第三章 ~『木箱の卵』~


 アレックスが王都を離れてから数か月が経過した。頼りになる護衛はいなくなったものの、クレアの身に危険は及んでいない。同様に、アレックスに同伴したケントもまた無事に過ごしているとの頼りが届いていた。


「クレアさん、お昼を用意しましたよ」

「もうそんな時間でしたか」


 仕事に熱中していると時が過ぎるのが早い。コレットに呼びかけられたことで、執務室の窓から差し込む日差しが強くなっていることに気づかされた。


「今日のお昼は松茸のすき焼きにしましょう」

「豪勢ですね。何か良いことでもありましたか?」

「いえ、仕事を頑張っているクレアさんを労いたいと思っただけですよ」

「コレット様……ありがとうございますね」


 頑張りを認め、気遣ってくれる仲間が傍にいる。それこそが何よりの喜びだった。


「ふわぁ~、お昼の時間なのじゃ?」


 机の上で眠っていた天狐が瞼を擦る。彼の腹時計は正確なのか、いつも正午になると目を覚ました。


「そうですよ。本日はなんと松茸のすき焼きです」

「吾輩、キノコは好きではないのじゃ」

「なら天狐様はお肉ですき焼きにしましょうか。確かフォレストブルの肉が余っていましたよね?」

「はい、存分に」


 天狐もクレアにとって大切な家族だ。お昼を一緒に取るため、食堂へ移動すると、既に準備ができていた。


「では作っていきますね」


 鉄鍋に牛脂と長ネギを投入し、続けて松茸と肉を焼いていく。割り下を加え、十分焼けたことを確認すると、溶き卵の入った取り皿に移す。


 肉と松茸がタレと絡まり、香ばしい焼ける匂いが漂う。その匂いに真っ先に反応したのは天狐だった。


「吾輩、もう我慢できないのじゃ」

「なら私が食べさせてあげますね」


 肉を卵に付けると、クレアがそれを天狐の口元まで運ぶ。勢いよく口にした天狐は美味しそうに咀嚼を繰り返していた。


「では私も頂きますね」


 クレアは松茸を卵に付けて口に運ぶ。甘いタレと卵の旨味が混ざり合いながらも、松茸の香りが口の中で主張していた。


「松茸も美味しいですね」

「他の具材も試してみてください」


 ネギや肉も食べてみるが、そのどれもが頬が落ちそうなほどに美味だった。天狐も気に入ったのか、食事の勢いは止まらない。


「松茸に負けないくらい、黄身も濃厚で美味しいですね」

「共和国の最高級品を用意しましたから。ほら、この木箱に梱包されていたんですよ」


 木箱には緩衝材としておがくずが詰められており、赤玉が顔を覗かせている。ただの卵とは思えないほどの高級感があった。


「まさか卵の高級品が存在するとは思いませんでした」

「卵は庶民の味方の代名詞ですからね。ただ卵以外にも、共和国では高級品化がブームになっているそうですよ」

「松茸の高級品化に刺激を受けたのかもしれませんね」


 他国の成功事例を取り入れる共和国の柔軟さには舌を巻く想いだ。王国も負けていられないと、対抗心が湧いてくる。


「クレアさんならご存知だと思いますが、松茸の価格が落ちているそうです」

「ここ最近の話ですよね」

「はい。やはりキノコの高級品化には無理があったのですかね」

「いえ、松茸の人気は落ちていませんよ。市場ではワイバーンの肉より人気なくらいです」

「では、なぜ価格が下がるのでしょうか?」

「どうやら松茸の密猟者がいるそうなのです」


 松茸の価格を維持するために、王国は販売量をコントロールしていた。松茸の自生地はすべて王家が所有しているため、それは容易なはずだった。しかし高価だからこそ密漁を狙う者が現れ、需給のバランスを壊し始めたのである。


「松茸の自生地には警備の兵士もいますよね?」

「はい。犯人も捕まったのですが……その犯人がゴブリンだったのです」

「え⁉ でもゴブリンは松茸を食べませんよね?」

「なのできっとルイン様の仕業でしょうね」


 魔物を操る能力は敵に回すと厄介だと感じさせられる。だからこそ、第二皇子は思慮の浅いルインを側近として登用したのだろう。


「松茸は山の中に点在していますからね。警護の兵をすべての自生地には割けないですし……こんな時、アレックス様がいてくれたらと願ってしまいますね」

「将軍の力があれば百人力ですからね」

「でも嘆いてばかりはいられません。奪われた松茸を安価で市場に流されると、価格が暴落してしまいますから。何か手を打たなければなりません」


 王国に打撃を与えるためだけの嫌がらせだが、地味なわりに効果的だった。今はまだ被害が小さいが、安価な供給が増え続ければ、誰も高級品だと思わなくなる。そうなれば、松茸のブランドを取り戻せなくなってしまう。


「クレアさんのことですから。既に対策は考えているんですよね?」

「はい、妙案が一つ。コレット様も手伝ってくれますか?」

「もちろんです」


 クレアは対策案を披露する。その内容にコレットは、彼女の能力の高さを改めて再認識するのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る