サムヤプロジェクト抄

坂本忠恆

或る諜報員の診断結果 付録


【CONFIDENTIAL】



 YYYY年8月21日を以って、本ドキュメントの機密レベルは引き下げられました。

 精神錯乱者保護に係る通常の守秘義務規定に基き、本ドキュメントの管理はXXXX配下に移管されました。



- APPENDIX -


図版1(メモ帳のものらしき紙片の写真。筆跡の乱れには明らかに錯乱の兆候が認められる)

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 邪悪さとはこの冷たさのことであったか! 金属のような舌触り、おお、まさしく虚無の冷感である。まるで砂鉄を口に含んだような、ああ、実に不快だ! 何度唾しようとも、消えぬこの胸糞の悪さ。

 私は何を見たというのか。私はなぜ生きているのか。及びもつかぬ、私などには、あの巨大さよ! 焼き払ってしまうがよい、■■■■■、きみたちにもしそれができるのなら。


 考えがまとまらない。私は錯乱しているのか? だとしたら私はまともだ。この錯乱こそが私の正しさを証ししよう。■■■■■、きみたちこそが狂人だ。もしきみたちが私の錯乱の度合いを正当に見極めること能わぬなら、きみたちはこれを燃やしてしまうほかない。私を罰するか? この不用意な私を。それでもかまわない。錯乱の正当さを測るなど、それこそ狂気の沙汰であると。しかし、私の道は正気の沙汰をしか歩んでいない。私は、目覚めながら、(そうだ、他ならぬ私自身に目覚めながら)全く正気に狂うている。

 ■■■■■、きみたちは明らかに間違えていた。それはどういうことか? きみたちはいったい何を考えて、あれの存在を看過し続けてきたのか、或いは、考えなど初めから無かったのか? しかし、今更の正しさなぞに意味などあるまい。狂気に意味がないように。正気さに意味があったとしても、それが意味するものはいつだって誤りだ! もはやきみたちは、狂気によってでしかおのれの正しさを証しできないであろう。いまの私のように。

 終わりゆく者たちだ。私も、きみたちも。



図版2(手帳の写真。筆致に目立った特徴はない)

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六月二十六日


 ここの人たちは親切だ。私は私の素性を後ろ暗く思う。

 現地語の講義は無駄になったようだ。近年の移民者だけでなく、ここの人たちは英語をよく解す。そればかりではない、不覚にも漏れた私の母語にさえ彼らがぬかりなく応えたときには肝をつぶしかけたが、あれは偶然だろうか? とまれ、彼らの親切は私の警戒心をたちどころに解いてしまった。このような調子では、私は廃業するやもしれない。


 聞きしに及ぶサムヤのゲーテッドシティは島の半分を占める広大さである。今日、この街で一等高い丘のようになっている場所に登ったのだが、そこから見渡せる街のまるでコンピュータの回路基板のような精密な都市設計には舌を巻いた。しかし、それにも増して私の目を惹くものがあった。それは、サムヤの街の中にある更に細かく区分けされたいくつかの自然保護区のようなコロニーで、その様子は誇張抜きに、まるで楽園ようだった。

 私は壁の外からモニターの映像越しにその楽園での生活を覗き見たに過ぎないのだが、そこの人たちは近代的科学文明と言えば電灯程度しか持っていないようで、旧時代への理想をなぞったような、いかにも慎まし気な、それでいて青々とした生活が営まれている様子だった。

 私はそこの住人たちと接することを禁止されたが(ここに来て最初の拒絶がこれであった!)、明日、もう一度打診してみたい。この街の技術は過剰である。そのような過剰の中にあって、あの楽園の人々はいったい何者なのか?


 サムヤはサンスクリッド語で調和の意だと聞いた。これほど彼らに似つかわしい言葉は他に無い。あの楽園にも、きっと然るべき役割があるはずだ。

 ただ、彼らの食への執着の薄さだけはいただけない。一日の内で食事の時間だけを苦痛に思うことがあるなどと、ここに来るまでの私に想像できたか?



図版3(手帳の写真。こちらは妙に落ち着いた筆致である。不気味に淡々としている)

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七月一日


 甚く壊れやすい砂像のような印象があった。触れること能わぬ脆弱はある種の美との近縁さえ感じさせた。彼らは何一つ身に纏うてはいなかった。まるで赤子のようだ。いや、赤子なら泣きも喚きもするだろう。しかし、どうしたことか、一言をも発すること無いばかりか、身じろぎ一つさえせぬ彼ら。綱の上を渡る曲芸師でさえ、そのバランスを保つために足許は忙しなく戦慄いていることであろうに......

 彼らは恰も断崖の上に立ちながら、斯様な己の身の上を何一つ夢見ることもなしに、虚無の裡に微睡んでいる子供たちだ。この絶望的な平衡感覚はどこから来るのか。彼らは果たして本当に微睡んでいたのか。或いは醒めすぎているが故に、何も感ぜぬ虚無の中へとその身を委ねているのであろうか。額にはニルヴァーナの相さえ浮かんで見えた。


 その部屋には、彼らの脱走を阻むなにものも存しなかった。同時にそれは、私の侵入を阻むなにものもまた存しないことを意味していた。

 白いタイル質の壁と、ひとりずつ区画された仕切りには公衆トイレの感じがあったが、汚穢も、悪臭も、ここには縁遠く思われるのは偏にその潔癖症じみた清掃の徹底にあったに相違ない。

 あの異様さが、何故のことであるのか、私には解釈のしようもなかった。砂の一粒一粒が、ヒトの形に凝集して、自ら崩れだしてしまうのを恐れているような、そのために、あらゆる情動(恐怖でさえ)を己から一切締め出してしまったかのような、あの感じの理由......


 有り得ないものを見たときに、人は何を思うのか。

 私は恐怖した。奇跡を前に額ずきたくなる人間の心理である。

 


図版4(ディスプレイの写真。四年前に送られたと思しいメールの文面が映し出されている)

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From:■■■■

To:■■■■


 やあ、■■■■。

 きみからのメール、とても興味深く読ませてもらった。

 これは雑把な感想に過ぎないが、私にも思うところがあったから、ちょっと読んでほしい。


 オセアニアの小さな島国。もしかすると、多くの人々はその国名にさえ覚えがなかったのではないか。少なくとも、件のコングロマリット企業がその国の実質的宗主になったことがきっかけで、漸くその国名も広く知られるようになったというのは事実だ。

 あれからもう五年も経つ。私たちが知り合ったのも、丁度そのくらいの時分だったろうか?


 一企業が一国家の宗主となったというこの驚くべき事実について、その非現実的なシナリオに穏便でない歪のあるのを予感したのは、当然我が国だけではなかった。しかし、私の思うに、これは資本主義的経済的ニヒリズムのひとつの極点なのだ。善意でさえ方便の糧として養われる現代社会に於いて、斯様な理性的判断のもと、一国家の理想が一企業の理想と結ばれるというのは、最早ひとつの道理なのかもしれない。善意や愛、理想や信念というのもが、経済的に合理的な判断のみによって商われる多様性共生社会にあって、何が誠実で、何が欺瞞であるかということを議論するのは甚だエコノミカルじゃない。我々の住む世界の老成は、誠実なる不誠実という背理さえ易々使いこなす老練を体得した。その心得に於いてすれば、企業国家の樹立など容易いだろう。


 私にとって不穏なのは、この企業国家が、近頃途端に排他的な外交政策へ舵を切りだしたことだ。サムヤなどは殆どロックアウトされてしまったと言ってよい(きみはあの巨大な城壁都市を見たことがあるか?)。

 何か嫌な予感がする。グループの本体も、口を噤んでいる。国際社会からの圧力もあるのだろう、私が少し聞きかじったところによれば、サムヤがグループから独立する動きもあるらしい。もしそうなったらどうなると思う? 企業独裁の不気味な独立国家。人類史に例のないことだ。


 ■■■もサムヤの動向に目を光らせている。私も気になって仕方がない。

 ここだけの話だが、私もこの件には一枚噛もううと思っている。

 追って連絡する。


 きみに敬意をこめて。



図版5(ディスプレイの写真。メールの文面が映し出されている。こちらは最近に送られたものらしい)

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From:■■■■

To:■■■■


 このメールは傍受されているだろう。

 きみに迷惑をかけてすまない。


 しかし、彼らからは敵愾心を感じない。見張りすらつかないこともある。まるで私は野放しにされている。

 このメールも、問題なくきみの許に届くはずだ。(私は泳がされているのか?)


 サムヤに入って今日で十日になる。私の泊まるホテルのある一区画の他に、街並みらしいものは無いようだ(工場か何かの施設の壁が脈々として見えるのみだ)。違和感は日増しに強くなっている。


 昨晩、私の客室の隣室に続く壁に孔をあけてみた(壁は酷く薄かった)。そのときは暗くてよく見えなかったのだが、人の気配はまるでなかった。日が昇ってからもう一度覗いてみた。今度は窓から射し入る光で部屋の様子が分かった。家具のひとつもないどころか、壁紙さえ貼られていなかった。

 六年前にこの都市がロックアウトされてから、外国人の出入りはごく限られていたはずだ。本来この街で、今私の泊まっているような外国要人向けの立派なホテルが営々と営まれているというのは異常なんだ。


 それだけじゃない。客室の窓から街を見下ろしてみる。誰もいない。しかし、一度外へ出てみると、人であふれている。

 すべてが偽物じみている。ハリウッドの映画セットのようだ。(ああ、そしてあの鳥の多さ! 何かの暗示だろうか?)


 彼らの友好的な態度が不気味で仕方がない。これは、独裁国家のよくする外国人向けの虚仮威しというのとはまるで違うように思える。彼らには底知れないなにかがある。

 国は私に隠し事をしているのではないか。私は捨て駒にされたのかもしれない。もしここから生きて出られたのなら、私は亡命する。詳しくは書けないが、あてがあるんだ。きみも察しが付くだろう。


 しかし、まだここでやらなければならないことがある。

 彼らが私を自由にしている今のうちに、私は偽りの楽園の正体を暴かなければならない。


 もしかしたらこれが最後の便りになるかもしれない。

 しかし、もし無事でいられたら、絶対に君に連絡しよう。


 私のために、祈っていてほしい。



図版6(サムヤの簡単な地図と、走り書き)

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 城壁には抜け道がある。


(地図)


 やはり誘導されていた。彼らの思惑通りだ。ならばその思惑、他ならぬ私の意志で以って、最後まで果たし切って見せようか。



図版7(全てが黒く塗りつぶされている)





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