雨桜

青海老ハルヤ

雨桜

 ふと、雨に濡れて帰ろうと思った。強い大粒の雨の日だった。風はないけれど、なんだか嵐、と表現してみたくなるような雨だ。遠くは白濁したカーテンが掛かっているように悶々として見えない。開きかけた折りたたみの傘を閉じ、雑多なカバンの中に押し込む。どうせ今日でこのブレザーもスカートも着ないのだ。遠くに夕暮れの明かりが雲から透けて見えている。

 すぐさま雨粒が頭に当たってリズムを奏で始めた。タンタンタンタン……そのリズムに乗って足が弾んでいく。顔を拭っても仕方がない。目に入ってもどうでもいい。長い髪も邪魔なだけだ。手をブンブンと振り回す。そうだ、歌を歌おう。飛びっきりのお気に入り。昔から好きだった曲。周りに人は居ない。居てもどうでも良くなりそうだ。胸に熱いものが宿っている。ああ、ワクワクしてきた。

 雨の一粒一粒が歌っている。道の端に居座っている雑草も、今日は花屋のバラにも負けない。たんぽぽもミミズも今日はなんだか大好きだ。いや、やっぱりミミズは嫌かもしれない。てへ、なんて誰にも聞かれてないのに誤魔化してみる。舌を歯からちょっとだけ出して、頭に手を握って乗せるんだっけ。アイドルオタクの友達に聞いたやり方。名前は……忘れた。舌チラだったっけか。絶対違う。ベロちら? 絶対違う。まあいいや、私別に美少女じゃないし。そんなことは問題ではないけれど。

 今の私は無敵だ。多分。身体中に力が湧いてくる。敵も魔王も神様でもどっからでもかかってこいだ。嘘ですごめんなさい。まだ結果の出ていない大学の合否を思って謝る。何だこれはコントじゃないか。もう笑みが止まらない。私今サイコーに青春してる。

 その時、角を曲がるとまだ少ししか開いていない桜が視界いっぱいに溢れた。ほんのりピンクに染まった花びらがぼうっと揺れる火のように木にくっついている。こんなところに公園あったっけ。周りを見るとそもそも見覚えがないところに居た。どこだここ。

 雨のせいで公園には誰も居ない。だから、この桜は今私のためにある。そう思った。でもそれは故意的に、だ。脳が気分を何とか明るく保とうと無意識に動いているのがわかった。なんだがずっしりとした物をお腹に感じた。制服が水を吸って重くなっているのがわかった。

 桜を見て気分が重くなるなんて変だ。でもなんだか逃れられなくて、桜はモウモウと見えない重りを私に乗せた。

 その時、目の前にヒラヒラと1枚の花びらが落ちてきた。地面に落ちると、ぐっしょりと濡れた花びらは綺麗じゃなかった。アスファルトの黒ずみが透けて見えた。でも、なんだか目が離せなくて、しばらく雨に打たれていた。

 傘を開いた。カバンの中の卒業証書は無事だった。アルバムも。耐水性のあるカバンを買ってよかったと3年前の自分を褒めた。髪を絞るとだいぶ水が出た。

 親に怒られるだろうな、と少し憂鬱だったが、なんだか少し晴れやかな気持ちになっていた。また1歩足を進めた。

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雨桜 青海老ハルヤ @ebichiri99

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