第6話 初日

『先日隣国の――、首都の――にて一家とその使用人十数名が惨殺された事件について。鑑定の結果――行方不明の娘である――さんを容疑者として――』


 カウンター横に座った金髪の少女が退屈気にテレビを見やる。

 頬杖を突き、ぎゅっと目を瞑り大きなあくび。


Hi,May I have aこんにちは、ちょっと良い――」


 びくん、と肩が跳ね上がる。

 少女に声を掛けたのは銀髪の彼女。そう、ソフィアだ。

 しかし少女は額に眉を寄せ、あまり表情こそ大きく変化しないものの困ったかのような雰囲気で首を捻った。


「えーっと……あいきゃんとすぴーくいんぐしっしゅ?」

「あら? んん、これは失礼。てっきり日本人ではないのかと」

「おお、日本語うまい。あと私ハーフだから、ごめん」


 椅子からすくりと立ち上がった少女は、未だにテレビのニュースに釘付けながらもカウンターの奥へと立つ。

 どうやらこの少女、ここの関係者らしい。


「では改めて……ごきげんよう」

「こんにちは、初めて見る顔」

「ええ。今日は登録と買い取り、それに報告を……貴女で良いのですわよね?」


 登録と買い取り、そして報告。

 そう、ここはダンジョン協会。朝方に通り過ぎるついでとしてパンフレットを貰った場所へ、ソフィアは再び足を運んでいた。


 しかしそれにしても女性としては一般的か若干小柄な体格のソフィアであるが、目の前の少女は彼女からしても相当に小さい。

 下手をすればまだ児童かと思えるほど小さなこの少女が、いかにも当然といった様子で書類をいじくり回していることがどうにも納得いかずに確かめると、彼女はコクリと頷いた。


「こんな幼い子にやらせるだなんて……人手不足なのかしら」

「私はただのバイト、それにとても立派な高校生」


 むん、と表情を変えずに何故か胸を張る彼女。


 まあ人の発育はそれこそ人の数だけ変わる、ソフィアからすれば登録さえ出来れば後は何であろうと構わない。

 あまり質が良くないボールペンを握り、差し出された書類へ黙々と文字を書き込んでいたソフィアへ、テレビを眺めていた少女が口を開いた。


「捜索だってさ」

「通報なさるのならどうぞ」

「……いや、いいや。あんま悪い人にも見えないし、生きてたら色々あるよね。こっちは登録用紙だから」


 想像よりあっさりと流されたことに内心驚きつつ、ひたすらに文字を書き続ける。

 可能性としては己自身が去ったタイミングでの通報だが、どうにも目の前の少女からは本気でそういったことをすることはないという奇妙な確信があった。


 確認の為か、はらり、はらりと紙の捲られる音とボールペンが走り抜ける音だけが響く。

 ファルシュが丁度用紙を書き終えたその時、おもむろに彼女が口を開いた。


「苗字とかは?」

「確か協会は偽名や名だけでの登録も可能でしたわよね?」

「ん、分かった」


 話が早くて助かる。

 いや、きっと自分に限らず身分の怪しい人間がごまんと存在し、定期的にここを訪れるのだろう。

 少女も慣れた物という訳だ。


「はい、許可証。無くすと一万円かかるから。それとこっちは魔石二つ分・・・、魔力量から測定して一万と二千八百円。調査は多分明後日には入ると思うから、魔石取りに行くなら今日か明日までにね」

「ええ」

「気を付けてね」


 一体何に、かまでを聞くほどやぶさかではない。

 小さく頷き背を向ける。


「あと」


 ん、と無言で突き出される腕、その手に握られていたのは一枚の紙片。


「これ、ここら辺の地図。服の店とか、銭湯とかコインランドリーも……ああ、あと和菓子屋さんとか。いる?」

「ええ、是非に」

「ここあんま人来ないけど一応次来るときは帽子とか被ってきてね」


.

.

.



 ほんの数時間前まではあれだけ賑やかであったその段ボールハウス。

 されど今はまるきり静まり返って、傾き始めた陽光を黙々と受けている。


「これでよかった、そうですわね」


 開けた扉の先には誰もいない。

 薄暗く西日だけが僅かに差し込む部屋の中は、まだ朝の騒がしい雰囲気だけを保ったままのがらんどうだ。

 一歩、二歩、そして三歩踏み込んだソフィアの全身を大きな影が覆い隠す。


「何が良かったんですか?」

「ファルシュ!? 何故ここに!」


 金髪の長身、それはすっかり追い返しもう二度と会うことはないとばかり思っていたファルシュ。

 困ったような笑みを浮かべた彼女は部屋の片隅を指差し、古ぼけたバッグに視線を向けた。


「いやぁ、アハハ。だって服とかキャリーバッグここに置いたままですし……」

「あ、そうでしたわね……なら早くここから立ち去りなさい」

「そうですね」


 とぼけた顔つきにソフィアの表情が鋭く尖る。

 背後からフラフラと警戒のない足取りで近寄って来たファルシュは、ソフィアの真後ろで僅かにしゃがみ込み囁いた。


「でもその前に、もう一度・・・・確かめたいことがあるんです」

「そう。私にはなに一つとしてありませんわ」


 少女が振り返る。

 即座に腹部へ突き刺さる蒼銀の銃口。


「何か下らないことを考えているのなら諦めなさい。そして今すぐここから立ち去るの、無駄なお節介は寿命を縮めますわよ」


 燃えるような蒼の瞳が睥睨する。


「三度目の警告は不要ですわね」


 銃、ましてや魔法的特性を持ち合わせる魔道具であり、高度の戦闘をも可能にするほどの性能。

 ファルシュのシスター服ごと捩じり込まれた銃口が火を噴いたのなら、結果は余程の白痴者でもなければ瞭然だろう。


 唇を噛み締め、薄く上を見上げるソフィア。

 彼女は……笑っていた。


「なっ、くっ!?」

「引き金に指も掛けていないのに、本気なんですか?」


 ためらいもなくファルシュはソフィアの腕を掴み、グリップを握りしめてその手のひらを二人の前へと引っ張り上げる。

 事実、ファルシュの言う通りソフィアの腕はただ握りしめているだけ。確かに引き金には指が掛かっていない。

 再三に渡る次は無い、警告は不要だ言う割にはあまりに配慮のされた握り方。


 これではまるで、撃ちたくないと言っているようなものだ。


「はな……しなさいっ!」


 完全に拘束するつもりは無かったのだろう。

 身体能力の強化されたソフィアの膂力であれば、ファルシュの拘束を振り切るのになんてことはなかった。

 その腕を振り切り大きく飛びずさった彼女。それでもなお近寄ろうと試みるファルシュの足元へ銃口を向け、顔をしかめる。


 甲高い発砲音が二度響いた。


 一歩、近寄る。

 足元、その地面が小さく弾ける。

 けれどもファルシュが怯えることはない。例えるならテレビの中の銃撃戦、或いは本の中の撃ち合い。当たることがないと確信している銃弾を恐れる人間がいるだろうか。


「っ」


 ついにソフィアの背中へ樹皮が触れた。

 少女は目前まで迫った彼女に気圧され、いつの間にか自分自身が後ずさっていたことに初めて気付く。


「やめましょうソフィア」


 構えた銃口を覆い隠す手。


「どっちも戦う気なんてないのに、武器なんて向けたところで何の意味もありません」

「……困りましたわ。貴女、見た目に反して案外度胸も視野も随分とあるみたい」


 銃が光り輝き一枚のカードへと姿を変えたのが合図だった。


「何か事情があるのは分かってます、でなければこんなところで一人暮らしてるだなんてありえませんし」

「ええ、貴女の言う通りね。だからこそ立ち去ってほしいのだけれど」

「できませんよ、例えお節介でも。ここで立ち去って何かがあったら、きっと明日の私が今日を恨みますから」

「困った子ですわね」


 向かい合っていた二人の影が一方向へと進み始める


「今すぐとは言いません。でももし気が変わったのなら話してくれますか。私これでも生まれた時から聖堂暮らしでシスターやって来たんですよ、きっと助けになれます」

「逃げ出して来たのに?」

「場所や立場が変わっただけで全ての経験が無かったことになりますか?」

「っ……そう」


 たどり着いた段ボールハウス。

 少しだけ大きいかと思っていたが、どうやら相も変わらず狭いままになりそうであった。

 いや、本格的に二人で暮らすのならば、今のように寝る場所だけ拡張した、だなんてその場しのぎではなくいっそのこと、全体をもう少し大きくした方が良いかもしれない。


 ニコニコと相も変らぬ笑顔のファルシュに振り返り、ソフィアは小首を傾げた。


「貴女、家事の経験は?」

「へ? まあ掃除とアイロンがけ、それと軽い料理くらいなら聖堂でやっていましたけど……」

「そう。なら覚えるまでは許しましょう」

「……はい?」


 ぽかんとしたファルシュにソフィアは肩をすくめ、すこしだけ悪戯な笑みを浮かべる。


「私がそれを覚えるまでなら、滞在を許可しましょう。それも不満かしら?」

「い、いやいやいやいや! 是非にどうぞよろしくお願いします!」

「よろしい」


 段ボールハウスの奥へと消えていくソフィア、十数秒もせずに戻ってきた彼女の手には小さな紙切れと万年筆。

 一体なんだそれはと覗き見たファルシュであったが、既に刻まれていた一点分のペケによってすべてを思い出した。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ! それって!」

「ただし立ち去れという私の命令に従わなかったことでポイントを一点追加」

「え!?」

「そして許可を得る前、つまり立ち去れと言われたにもかかわらず、勝手に我が家に入ったことでことで更に一点。これで累計三点、五十点まで残り四十七ですわ」

「ええ!?!?!?」


 ぺけ、ぺけ。

 次々に刻まれていく無慈悲なVの字。


 唖然と口を開けるファルシュに銀の悪魔が眉をひそめる。


「何か問題でも? これは私の許容値ですの、貴女に文句を言う権利はありませんわ」

「文句しかありませんけど!? 今いい感じの雰囲気だったじゃないですか!!」

「追加で一点」

「……!!! ……!!!」


 今日はどうにか居座ることに成功したが、普通に生活をしてわずか二日で四つも刻まれてしまったファルシュポイント。

 下手をすればこのまま一か月もせずに追い出されてしまう可能性すら生まれてきたことに、ファルシュの脳内が焦りと緊張で染まっていく。


 ハウスの中へと再び姿を隠しキャリーバッグに洗濯物などを詰め込んだソフィアが見たのは、地面へと座り込み項垂れ、頭を抱え込むファルシュの姿であった。


「さあ、お風呂に行きましょう。その前にボディクリームとローション、それにランドリーで服も洗濯しないといけませんわね」

「はわ……どうにかポイントの削除を……寝ている間に……」


 小さなため息。

 そして銀の少女はふ、と笑い、亀のように丸まった背中を小さく小突いた。


「なにをぼさっとしていますの? 貴女も洗うものがあるなら纏めて来なさい。アイロンがけ、ちゃんと教えて頂きますわよ」

「……! はい!」

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