秘密基地はそこにない

一花カナウ・ただふみ

秘密基地はそこにない

 戻ってくる予定はなかった。

 こんな辺鄙な田舎に戻らねばならないような用事なんてできるはずがなかったから。



 そう決めて大学進学と同時に都会に出た僕に送られてきたショートメッセージには懐かしい名前があって、彼女の訃報を知ってしまったら足を運ばざるを得なかったんだ。


「――やあ、君か。まさか戻ってくるなんてね」


 出迎えてくれた男は元クラスメイトで、物心がついた頃からずっと僕に嫌がらせをし続けていたことを思い出す。


「そういうあんたは、よくこんな場所に居続けられるな。感心するよ」

「一つの場所に居続けることができない人間は、どこに行ったって自分の居場所なんか得られないだろうよ。気づいているんだろ?」


 ――やっぱり昔から変わらない嫌なヤツだ。


 僕は返事をせず、彼女の実家に向かう。

 受け取ったスケジュールから考えると、これから出棺のはずだ。葬式を終え、荼毘にふされる。


「おいおい、無視かよ」

「……こんな時間にここにいるってことは、あんたは葬儀に参加しなかったんだな」

「君が帰るっていうから待っていてやったんだろ」

「別にあんたとは仲はよくなかったじゃないか。それに――」


 僕は言葉を飲み込んだ。

 彼女と彼は恋人同士だった。親が決めた間柄ではあるのだけれど、幼馴染でもあったし、二人はとても仲が良かった。

 僕が間に入る余地なんかないくらいには。


「昔のことだよ」


 僕の言いたかったことが伝わってしまったらしく、彼は呟くようにそう告げた。


「おや、ひと足遅かったようだ」


 霊柩車がゆっくりと正面からやってくる。こんな田舎町だ、葬式がたくさんあるはずもない。彼女の遺体が載せられた車だ。


 ――顔も見られないとはな。


 戻らない決意で町を出たのだから、こうなることくらいは予想できた。さみしくは思えても、恨むことはできない。これは自分の選択が招いた結果なのだ。

 僕たちは道の端に並んで立ち、霊柩車が通るときに一礼をして見送る。ここから火葬場に行くつもりはなかった。


「――もうやり残したことはないのか?」


 彼が尋ねる。ぼう然と立ち尽くしていた僕に。


「なあ、もう戻らないつもりなのか?」


 なにも喋らずに霊柩車が行ってしまった方向をずっと見つめている僕に、彼は別の問いかけをした。

 僕は無視して駅に戻ろうかと考えたけれど、不意に視界に入った彼の表情がとても切なげで、大きく息を吐いて苦笑を作った。僕がこの町で手に入れたスキルで、都会に出てからもずっと活かされているこの表情で、本音を包み隠して言葉を返す。


「ああ……戻らないよ。これで本当に未練はなくなったからね」

「……そっか」


 彼は空を見上げた。

 つられて見上げると、夏の始まりといえる真っ青な空がそこにはあった。


「小さい頃、秘密基地作って遊んだの覚えているか?」

「なんだよ、急に」

「あそこ、整地するからって全部もうなくなっちまってるんだけど、壊す前にアイツと見に行ってさ」


 アイツ――それは死んだ彼女のことだ。


「え?」

「秘密基地にはデカイブリキ缶が残っていて、その中にたくさんの手紙が入っていてさ」

「なんだよ、それ」


 真夏のホラーでも始まったのか? 意味がわからなくて笑うと、彼は僕に目を向けた。視線だけ、ちらっと。

 その意味がわからなくて首をかしげると、彼は悲しげに笑って、つうっと一筋涙を流した。


「アイツ、ずっと君のことを想っていたんだぜ? 俺とキスしたときも、抱かれていたときも、ずっと君のことを想っていたんだって」

「はぁ?」


 今さら、なんだ、それ。


「だから、これは君への復讐なんだ」


 脇に抱えていたボストンバッグからたくさんの手紙が出てくる。それを空に向かってばらまいた。


「アイツが君に書いた手紙だ。全部、全部! 燃やさずに残しておいてよかったよ」


 ひときわ強い風が吹いて、封筒に入った手紙があちこちに散らばっていく。


「俺から伝えたかったのはそれだけだ。じゃあな」


 たくさんの手紙を目で追っている僕の肩を小突くようにすると、彼はその場を立ち去った。


「……なんだよ、それ」


 告白する勇気がなかったから? だから、こんなことに?


 戻らなければよかったなんて思わない。彼女の真意をここで知ってしまったことも後悔はしない。


 手元に一通の封筒が飛んでくる。表には僕の名前。裏には彼女の名前。よく知っている彼女の手書きの文字。

 封を開けて手紙を見て――結局読まずに破り捨てた。


 僕は空を見る。雨なんて降っていないのに頬が濡れる。

 遠くに、天に昇る細い煙が見えた。


《終わり》

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