第38話 平和の代価
「遅くなっちゃったわね」
「……そうですね」
アリシアの
貴族育ちのアリシアは料理なんてほとんどしたことがないらしい。どうもそういうことは貴族がすることでないという風習らしいが、それにしても酷かった。
人族の調理法が気になって見ていたが、クリアナの苦労は余りある。魔族の頃、焼く・煮る・味つけるといったこと位しかしなかった俺でも、アリシアよりは遥かにマシだっただろう。何せ思い付きで勝手なことをしたがる。
よっぽど手伝おうかとも思ったが、アリシアの名誉のために手を出すのは止めた。流石に五才の息子の方が料理ができるというのは、アリシアにとっても悲しき事実だろう。
まあ、そんなこんなで調理は遅れに遅れ、気付けば外はとっぷりと日が暮れている。
「もうすぐアーサーも帰ってきそう。せっかくだから家族揃っての食事にしましょう」
しかし自分の失態を、あたかも丁度よかったことにしてしまえる機転。そこは見習いたいと思う。
「そうですね。それでは私は失礼します」
「何言ってるの。クリアナも一緒でしょう」
一礼して退室しようとしたクリアナをアリシアが引き留める。
「いえ。ご家族での食事をお邪魔しては」
「何言ってるの。クリアナも私達の家族でしょ?」
さらりと、アリシアは言う。本当に、こういうところだと思う。
「あ……」
あの冷静なクリアナが言葉を失って。
「いえ、でも、アリシア様達はこの国の王族で。私はメイドで、半魔で」
それでも、クリアナはクリアナだから否定が続いて。
アリシアが俺を見る。
わかってる。今が丁度いいタイミングかもしれない。
俺は今日の買い物の中から、一つの物を取り出す。
「クリアナ」
俺の呼びかけにクリアナは俺を見る。
「ちょっとしゃがんでもらえますか?」
「はい?」
クリアナは不思議そうな顔をしながらも、言われた通りに膝を曲げてくれる。
「目も閉じてください」
「は、はい」
緊張に声を少し上擦らせながらも、クリアナは言われた通りに目を閉じる。素直なのはいいことだ。
俺は自分の背に隠したものを持って、クリアナの頭に手を伸ばす。
「クリス様?」
頭上の違和感を感じたクリアナが俺の名前を呼ぶ。
「はい。もう目を開けていいですよ」
俺の指示通りにクリアナは目を開ける。
「はい、クリアナ。こっちを見て」
そしてアリシアが颯爽と手にした手鏡をクリアナに向ける。
「これは……」
その鏡に映る自分の頭を見て、クリアナは両手で口を覆った。
「プレゼントです。これなら、外を歩いていてもクリアナが半魔だとわからないでしょう?」
俺がクリアナの頭に載せたのは、白いフリルのついた帽子。モブキャップという名前らしいそれは、メイドが仕事中も被ることのあるものらしいと店の人に聞いた。
「気に入ってもらえませんでしたか?」
何も言わないクリアナに俺は問いかける。
「そんな、こと」
嬉しそうに笑って……いや、笑おうとして、なのにクリアナの瞳からは涙が零れる。
「クリアナ?」
クリアナの異常な様子に、アリシアが呼びかけた。
「あ、えっと、すいません。ありがとうございます、クリス様」
珍しく言葉の端々がたどたどしい。
「すいませんっ。本当に、本当に嬉しいんです……」
しかし、そう言いながら、クリアナの瞳からあふれる光は止まらない。
嬉し泣き、だけではない。それには、それにしてはあまりに。
涙の止まらないクリアナの頭をアリシアが抱きしめる。
一体、何が。
明らかに様子のおかしいクリアナに疑問がやまない。
「ただいま……」
混乱する館に、小さな帰宅の挨拶が響く。
アーサーだ。いつもなら疲れていても、俺達が起きている時間に帰ってくるときはうるさい程に嬉しそうな声だというのに。なぜか、今日はその声は暗い。
「ただいま?」
出迎えが無いことにか不思議そうに挨拶を繰り返しながら、ガチャリとアーサーが食堂のドアを開く。
暗がりの中、アーサーの後ろにも影が一つ。
「……エーリヒ叔父様?」
その男に呼び掛けながら疑問に思う。なんでこの大変な時に、こんな時間に王がわざわざ。
【なんと王城で雇われてたメイドらしいぜ】
唐突に、脳裏に昼間の話が思い浮かぶ。
途方もなく嫌な予感が、冷たく背筋を刺していた。
◇◇◇
気まずい沈黙があった。
混迷する事態に、アリシアは混乱し、クリアナは取り乱したままで、男達は自身が口火を切ることを恐れていた。
問い詰めたい。今すぐにエーリヒの突然の訪問の理由を。アーサーの暗さの理由を。クリアナの涙の理由を。
しかし、こんな状態のクリアナを置いて、話を進めることなんて。
「失礼、しました」
そう思っていれば、まさかの当の本人のクリアナが目元を拭って立ち上がった。
「アリシア様、クリス様。本当にありがとうございます」
嘘じゃない。それは嘘じゃない謝意だと感じるのに、どうしてこんなに遠く感じるのか。
「ですが、お食事の前にお話があるのです。聞いていただけますか?」
許可を求められているようで、それはどこか一方的に聞こえた。
「そこからは私が話そう」
エーリヒがクリアナを庇うように前に進み出る。
「先王殺しの下手人として、クリアナを処刑することを決定した」
うっすらと想定していた最悪の結論に、言葉が出なかった。
「どういうことっ!?」
そんな俺に代わって叫んだのは、アリシアだった。
「言葉通りの意味だ」
アリシアの剣幕にも、エーリヒは身じろぎ一つせずに言い切った。
「おかしいじゃない! クリアナがお義父様を殺したって言うの!?」
しかしエーリヒが幾ら落ち着いていようと、アリシアが落ち着くことはない。
「そういうことになる」
しかし、エーリヒのさらりとした肯定にアリシアは一瞬停止する。
「……え?」
一拍遅れて、アリシアから純粋な戸惑いが溢れた。
「……正確には、そういうことにする、ということですよね」
真実を知らないアリシアに代わって、俺が確認する。
「そうだ」
それにも、エーリヒは淡々と答えた。
「クリアナは何も悪くない。違いますか?」
問い詰めは冷静を繕おうと、奥歯を噛み締めずにはいられなかった。
「その通りだ。彼女は何も悪くない」
「ッだったら!」
あくまで平静を崩そうとしないエーリヒに、
「私が望んだのです」
しかし、それに応えたのはエーリヒではなく、当のクリアナ本人だった。
「……クリアナ?」
信じられない。あるいは信じたくないといった様子で、アリシアはクリアナを見た。
「今回の件は、私からエーリヒ様にお願いをしました」
やはりエーリヒと同じように淡々と、クリアナは言った。
「嘘、でしょう?」
信じられないといったように、あるいは縋るように。アリシアは呆然と問いを続ける。
「いいえ、本当です。これは私が望んで、私から申し出たことです」
しかし、クリアナは申し訳なさそうに目を伏せながらも、確かに首を横に振って言い切った。
「どうして、そんなこと」
苦しそうなほどに呼吸を乱しながらも、アリシアはかろうじて問いを絞り出す。
「このままではヴァーンハイム王国と半魔の間で、すぐにでも次の戦争が始まりかねません」
あくまで冷然と、クリアナはただの事実を
「それを止めるためには、何か戦争以外の感情の落としどころが必要だと思ったのです」
「だからって……それがあなたである必要は」
意味がわからないといったように首を振りながら、それでも意味を理解したからの理屈をアリシアは口にする。
「アリシア様は、私を家族と仰ってくださいましたね」
嬉しそうに、本当に嬉しそうにクリアナは微笑んだ。
「だからこそ、私を家族として迎え入れてくれたあなた方と、私の本当の家族が殺し合うところなんて絶対に見たくないんです」
儚くも、絶対に譲らない強さでクリアナは微笑む。
「私の命一つでそれを止められるなら、こんなに嬉しいことはない。心からそう思って、私は選んだんです」
その顔を見てしまえば、誰も何も言うことはできなかった。
どうして、と泣き叫ぶアリシアの疑問だけが、夜の静寂に鳴り響き続けていた。
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