第116話 バケモノ

 翌日。


 シヤの電撃的な参戦で一時は騒然としたが、護衛計画を見直し、オレたちは朝を迎えた。今日がいよいよブルギニョン子爵家の次期当主との会談だ。この会談でオレの立場が決まるのかと思うと、緊張に襲われる。このオレが、飯もまともに喉を通らなかったほどだ。


 そんなオレの様子を見たシヤが、心配そうな顔を浮かべてオレを見ていた。そして、オレを元気付けるように言う。


「そんなに心配せずともよいぞ? ワシの読みでは、そう悪いことにはならぬだろうからの」


 シヤは、巨大クランの長として数多の情報に目を通せる立場だ。きっとオレには知らない情報も山ほど知っているのだろう。


「なにか知っているのなら、先に教えてほしいんだが?」

「簡単な話じゃよ。そもそも………」


 シヤに教わった話は、極めてシンプルな話だった。貴族社会は複雑怪奇だと勝手に思って理解するのを諦めていたが、対象をブルギニョン子爵家だけに絞れば、至極簡単な話になった。


 本当にそんな単純でいいのかと思うほどシンプルだ。それに、シヤが悪いことにはならないと断言した理由も分かる。


「そういうことか……」


 シヤの話を聞いて、オレの心は大幅に軽くなった気がした。どうなるかはまだ分からない。もしかしたら、オレとシヤの予想など裏切って、最悪の結果になるかもしれない。


 だが、ここは避けて通れない道だ。


 どうなるか分からない以上、備えはしなければならないのは確かだがな。


 オレは、考えられる限り最善の手を打ったはずだ。


 あとはどうなるか。詰められるところは詰め、あとは結果を待つしかない。なんだか心をじりじりと焼かれているようで、落ち着かないが、耐えなければならない。


「どうなるか……」


 オレの呟きは誰にも届かずに空気に溶けた。



 ◇



「た、単刀直入に訊こう。マクシミリアンは、生きているのか? 生還する可能性はあるのか?」


 応接間。昨日から先客万来のこの部屋に、新たな訪問者が現れた。テーブルを挟んだ向かいに座っているのは、ひどく痩せ細った男だ。覇気というものが無く、その豪華な衣装に着られているといった印象。痩せこけた頬を見ても、とてもこの男が貴族の嫡子とは思えない。そのへんの乞食を身代わりにしたのかと疑ったほどだ。


 だが、このなんとも冴えないおどおどした男が、本当にブルギニョン子爵家の嫡子らしい。一応、マクシミリアンの兄に当たる存在だ。マクシミリアンのような過剰な自信が服を着て歩いているような人物を想像していたんだが、真実は全く逆のようだ。


 だが、やはりマクシミリアンの兄なのか、お互いの挨拶が済んだ第一声はマクシミリアンの安否だった。


 マクシミリアンは、最近とくに伸張を続けるブルギニョン子爵家の切り札だ。取り戻せるものなら取り戻したいのだろう。そう思っていたのだがな……。


「マクシミリアンは、死にました。塵すら残さずに」

「本当か? 本当に、あのバケモノが死んだのか? 雷に化けるマクシミリアンをどうやって滅ぼすことができるんだ! 本当は生きているなんてことはないのか?」


 テーブルの上に身を乗り出し、落ち窪んだ眼窩に填まる二つの金色の瞳が、まるでオレに縋るように見つめてくる。まるで骸骨、アンデットに見つめられているような心地だ。


 だが、この言いよう。やはり、シヤの予想が正しかったのか?


 シヤたちエルフのパーティは、オレを守るように背後に控えている。オレの護衛役は、『蒼天』からシヤたちのパーティに交代している。敢えてシヤの姿を相手に見せ、オレが『連枝の縁』の庇護下にあることを示すためだ。


 だが、やって来たブルギニョン子爵家の次期当主は、シヤには目もくれずに、マクシミリアンの安否確認をしてきた。


 それだけマクシミリアンの持つ武力が必要なのかと思えば、実は違う。真実はあまりにも暗い。


「マクシミリアンは確実に滅ぼしてほしい。例え、父上に依頼されてもだ。父上はマクシミリアンの力を使って勢力の拡大を図っておられるのかもしれんが、あのバケモノを人が御することは絶対にできない! 確実に屠ってくれ。頼む……」

「ご安心ください。マクシミリアンは確実に死にました。貴方の地位を脅かす者はもう居ないのです」


 オレの言葉に、マクシミリアンの兄は一瞬だけ安堵の表情を見せた。それこそが、男の置かれていた状況を端的に物語っているだろう。男は、マクシミリアンの手のよって、嫡子の座を追われかけていたのだ。


「本当にか? お前は神に誓えるのか?」


 しつこく何度も訊いてくるのは、それだけマクシミリアンへの恐怖が体に刻み込まれているためだろう。強大な力を持つ弟が、本当に滅んだことを唯々諾々と信じられないのだ。


「いくらでも誓いましょう。マクシミリアンが、貴方の目の前に顔を出すことは二度とありません」

「必要ならば、ワシも断言してやろう。マクシミリアンはもう居ないぞ」


 なかなか信じない男の様子に、シヤの援護射撃が飛ぶ。巨大クラン『連枝の縁』のリーダーの明言だ。オレの言葉とはまさしく格が違う。


「そうか……」


 口では納得しつつも、その本心はまだ疑っているのだろう。マクシミリアンと同じ金の瞳がオレを射貫いて離さない。


「おそらく、父上もお前に会談を申し込むだろう。もし、マクシミリアンを使って父上と交渉しようなどと思っているのなら、考えを改めた方がいい。アレは人の手におえるものではない。どんなに厳重な牢に入れようとも、必ず報復しに出てくるぞ? 退治できるうちに、退治すべきだ」


 実の弟に向ける言葉ではないな。この男にとって、マクシミリアンはもはや自分の弟ではなく、人ですらないバケモノなのだろう。

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