第10話・冬


 今日も今日とて、いつも通り仕事をしていると、突然陛下に執務室に呼び出された。そして、私を前に、陛下はとんでもないことを申し付けたのである。

 告げられた内容に追いつかず、私は呆けた顔で陛下と柏葉ハクヨウさんを交互に見た。

 

 陛下から告げられたお言葉は、

「――功績を称え、リー暁明シァミンリュイ雹華ヒョウカ下賜かしすることとする」である。


 二人とも、にこにこと涼やかな笑顔を浮かべている。


 下賜?

 

「ちょちょ、あの、意味が分からないのですが?」


 これ以上ないほどの笑顔の陛下と柏葉さん。そして、その正面には開いた口が塞がらない私。

 執務室は、混沌カオスに包まれている。


「そなた、科挙に合格したこの国有数の人間だろう。そんなそなたが、なにが分からないというんだ?」

「いや、全面的に意味が!」


 吕雹華妃は後宮の上級妃だ。上級妃の下賜なんて聞いたことがない。しかも、雹華妃は暁明が仕える妃でもある。妃がいなくなったら、暁明……じゃなかった、私、雪玲シューリンはどうなるのだ。


「そなたは異例の大出世を遂げた、これまでにないほど優秀な文官だ。なんの問題もないではないか」

「ありますあります。問題大ありです。そもそも私はなんの功績も上げていませんし、陛下が勝手に私を優秀な文官に仕立て上げただけでしょう」

「まあ、聞け」

「聞いていられるか!」


 陛下に手で制されるが、落ち着いてはいられない。思わず食ってかかると、柏葉さんが笑顔で私の両肩を掴む。


「まあまあ、暁明。陛下に暴言はいけませんよ」


 笑顔が恐ろしく黒い。


「失礼いたしました……」

 

 柏葉さんになだめられ、私はふーっと息を吐き、陛下を見る。


「私は今から、雹華妃にそのことを告げに行く」

「なっ……」

 

 口を開こうとすると、柏葉さんに手で口を塞がれる。

 

「むぐっ!」

「黙ってお聞きなさいね」

「安心しろ。今回はそなたも連れていく。下賜までにいろいろと支度をしてもらう必要があるからな。分かったか」


 私は柏葉さんの手をどけると「分かりませんってば!」と、強く返す。


 強引にも程がある。これならば、殺された方がどれだけましか。

 

「陛下。空いた貴妃の件も話しませんと」と、柏葉さんが陛下に耳打ちをする。漏れ聞こえた内容に、私はハッとする。

 

「そうですよ! 雹華妃は宰相のご長女ですよ。下賜なんてしたら……」


 というかそもそも、二人は良い仲だったのではないか。

 

「それについては問題ない」

「問題ない?」

「まずは、雹華妃の話をすることにしよう」


 私は眉を寄せ、陛下を見やる。

 

「雹華妃と私は、昔馴染みなんだ」

「なんと」

「雹華妃は、幼い頃から男が苦手だった。だから、彼女の希望で男のいない後宮に入れたのだ。建前上は、私の妃として」

「……では、陛下と雹華妃は……」

「ただの昔馴染み。それ以上でも、それ以下でもない」


 つまり、好きでもない男の子を産むくらいなら、乙女で貫き通したいということか。潔癖で繊細な彼女らしい。

 

「なるほど……でも、それならなおのこと、雹華妃は結婚だなんて嫌がるのでは? それともなんです? 私が実は女だからとか言いませんよね?」


 目の前の人物が天上の人であることを忘れ、私は睨むように陛下を見つめた。


「言っただろう。雹華妃は、私が行くといつも雪玲という侍女の話ばかりすると」


 雪玲……は、私だ。だが、今の後宮の雪玲は、私ではない。入れ替わっている弟、暁明だ。


「そ、それは……つまり」


 冷や汗が、たらりと背筋を辿った。


 ようやく合点がいく。つまり、雹華妃は恋をしたのか。私に成り代わった暁明に。


「……雹華妃は、雪玲の正体をご存知なのですか?」


 もし、暁明を女として好いているならば、それはそれで裏切っているようなものである。

 おずおずと尋ねると、陛下はこっくりと頷いた。

 

「あぁ。知っている」


 陛下が教えたのか、暁明が打ち明けたのかは分からないが。とにかく、暁明と雹華妃は恋仲にあるらしい。


「で、でもでも、たとえ雹華妃が承諾したとしても、吕宰相は納得しないのでは?」

「いや。元々宰相は雹華妃の事情を知っている。問題ない」

「ですが、後宮での問題がまだあります。貴妃がいなくなったらどうするんですか。貴妃は後宮内の秩序を取り仕切る大変重要な妃です」

「だから、いるではないか。最も貴妃に相応しい候補者が」

「誰です?」


 そんな人物いただろうか。後宮事情に詳しくない私には、まるで検討もつかない。

 ぐるぐると考えていると、不意に陛下がにやりと笑った。なんだか、嫌な予感がする。


 そして、陛下は言った。

 

「次の貴妃は、雪玲だ」

「…………は?」


 雪玲?


「雪玲はなんといっても、私の側近である暁明の姉君だ。それに、吕宰相とも親戚になる。教養もあるし、なんの問題もない」

 

 開いた口が塞がらない。

 

「というわけで、新しい貴妃として、雪玲を迎えることにする」


 陛下はなんの冗談か、そんなことを言った。

 

 雪玲とは、私だ。でも私は今暁明で、文官だ。男だ。あれ? なんか混乱してきた。つまり、暁明が陛下と結婚するの? いや、違う。暁明は愛する雹華妃と結婚して、雪玲が陛下の妃になるのだ。そしてその雪玲というのは、私……。


「どうした? 暁明?」

「…………」

「……陛下、おそらく暁明は、衝撃のあまり目を見開いたまま気絶しております」

「……私の寝台で、しばらく寝かせてやれ」

「かしこまりました」

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