木登りと朝食

 不覚にも寝てしまった。

 手帳の謎を解明するために、みんなが寝静まった後に実験したいことがあったんだけどな。

 昨日調子にのってワインを飲みすぎたのだと反省。


 ふらふらと立ち上がり、ヒッコリーさんから受け取った冷たい水で顔を洗った。


「ふぁ。目が覚める……クレソンさんは?」

「ああ、昨日仕掛けた罠を見に行ってるんじゃないのか?」


 俺は昨日仕掛けて回った辺りを追いかけてみると、クレソンさんの背中を見つけた。

「おはようございます」

「起きたか、ちょうど良い。これを持ってついてきな」


 言われて差し出されたのはウサギ。

 気絶しているのか死んでいるのか、ぐったりしていて動かない。

 俺は取り敢えず耳を持ってぶら下げてついていく。


 結局本日の当たりはこれだけだった。

 それでも当たりは当たり。

 ほくほく笑顔で帰宅するクレソンさんについていき、商隊へと戻った。


「コックの兄ちゃん、朝飯はこいつを使ってくれ!」

 朝とは思えない元気一杯の声量でそう叫ぶと、荷車の向こうから返事が聞こえる。


「獲物か。朝の修行が終わったらな」

 相変わらずブレないヤツだ。


 その修行の様子を見学に行っている間に、すっかり皮を剥がれたウサギのお肉がかまどの横に置かれていた。

 解体作業を見逃したのは残念だが、商隊の朝は忙しいらしく、クレソンさんもせっせと出発の準備を整えている。


「ウサギか」

 修行の汗を拭きながらアドルフが近寄ってきた。

 上半身裸なので、鍛え上げられた筋肉がよく分かる。

 この世界の住人は体が資本だからか、酷く太ったものを見ることはないが、アドルフほど筋肉をつけている者も多くはない。

 プリンは例外だが。


「どうしたフミアキ、男の体に興味があるクチだったか?」

「いや、これっぽっちも。ただよく鍛えているなと感心してたんだ」

 素直にその褒め言葉を受け取ると、アドルフは服を着た。


「別にわざわざ鍛えた訳じゃねぇ、剣を毎日振ってたら勝手にこうなっただけだ」

「その努力が凄いと言ったんだよ」

「なんて事はない。お前も剣を握ってみると良いさ。戦えて損することなんてないぞ?」


 アドルフの言う通り。

 自分の体は2年間の引きこもり生活で完全に鈍ってしまっていた。

 もちろん剣を振ることなんて無かったし、武術の経験もないので、鈍ったという言葉が当てはまるかさえわからないが。


「ああ、それも良いかもな。いつまでもひのきのぼう一本で戦うわけにもいかないだろうしな」


「やる気じゃねぇか、棒でも良いから振り続けろよ。百回振れば百回。千回振れば千回分強くなれるぞ」

「千里の道も一歩からってヤツか」

「そうだ」


 アドルフは会話をしながらもウサギをさばく手は止めない。

 あっという間に手足を切り落とし、腹を尻から裂いて内蔵を取り出す。


「こっちは今回は使わねぇから、その辺の草むらに捨てといてくれ」

「あいよ」


 俺は渡された内蔵を、道から少し離れた木の根本に捨てた。

 きっと野生動物のエサになるのだろう。


「なにやってんの?」

 不意に声を掛けられたが、どうやらおかしな方向から聞こえたので、俺は顔を上に向けた。


「いや、むしろプリンはそんなところで何をやってるんだ?」

 そこには大木の上からぶら下がってこっちを見ているプリンがいた。


「修行よ修行」

 そう言いながらするすると木を降りてくる。


「木登りがか?」

 手についた内蔵の血をその辺の葉っぱに擦り付けながら俺が聞くと、プリンはため息をついて返事をした。


「バカね、木登りは全身運動よ。落ちると怪我をするから、無理してでも体を支えないといけないじゃない? 自分の限界を越えるのにちょうど良いのよ」


「ははぁ、そんなもんかねぇ」

 俺は納得したのかしてないのか、中途半端な受け答えをしながら木を見上げる。


「フミアキも登ってみたらどう?」

「いや俺は良いよ」

「あら、千里の道も一歩からじゃなかったっけ?」

「聞いてたのかよ」

 俺は頭をポリポリとかく。


「木登りは体力作りに手っ取り早い方法だから」

 もうやることになっているのか、プリンは説明をし始めた。


「分かった分かった、飯もまだだし、いっちょ登りますかね」


 記憶にある木登りは、子供の頃に祖父の田舎に遊びに行った際にアケビという果物を収穫した時くらいだ。

 もちろん大人になって木に登るなんて思いもしなかったが。


 俺は取り敢えず手近な枝の根本に両腕で捕まった。

「よいしょ、う、ぐぐぐぐ!」


 足をバタバタさせながら枝に向かって腕を引っ張るが、思うように体が上がっていかない。

 完全に運動不足が祟っている。


「わぉ……酷い有り様ね」

 プリンは思いっきり笑っている。


「くそっ、んんん!」

 必死で引っ張りあげ、なんとか腹を枝に乗せることが出来た。

 片方の手でもう一つ上の枝に手をかけて、体を起こそうとする。


「あ、その枝は!」

 プリンの言葉が聞こえると同時に、枝が根本からぽきりと折れ、俺は体制を崩した。


 落下してしまった俺は地面に叩きつけられるのを覚悟したが、下に居たプリンに見事キャッチされて事なきを得た。


「あっぶねぇ!」

 ほっとしたつかの間、現状を理解した。

 23 歳男子が女の子にお姫様抱っこされてるという気恥ずかしさ!

 急いでその腕から地面に降りた。

 プリンはそんなこと特に気にしていないようで、俺に怪我が無かったことに安堵あんどしている様子だ。


「あの枝、よく見て」

 俺はプリンが指差す方向を素直に見る。

「枝の根本が木の皮に巻き込まれているでしょ?」


 言葉だけでは言っている意味が分かりにくかったが。

 どうやら不要な枝や傷ついた枝は、木に付いたまま枯れてしまうことがあるらしい。

 その後も木は成長するので、枝の根本が皮より内側にめり込んで見えるのだ。


「あれは今みたいに折れるから信用しちゃだめよ」

「ああ、身を持って理解したよ」

 軽い運動で汗をかくつもりが、冷や汗をかいてしまった。


 小説とは関係なくても、知っておくべき知識というのはいっぱいあるなと感じる。

 知識として知ることも大事だが、一歩間違えば怪我をして居ただろう、こういう体験こそ忘れないものだ。


「なかなか難しいもんだなぁ」

「でも筋肉使うでしょ?」

「確かに、運動不足だって実感したよ」

 俺から自然と乾いた笑いが漏れる、初日から心が折れそうだ……。


「木登りはコツも必要だからね、明日も挑戦してみるといいわよ」

「明日も? うーん、怪我するのがオチじゃないかな」


 俺が渋ると、少し口ごもりながらプリンが提案してきた。

「じゃぁ、さ……明日も私と一緒に練習すれば良いんじゃない?」


 何故か目を合わせず横を向いてそう言い放つ。


「でもプリンの修行の邪魔になったりしないか?」

「大丈夫よ、その分早起きするだけだしフミアキが気にする事じゃないわ」


 向こうから提案してくれたが、少し口調が強い気がする。相変わらず顔は背けているし。

 迷惑をかけてしまうのは事実だし、ここはちゃんとお礼を言っておくべきだろう。


「そうか、俺のためになんか悪いな」

「別にフミアキのためじゃないわよ。このままじゃパーティの足手まといになっちゃうから仕方なく稽古けいこを付けてあげるって言ってるだけよ」


 そういう意味か。

 やはり今後足手まといになってしまう事を懸念けねんしていたようだ。


「俺、頑張るから見ててくれ」

「い、言われなくても見てるわよっ……!」


 そう言うとプリンはさっさと夜営地の方に歩き出してしまった。


「基礎体力くらいは付けとかなきゃだよなあ」

 俺はもう一度木を見上げてため息を一つ落とすと、プリンの後を追った。



 商隊はすでに出発の準備を終え、いまやアドルフの作る朝食待ちとなっていた。


「急かすな、もう出来上がる」

 今か今かと竈の回りに集まる御者ぎょしゃさん達が、子供のようでなんだか笑える。


 今更だがこの商隊は自分達を抜きにして4名の小さなものだ。

 リーダー格のクレソンが、王都でワインを卸す商人的な立ち位置だが、御者も兼ねているため少人数で回れるのだそうだ。

 2台の馬車に2人ずつ交代しながら走らせるし、荷降ろしも自分達でやるという。


 ただ戦闘に関しては4人では心細い。

 つまり頭数として俺たちは雇われているに過ぎない。

 何せ、絶対俺よりはこの人たちの方が強いんだから。


 そんな屈強な男たちが、食器をカタカタ鳴らして座っている様はちょっと面白い。


「ええい、うるさい! 早く食器を持って並べ」


 木の枝に挿したウサギの肉の胴体部分を、直接火であぶっては、表面だけをこそぎ落とす。

 ドネルケバブとか、北京ダックのような感じか。

 それをライ麦パンに野菜と一緒に挟んだものが人数分用意されていた。


「お茶いれてるので持っていってくださいね」

 そこにタイミングよくローラレイが現れ、お盆に乗せた飲み物を配ってゆく。


 みんなで囲む朝の食卓。

 笑顔に包まれた一日のスタートからは想像できない一日になるとは、このときは知るよしもなかった。

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