第二章 ~『皇帝と治療』~
皇帝と謁見できる人数は警備の問題で最小限に留められている。ギルフォードを応接室に残し、クレアたちは屋敷の階段を登る。
「父上はこの屋敷の最上階でお休みになっている」
階段を登った先、案内されたのは天窓から明かりが差し込む大部屋だった。部屋の中央にはキングサイズのベッドが置かれ、その上で赤髪の老人が伏せている。
「まさか、この屋敷に皇帝陛下がいらっしゃるとは思いませんでした」
「ここは代々皇族の保養所でな。死ぬならこの屋敷で死にたいが口癖だった父上の希望を叶えたのだ」
「深い思い入れのある場所なのですね」
「特に先代女王との思い出だろうがな。ここでよく密会していたそうだぞ」
「え⁉」
親密な関係だとは聞いていたが、恋仲の可能性も浮上してきた。今は亡き母の一面を知り、複雑な心境になる。
(もしかしたら、私の父が皇帝陛下ということも)
クレアの父親は誰か分かっていない。それが皇帝との禁じられた恋だとしたら説明が付く。
「絶対に治さないといけませんね」
「そうしてくれ。でないと私が困る」
「任せてください」
クレアは皇帝の顔をジッと見つめる。顔色は悪くない。まるで寝ているようだ。
「皇帝陛下はどれくらい目を覚まさないのですか?」
「三か月だ。国中の名医に診させたが、治る見込みはない」
「唯一残された可能性が私の回復魔法というわけですね」
掌に魔力を集中させ、皇帝の顔に向ける。癒しの力は願いの力。相手を治したいと強く祈るほど効果が高まる。
(皆さんが安くて美味しいパンを食べられるように、絶対に治療を成功させてみせます)
魔力が癒しの輝きへと変化する。光の奔流に包まれた皇帝は唸り声をあげ、ゆっくりと瞼を開いていく。
「ここは……」
「父上、ご快復おめでとうございます」
「ウィリアム……そうか儂は病で気を失っていたのか……どうやって儂の病気を治療した?」
「王国の女王をお連れしました。父上を回復魔法で癒してくれたのです」
ウィリアムがクレアを紹介する。すると皇帝は目尻に涙を蓄え、ベッドから起き上がる。
「ありがとう、クレア。お主は命の恩人だ」
「私のことを知っているのですか?」
「先代女王から聞かされていたのでな。うむ、やはり顔も面影がある」
「そんなに似ていますか?」
「優しい雰囲気もそっくりだ。儂の身体をいつも気遣ってくれてな。歳だから無理をするなと口酸っぱく言われたものだ」
「回復魔法はあくまで一時的な処置で、老化による病を予防することはできませんからね。だからお母様は心配されたのだと思います」
皇帝に健康を大切にするようにと伝えたエピソードから、母の優しさを感じとり、クレアの口角が自然と上がる。
「そういえば母と仲が良かったと聞きましたが、皇帝陛下とはどのような関係だったのですか?」
「気になるか?」
「気にならないといえば嘘になりますね」
「なら教えてやる。だが恥ずかしい話、儂の一方的な片想いでしかなかった。いい女でな。百回以上は言い寄ったが、すべて断られてしまった」
「そうですか……」
皇帝とは恋人関係でなかった。その事実からクレアの父が誰なのかは、また闇の中へと消える。
「父親が恋しいのか?」
「もし生きているのなら会ってみたいです」
「残念ながら儂も知らん。ただ共和国の滞在中にお主が生まれたと聞いている」
共和国は帝国に並ぶ大国だ。いつか訪れる機会もあるだろう。父親の正体を探る上で、値千金の情報だった。
「それほど家族が恋しいのなら、儂の息子と結婚するのはどうだ?」
「ウィリアム様との結婚は先ほどもお断りしました」
「ははは、さっそく口説いたのか。女の好みも儂そっくりだな」
皇帝は声を出して笑うと、クレアの目をジッと見据える。その瞳が真剣なものへと変わっていた。
「さて、儂の命を救ってくれたからには褒美を与えなければな」
「父上、ならクレアを連れてきた私から――」
「ウィリアムの褒美は後から聞いてやる。まずはクレアだ。何が欲しい」
「私は何も。既にウィリアム様から小麦を安く売ってもらう約束を頂きましたから」
「それは息子からの褒美だ。儂からも礼をさせてくれ」
「では平和を。一年間で構いません。無条件の和平条約をください」
「ドレスや宝石ではなく、平和か。さすが先代女王の血を引くだけのことはある……いいだろう、その褒美を与えよう」
皇帝が決断を下す。するとウィリアムは反発を示した。
「父上、大臣たちの許可もなく、勝手に決めては……」
「なんだ? 王国に戦争を仕掛けるつもりだったのか?」
「い、いえ、そういうわけでは……」
「なら何も問題ないな。一年間の平和を満喫するといい」
皇帝はガハハと笑いながら、用意させた条約の書類にサインする。手に入れた安息に対する喜びで、クレアもまた微笑むのだった。
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