一章 聖女の来訪とリルカの魔獣 ③

 うーんと腕を組み、「どう思う?」とクロエに尋ねる。


「さあねえ。食べ残しを見せられて、誰が食べたかわかる?って訊かれても。大きさ的には狼じゃない?」

「そんなことはわたしでもわかる」

「じゃあ、きっと全員やったのは魔獣だよ」

「……」


 適当すぎて絶句した。いつものことだが、いちおうの助手に期待をしてはいけない。

 息をつき、エマは髪に挿した銀の飾り針を抜いた。

 聖水に百日漬けていたもので、低位の魔物除けや魔物判定になる。


 銀針をまずは最後に襲われた警官の傷口にあてる。ほどなく尖った針の先から、獣肉をいぶすようなにおいの黒煙が上がった。魔獣の毛を聖水に入れたときと同じ反応だ。二人目、三人目の犠牲者にも同じことを繰り返す。どちらの傷口も黒煙がたちのぼる。唯一、はじめに犠牲になったといわれる少女――サラ=オーガストンだけが針の反応がなかった。


「彼女だけは魔獣に襲われたわけじゃないのか」

「なら、ふつうに獣のしわざってこと?」

「傷口を見てみろ。損傷がひどくてわかりづらいけど、鋭利な刃物にも見える。ちいさな街で同時期に被害が出たから、同じもののしわざだと考えられたのかもしれないけど」


 少女の首に入った傷をエマが示すと、「ええ、いいよお……」とクロエが顔を引きつらせてエマの背に逃げた。


「姫さま、よくそんなもの凝視できるね?」

「だって、ただの死体だろう」


 こわがる意味がわからない。不憫だとは思うが。

「ただの死体だからこわいんだよ。もうやることは済んだでしょ。とっとと出ようよ、モリス警部も飽きてるよ」

「えっ、自分はそんなことは」


 いきなり水を向けられたモリスはぶんぶんと首を横に振る。


「こんな辛気臭いところ、幽霊とか出そうでこわい」

「おまえがそれをこわがるのか」


 千年を生きる魔物のくせに、とエマは呆れた。


「姫さまはこわいものなしだから、いいよね。ひよわのくせに」

「ひよわは今関係ないだろう」


 わかったから、と追い払うように手を振ると、「いいの?」とクロエはほっと息をついた。

 そそくさと部屋から出ていく背中を見やり、「あの方って結局、なんの助手なんです?」とモリスが小声で尋ねた。まるで仕事をしていないように見えるが、本人に直接訊くのはさすがにはばかられたのだろう。「さあ」と首を振り、エマは別のことを尋ねた。


「サラ=オーガストンは街の外れに住んでいた薬師の少女……だったな?」

「ええ、どこかの国から流れてそのまま住み着いたみたいで。以前は似た境遇のばばさまが面倒をみてたんですけど、数年前に死んでからはサラひとりでしたね。……俺たちのあいだじゃ、彼女たちは『魔女』って呼ばれていて」

「魔女?」

「得体の知れない薬草を育てたり煎じたりしているから、魔女じゃないかと。子どもが熱を出したときとか、助けてもらったりもしていたんで、教会に訴えるやつはいなかったけど」


 モリスは考え込むように口をひらいたり閉じたりしたあと、サラの遺体がおさめられた棺を見た。エマを促して遺体の保管室を出ると、やっと口をひらく。まるで遺体のサラに聞かせるのをこわがっているかのようなそぶりだ。


「魔獣の話が出てから、皆こっそり言ってるんですよね。『黒の獣』はじつは魔女が呼び出したんじゃないかって……」



 坂道を歩きながら、クロエは鼻歌をうたっている。

 エマがモリス警部から聞き取りや捜査報告書を借り受けているあいだに、外で子どもたちに教えてもらったらしい。クロエはどこに行っても、子どもたちとすぐに仲良くなるし、女たちには異様に好かれるし、男たちには嫌われる。ちなみにエマは人間全般とうまくやれなくて、友人もほとんどいない。対人能力は魔物のほうが上だ。


「姫さま、なんで機嫌がわるいのさ。荷物持ちならしてるでしょ」

「べつに何も言ってない」

「かわいらしいのに凶悪な顔をしているよ。もしかして、僕が姫さまの仕事中に外をほっつき歩いていたせい? 子どもたちからもらったおやつ、姫さまも要る?」


 ポケットからおやつが入っているらしい袋を取り出したクロエに、「要らない」とエマは顔をしかめた。息が上がっている。坂道続きのリルカの街はエマには天敵だ。箱型鞄を片手に軽快に歩くクロエが恨めしい。くそ。健康な身体がほしい。あと家。おおきな家。ベッドはふかふかの天蓋つきで決定だ。

 モリス警部に手配してもらった宿の住所が書かれた紙片に目を落とし、エマはガス灯に掛けられた銅板で番地を確認する。近くだ、とあたりを見回していると、ヤドカリとスプーンが描かれた丸看板が目に入った。


「ヤドカリ亭……?」

「きゃっ」


 そばで上がった声に、エマは瞬きをする。

 店先のランプに火を入れていた少女が、驚いた風にエマを仰ぐ。歳は十歳前後だろうか。やわらかそうな栗毛を左右で三つ編みにして檸檬色のリボンを結び、若草色のペチコートに白の前掛けをしている。


「あの、もしかして、《オランディアの聖女》さま?」

「そうだけど……」


 口ごもったエマに代わり、クロエが愛想よく微笑んだ。


「そうだよー、このひとは僕の姫さま。君はヤドカリ亭のお嬢さん?」

「シャロンです。……聖女さまじゃなくて、『姫さま』なの?」


 クロエが使った呼称が引っかかったらしく、少女はふしぎそうな顔をした。

 確かにエマはもとはオランディア姓を持つこの国の王女だ。でも今はそうではないし、よく考えると、相棒に呼ばせる呼称として「姫さま」というのは大仰すぎる。出会った頃からクロエは「姫さま」と呼ぶから、気にしていなかった。


「できれば、エマのほうで呼んでくれ。ええと、シャロン?」


 ばつのわるさを感じつつ名乗ると、「うん!」と少女ははにかみがちに微笑んだ。


「今日は聖女さまがいらっしゃるって聞いたから、おかあさんとお部屋を掃除して待ってたんだよ」

「そうなのか。ありがとう」


 小柄な少女のすがたに双子の妹のことを思い出して、エマは眦を緩めた。基本的に警戒心は強いほうだと思うが、例外としてエマは子どもには弱い。


「おかあさーん! 聖女さまがいらしたよ」


 ドアをひらいて、シャロンが中に声をかけると、「あらあら」とふくよかな女性が顔を出した。モリス警部からこの宿を紹介してもらったことやしばらくのあいだ逗留させてもらうことを伝える。おかみさんはモリス警部の奥さんらしい。すでに話は聞いていたらしく、「王都からはるばるリルカまでたいへんでしたねえ」とのんびりと労った。


「聖女さま、退魔師ってどんなお仕事? 聖女さまは魔法が使えるの?」


 二階にある貸し部屋に案内するあいだ、シャロンはそわそわと質問する。


「シャロン」


 おかみさんが困ったようすで注意するが、あまり聞いていない。

 オランディア聖庁に退魔機関が存在することは知られているが、そうそう人前に現れるものではないので、どこの派遣地に行ってもめずらしがられることが多い。大人とちがって子どもたちは興味もあけすけだ。エマはちいさくわらった。


「使えないよ。退魔師の仕事は、わるい魔物の退治だ」

「でも魔法が使えないのに、どうやって退治するの?」

「やり方はいろいろあるけれど……。ううん、あまりひとには言えないんだ」

「ええー、知りたい」

「シャロン。お客さまをあまり困らせないの」


 おかみさんに諭され、シャロンはしゅんと一度口をつぐんだ。


「お部屋は一緒でよかったですか? 一応空きもありますけれど」


 貸し部屋をあけて、おかみさんが尋ねた。

 エマとクロエの関係は、はた目には判じづらい。兄妹にも見えるし、どこかの令嬢と従者にも、飼い主と情夫にも見えるらしい。おそらくクロエのよすぎる見た目と浮ついた言動のせいだろう。「ああ」とうなずいたエマに、「ふたりは恋人なの?」とシャロンが訊いた。


「――ですって、エマ?」


 クロエはなぜか機嫌がよい。


「彼はわたしの仕事の助手だ」とエマはモリスにしたのと同じ説明を繰り返した。

「あまり役に立たないから、おもに荷物持ちをさせている」

「そうそう。姫さまは人使いが荒くて、昼も夜もご奉仕がたいへんなんです」


 シャロンはわかったようなわからないような顔をしたが、おかみさんのほうは「まあ」と頬を染めた。絶対ちがう方向に勘違いをしている。なんだ夜って。淫猥な。

 ふたりがいる手前、いつものようには文句を言えないので、エマはクロエを軽く睨む。


「そうだ、シャロン。お客さまの水差しを取り替えてきてあげて」


 脇机に置いてあった水差しが空になっていたことにきづいて、おかみさんが言った。


「はあい」


 水差しを抱え、階下に向かった娘を見送ると、「あの子、聖女さまがいらっしゃると聞いて喜んでしまって」と苦笑する。


「数か月まえに友だちを失くして、しばらくのあいだはふさぎがちでしたから……。あんなに元気そうなあの子を見るのは久しぶりなんです。聖女さまのおかげだわ」

「友だちを失くした?」

「ええ。例の魔獣被害の……」

「サラ=オーガストンか」


 聞けば、シャロンは以前からサラの家にときどき遊びに行く仲だったのだという。

 十歳のシャロンと十六歳のサラ。年はやや離れているが、シャロンにとって薬師のサラは親たちが知らない生活の知恵を教えてくれる姉に近い存在だったようだ。


「泣いているあの子によくあなたの話をしたんです。《オランディアの聖女》がいつだってあたしたちのために祈っているからと」


 純粋な崇敬をこめた眼差しで見つめられ、エマは居心地がわるくなる。

 そんなたいそうなものじゃない、と思わず口にしたくなったが、シャロンが戻ってくる足音が聞こえたので、息を逃してこらえた。

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