第37話 下手人
アリシアは木戸の外を眺め、ワクワクした様子で言い始めた。
「クリスちゃん、城下町を見たくない?」
「はい、母様」
一も二もなく頷いたね。住居を移す時等にチラッとは見たことがあるか、城下町というものをきちんと見たことが無い。人族の営みを見るいい機会だ。
「アリシア様。護衛の方はどうするのですか?」
部屋の片隅のクリアナが尋ねてくる。
「今はアーサーも王国軍の方も忙しい時ですし、いらないわ」
ばっさり切って捨てたアリシアの回答に、クリアナが顔を曇らせる。
「
戦後の荒れようを心配して、クリアナは忠告した。俺達の身を案じてのことだ。
「大丈夫。こう見えて私だってそこらの兵隊よりは強いし」
指先に魔力で造った氷を浮かべたかと思うと、すぐにそれを消してアリシアは俺を背中から抱きしめてくる。
「いざとなったらアーサーに勝っちゃうくらいクリスちゃんが守ってくれるから」
「母様、恥ずかしいです」
アリシアの言い様と、背中に当たってる胸について今はいないアーサーに文句を言われそうな気がして、俺は苦笑してしまう。
「本当のことじゃない」
アリシアは俺の言葉など関係なく、首に回したのと逆の手で頭をよしよしと撫でてくる。
こうなったアリシアに何を言っても無駄だ。諦めて俺は無駄な抵抗を止めて、アリシアのしたいようにさせる。
「ですが……」
「クリアナ。足りない物とか、欲しいものはある?」
アリシアは俺の頬に自分の頬を擦り付けながら、なおも言い募るクリアナに尋ねる。
「はい?」
「必要なものがあれば、私達が買ってくるから。アーサーも仕事で一日中帰ってこないわ」
だから、とアリシアが続ける。
「あなたは今日一日、家のことも私達のことも気にせずゆっくりすること」
アリシアの意図に気付いたクリアナと俺はハッとする。
クリアナは何かを言おうとするが、
「クリアナは、今日一日お休み。これは雇い主の私からの命令」
人差し指を立てて、どこか偉そうな態度を作ってアリシアは言った。反対の腕で俺を抱きしめているから、威厳も何もあったものじゃないが。
「……わかりました。ありがとうございます、アリシア様」
クリアナは、最近張り詰めたままのことが多かった表情を緩めて、大人しくアリシアの気遣いを受け入れた。
◇◇◇
ヴァーンハイム王国の城下町は壮大だった。
何せ家の数が多い。魔界との相違に圧倒される。
魔界では一般魔族なんて家を持っていないのが普通だが、地上ではそうではないらしい。
石畳を歩けば、沢山の露天商が賑わいを見せる場に辿り着く。
食料や衣類、装飾品。数は少ないけれど本や武具。果ては何かわからない物まで。実に様々な品物が置かれている。
魔素では圧倒的に魔界の方が勝っているはずなのに、どうして地上の方がこんなにも豊かに見えるのだろうか。
「クリスちゃんも欲しいものがあったら遠慮なく言ってね」
俺の手を引くアリシアは、笑顔で俺にそんなことを言ってくる。
「ありがとうございます、母様」
アリシアなら本当に何でも買ってくれそうだな。苦笑して、自分で制限しようと考えながらも、必要そうなものがあれば遠慮なく買ってもらおうと思った。
「そうだ! せっかくだから、クリスちゃんのお洋服を買いましょうっ!」
露天商の列の切れ目。大きい家屋の中に多くの衣類が並ぶ店を見て、アリシアは顔を輝かせて両手を叩いた。服なんかより武具の方が気になるが、この勢いのアリシアに何を言っても無駄だろう。俺はアリシアの着せ替え人形になる覚悟を決めた。
「これも良かったし、こっちも捨てがたいし。うーん、もうっ! 全部欲しいわっ」
俺に合わせた数々の服を眺めてアリシアは右往左往する。
「母様。そんなにあっても無駄にしてしまいますから」
「だってどれも似合うんだもの」
それは言い過ぎだろと思いながらも、アリシアが楽しそうで何よりだ。最近はアーサーが疲弊しているのもあって、アリシアも表情が暗いことが多かった。こうしてはしゃいでいるアリシアを見るのは嬉しい。
「クリスちゃんはどれがいいと思う?」
多くの衣服を前に決めかねたアリシアは俺の意見も求めてくる。
「そうですね」
俺はアリシアが特に気にして、自分の正面に並べていた五着ほどに目を向ける。その中で動きやすそうなものに目を付けて、
「この色なんて、僕は落ち着いていて好きです」
アリシアが口にしていた感想をなぞって、指をさす。
「そう! 大人びたクリスちゃんにピッタリ! これにしましょう!」
決まったことに内心で安堵の息を吐きながら、俺は微笑む。
「クリスちゃん、他はどれにしよっか」
「っえ?」
想定していなかった二の矢に、俺は流石に動揺の声を抑えられなかった。
なんとか三着の選定を終えて、もうこれ以上はとアリシアを文字通り会計へと押して行く。
「そう言えば、クリスちゃん。何か欲しいものはなかった?」
会計に行く前に、アリシアが思い出したように聞いてくる。
「いえ、もう十分です」
苦笑して俺は答える。何かいいものがないか他の店を見たい気もするが、アリシアとそれをするとどれだけ時間がかかるかわからなそうだ。
「本当に? 本当に大丈夫?」
しかし、アリシアの押しは強い。何も言わないのはそれはそれで長引きそうだ。
困り果てていると、俺はふといいものを思い浮かぶ。服があるなら、探せばあれもあるかもしれない。
「母様、欲しいものがありました」
「よかった! 何が欲しいの?」
喜びを弾けさせるアリシアに俺は欲しいものを告げる。
アリシアはキョトンとした後、俺がプレゼントしたいんですと告げると、
「クリスちゃんは、本当に優しいわね」
店中にも関わらず、ギュッと俺を正面から抱きしめた。
本当に、この母親はと、俺は苦笑するしかなかった。
◇◇◇
「へい、お待ちっ!」
テーブルにドンッと大皿が三つ置かれる。
「まあ、大胆っ」
サラダにシチュー、ステーキが豪快に盛り付けられた器を見て、アリシアは口元に手をやる。
王城での食事は一人づつ盛り付けられた皿が運ばれてくるが、庶民の食事はこんなもんらしい。魔界での食事もどちらかといえば、こっちよりだ。
「取り分けますね、母様」
郷愁に浸りながら俺はアリシアの小皿をとって、サラダとステーキを盛り付ける。
「まあ、クリスちゃんったら。それじゃあ、クリスちゃんのは私が盛るわね」
いいよと思うが、アリシアが嬉しそうで、やりたくて仕方なさそうなのでするに任せる。感情のままに動く時のアリシアには逆らわない。今世で学んだ俺の最も偉大な学びの一つだ。
「それじゃあ、天と神の恵みに感謝と祝福を」
「天と神の恵みに感謝と祝福を」
あんな奴に感謝したくもないが、アリシアに続いて両の手を組んで瞼を閉じる。
短い祈りを終えて、俺達は食事を始める。
美味いっ! 思わず声に出しそうになったね。
「へー! これはこれで美味しいわね」
アリシアのお口にも適ったらしい。
「そうですね」
何とか相槌を返しながら、アリシアと俺とでは感動の度合いが大きく違うのを感じていた。
大きくなって満足に食事を取れるようになって驚いたのは、人族の食事の多様さと美味さだ。魔界では味わったことのない味や繊細さを多く知り、俺は日々喜んでいた。
しかし、一年もすればやがてどこか物足りなさと寂しさを感じていた。
王城の食事は文句を付けるべくもなく美味いのだが、何というかこうパンチが足りなかったのだ。
繊細というか奥深いというか美味いし、飽きも来ないのだけど、たまにはこうガツンと野性味があるというか狩猟したこれぞ肉! みたいな大雑把に強い味が食いたくなる。
この庶民料理には、俺が求めていたそれがある。どこか魔界の味を思い出すのだ。
「クリスちゃん……成長期なのね」
気付けばがっつく俺を、アリシアは驚きと喜びをもって見守っていた。
その淡い視線に俺はようやく
「聞いたか?」
「ああ、下手人の話だろ」
すると、自然周囲の話も耳に入り始める。飯時には口が軽くなる。情報収集にはうってつけだ。
「なんと王城で雇われてたメイドらしいぜ」
「なんて奴だ! 慈悲深いハインリヒ様に拾われておいて」
ハインリヒ? 下手人ってことは、ハインリヒを殺した奴のことを言ってるのか?
俺は何の話かと耳をそばだてる。
「クソッ! 卑劣な半魔め!」
「許せねえ!」
「そういう話になってるってことは捕まったんだよな?」
「ああ、もちろんだ。明後日処刑されるって話だぞ」
「クソ。処刑は絶対に見に行くぞ」
「もちろんだ!」
――嫌な話を聞いた。
盛り上がる男達とは逆に、俺は意気消沈する。
ハインリヒ殺しの犯人が、王城仕えのメイド。
そんなわけをがないことを、現場にいた俺はよく知っている。王城であんな子を見たことはないし、いたとしたら今すぐ会いたいところだ。
となれば、考えられるのは一つ。
下手人を仕立て上げたのだ。
この国は今、危機的な状態にある。
先の戦争の傷が癒えていない。だというのに民衆は半魔への復讐を求めていて、いつその火種が爆発してもおかしくない。これ以上の被害が増えれば、他国に隙を晒すことにも繋がるというのに。
だから、この国は戦争以外の落としどころを作ったのだろう《・・・・・・・》。
そのハインリヒ殺しの犯人に仕立て上げた人物に民衆の怒りを集中させる。
その上で、その人物を大衆の面前で処刑し、民衆の怒りのやり場とすることにしたのだ。
胸糞は悪いが、実行犯がすべて死亡か逃走している今は、確かに有効な手段ではあると認めざるを得ない。
「クリスちゃん、行きましょうか」
アリシアの呼びかけに我に戻る。
見上げれば、アリシアの表情も暗い。心優しく、身近にクリアナという親しい半魔がいるアリシアにとっても今の話は面白いものではなかったのだろう。
「そうですね、母様」
だから俺達はそれ以上の話を聞かずに、その店を後にした。
◇◇◇
昼食の後も露天商を回り、アリシアは野菜や肉、パンを買い込む。肉は燻製や塩漬けの保存肉ではなく、新鮮な捌きたての肉を手に入れられたので、夕飯が実に楽しみだ。
「お嬢ちゃん、偉く綺麗だね~。どっかのお貴族様かと思っちまうよ」
正解だおっさん。いい勘してるよ。
「もう、おじさんったらお上手」
アリシアも満更じゃないどころかノリノリだ。
「いやいや、本当に綺麗だ。こんなに綺麗な人、初めてこんな近くで見たよ。よし、これもおまけだ!」
「あらー、ありがとう、おじさま!」
調子のいい会話を交わすアリシアの頬に、かつて俺が付けた火傷痕はもうほとんどない。長年、練習もかねて回復の術法をかけ続けた結果、ここまで傷を消すことができた。
アリシアは気にしていないと言っていたが、こうして褒められて喜ぶ母の姿を見ると、やはり元に戻せてよかったと心から思った。
「あら、もうこんな時間? 残念だけど、そろそろ帰りましょうか」
日が傾き始めたのを見て、ようやくアリシアが帰宅を選択する。
長時間アリシアに付き合った俺は、力なく応えるのが精一杯だ。本当にここで終わってくれてよかった。
アリシアも俺も両手いっぱいの荷物を抱えて、ようやくの帰途についた。
◇◇◇
「ただいまー」
「帰ったわよー、クリアナ」
元気よく挨拶をして、アリシアと俺は館に入る。
「お帰りなさいませ。アリシア様、クリス様」
パタパタと、慌てた様子でクリアナが奥の部屋から駆け出してくる。
荷物を受け取ろうとするクリアナに、アリシアはいいからと首を振って歩き出す。
「今日はいいお肉を買えたから、豪華な食卓になりそう。クリアナ、料理を教えてね」
「アリシア様!?」
クリアナが驚きの声を出す。アリシアが料理をするとも取れる発言をしたからだろう。
「せっかく王城の外で余計な目もないんだもの。普段できないこともやってみたいじゃない」
クリアナは慌てているが、俺は笑い出しそうになってしまう。
この非常事態も、アリシアにとっては普段と違うことをするチャンスだ。
いざという時に女がたくましいのは、魔界でも地上でも変わらないらしい。
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