」
「ガブリエルくんはお人形さんなんだから筋肉も神経もないだろう。どうして疲れるんだい?」
「疲れたものは疲れた」
「しょうがないな。じゃあ休憩」
リンランは馬を止め、降りた。正直ガブリエルくんを口実にようやく休めると、少しホッとしている。
リンランの都合で休めば、後で合流する口うるさい相棒に叱られるから。
ピエロ人形のガブリエルくんは、リンランの頭にへばりついたまま、あたりをキョロキョロ見回した。まばらに生える草陰に、水が流れているのに気づく。
「あ、川がある。連れてって」
「自分で行けばいいじゃないか」
「僕一人じゃ怖い。ハゲタカにさらわれちゃう」
空を仰いだ。雲一つ、鳥一羽ない青空。
「ハゲタカなんかいないよ」
「さらわれちゃうのやだ! 一緒にリンランに行けなくなっちゃうんだよ」
ガブリエルくんは小さな手足をジタバタさせ、幼い子どものようにダダをこねる。
「怖がりなんだから」
リンランは水辺に近寄った。水面にチロチロ小魚の影が浮いている。ガブリエルくんはぴょんっとリンランの足元に降り、のぞきこんだ。
「わあ。お魚さんいっぱい」
「そうだね」
用水路のようだが、魚が住み着いたのだろうか。
ふっと、大きな魚のかげが映る。
「あいつでっかい」
ガブリエルくんはそのあたりに落ちていた棒の欠片を広い、先っぽを水面にかざした。棒を握る人形の手から、思念の糸が放出される。紐は棒をつたい、具現化して釣り糸のように水面に垂らされた。
ガブリエルくんは
「リンランの夕ご飯にしてあげる」
「あんなに大きくちゃ釣れないよ」
「リンランの夕ご飯にするんだもん。僕がんばるもん」
ガブリエルくんは大まじめで水面を凝視する。
リンランはいとおしさに目を細めた。彼は臆病で弱いけれど、いつもリンランのことを思ってくれる。一緒にいると居心地がいい。
昔の彼のように。
遠い過去に思いを馳せていると、ガブリエルくんの思念の釣り糸がピンと引っ張られた。獲物がかかったようだ。
「来た来た」
ざばあっと水飛沫とともに獲物が釣りあげられる。透明な髪に丸い目の、日焼けした女戦士が現れた。
「うわああ」
「てめえクソ人形、気ぃ抜いてんじゃねえ!」
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