往く人、来る人
シンカー・ワン
じぃちゃん
年の瀬の喧騒を忘れたみたいな静かな病室の中で、何かを主張するように聞こえていたバイタルモニターからの、弱々しいがそれでも確かに発せられていたバルス音が途切れ、ピーと続く長い音に変わる。
容態の異変に気がついた看護師や医師がやって来てあれこれと手を施すが、途切れてしまった音は戻らなくて、
「――残念ですが」
医師がそう言うや俺の両親、伯父や叔母達、とりあえず駆け付けてこれた親族一同が、病室のベッドに横たわる人影の元へと駆け寄り号泣し始める。
――じぃちゃんが死んだ。
年が明ければ卒寿を迎えようって歳だったが、かくしゃくとしたもので、二十代半ばの俺なんかよりもパワフルだった。
だのに、ちょっと風邪をこじらせたから大事を取って入院したと思ったら、あっという間だ。
あまりに突然すぎて感情がついてこない。
親族達がじぃちゃんを取り囲むようにして泣いている姿を見て、逆に気持ちが落ち着いてしまっていた。
なんだか口が寂しくなったので、病室から離れて喫煙エリアへと足を向ける。
静かで仄暗い病院の通路をとぼとぼと歩いているうちに、吹っ飛んで行った感情がゆっくりと戻ってきて、じぃちゃんとの思い出が、他愛のないやり取りの数々が、頭の中に鮮やかに甦ってくる。
あんな話もした、こんな話もしたっけ。
孫の俺と戯れるのを、楽しそうに嬉しそうにしていたじぃちゃんの顔が浮かんだら、涙腺が決壊した。
じぃちゃん、俺もっとじぃちゃんと話したかったよ。遊びたかったよ。
じぃちゃん、俺、じぃちゃんの事、大好きだったよ。
口元を手で押さえ、嗚咽を堪える。
でないとガキみたいにギャーギャーと泣き喚き散らしてしまいそうだったから。
通路の壁に身体を預け、声を殺して泣く。
ただ、泣く。
流すだけ涙を流したから落ち着いたのか、壁から離れることが出来た。
煙草を喫う気持ちはとっくになくなっていたけれど、病室に帰る気もしない。
まだ、じぃちゃんの顔を見るだけの、強い気持ちは戻ってきていないから。
「――ええ、はい。そうです、元気な男の子で」
どうしようかと思っていたら、通路の先から声が聞こえてきた。
惹かれるようにその声のする方へ足を向けると、携帯利用エリアで俺より少し年嵩に思える男が、紅潮した顔でこれ以上に嬉しい事はないって感じで携帯に話しかけていた。
こぼれ聞こえてきた内容から察すると、初めての子供が、ついさっき生まれたらしい。
話している相手は遠方に住む祖父母のようだった。
「
俺の背中越しに看護師が誰かを呼ぶ声がする。
中島というのは、今嬉しそうに電話をしている彼の事だろう。
呼ばれた事に気づいた彼――中島氏――は、また連絡する事を何度も言って通話を終わらせ、看護師の方へと歩みだし、進行方向にいる俺と一瞬目が合う。
「おめでとうございます」
すれ違いかけた時、なぜか俺は軽く会釈をしながら、そんな事を中島氏に向かって言っていた。
見ず知らずの男からそんな事を言われた彼は一瞬驚いた顔をしたが、俺が電話をする真似をすると、通話内容が聞こえていた事を察したみたいで、すぐに破顔して、
「ありがとうございます」
と、父親の顔で笑みを浮かべ、我が子が待つであろう場所へと去って行った。
中島氏が去っていた方向をしばらく見つめたあと、俺は彼がいた通話エリアへ移動して携帯を取り出し、メモリーの一番上のナンバーをコールする。
「――サト? 俺、
サトは俺の彼女で、じぃちゃんにも何度も会ってて、かなり気に入られていた。
サトの方もじぃちゃんの事が大好きで、今回入院した事にも気を揉んでいたので、彼女には辛い知らせになってしまった。
「泣くなよ……」
電話の向こうで見舞いに行けなかった事を悔やみ、泣きじゃくるサトを宥め、落ち着きを取り戻すまでしばらく待ってから、電話した一番の理由を伝えにかかる。
「いいよ、いいよ。じぃちゃんだって気にしないだろうって。……でなサト、じぃちゃんの喪が明けたら結婚しようか。子供つくろ、たくさんさ」
携帯の向こうでサトが絶句した様子が伝わる。
それから、タイミングがどうの、もっと早く言ってくれてればどーのと、なんだかおかしなテンションになったサトに、あれこれと文句を言われ続けた。
さっきまで泣いていたのに、たいした変わりようだよな。
それを聞きながら俺は思う。
十分に生きて逝ったじぃちゃん、入れ替わるように生まれてきた中島氏の子供。
どこかで別れる事があっても、またどこかで新しく会う事もある。
そんな風に人生は巡っていくんだろうと。
耳に響くサトの罵声に、なぜか心地よさを感じながら俺は笑ってた。
この電話が終わったら、じぃちゃんに会いに行こう。
サトと結婚するのを決めた事を、伝えに行こう。
じぃちゃん、俺、サトと生きてくよ。ずっと見守っててくれよな。
往く人、来る人 シンカー・ワン @sinker
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