第4話 科挙の噂


 科挙最終日。

 ジアンは藍色の衣に袖を通す。

 髪を結い上げ、黒笠をかぶればジソンそのものであった。


 これまでの替え玉で、男装に加えて髭までつけて変装をしていたのは、万が一ジソンの知り合いに見られでもしたら厄介であったからだ。

 しかし、今日はその必要もない。

 ジソンが着るはずだった衣を着て、髪型だけ変えれば、顔はそのままでいい。

 中性的で、均衡の取れた美しいその顔は、どこからどう見てもジソンそのものだ。


 昨日の替え玉の話を聞いていない安家の父親は、ジソンがジアンの部屋で寝込んでいることは知らず、今朝目の前で朝食を食べているのは、当然息子だと思い込んでいる。

 思っていることが顔に出やすい父親には、家族全員でジアンがジソンの替え玉として科挙に行くことは隠しておくことになったのだ。


 ジソンもジソンで、一応姉の衣を着て横になっている。

 具合が悪く部屋から出ないのは、女装した息子。

 科挙に行くのは、男装した娘。

 父親は一切このことに気がついていない。


(ごめんなさい……父上。行ってきます)


 ジアンは見送る父親の視線を感じつつ、科挙の試験会場へ向かった。

 その、道すがら————


「今日の科挙に王妃様がお見えになるそうだよ」

「王妃様が?」


 華陽の民たちが口々に、ミオン王妃について話しているのがなんとなしに耳に入る。

 ギリギリの中級貴族であるアン家とは違い、何人もの高官を輩出しているチェ家の箱入り娘であるミオン。

 父親同士が親しい間柄ということで、子供の頃から崔家に行き来していたジアンは、世間の誰よりもミオンについて詳しかった。


 つぶらな瞳に、左目の下の泣きぼくろがあり小柄で可愛らしい王妃。

 容姿もさることながら何より声が美しく、まさに鈴を転がしたようなその声をジアンは羨ましく思っている。

 ジソン曰く、ミオンの声には癒しの効果があるとかで、悪いことや嫌なことが起こった時はミオンの歌声を聴くと心が落ち着くような感じがした。


 幼少の頃から物語の主人公のように王妃になり王に愛されることを夢見ていたミオン。

 その夢が叶い、婚礼の儀が行われた日はジアンも自分のことのように嬉しかった。


「ほら、大王大妃様が亡くなられてからは王様とのアレもめっきり減ったって話だろう?」

「王様はそういうのは大王大妃様のいいなりだったらしいからね……」

「今じゃ、王様は毎晩ご側室の方に行ってるって噂だよ」

「科挙にお見えになるのも、王様との間をなんとかしようとして王妃が口実にしてるんじゃないかってやつか?」


(側室……?)


 後宮の内情について、あまり詳しくないジアンは首を傾ける。

 側室が二人くらいいるとは聞いていたが、本当にミオンは王と上手くやれていないのだろうかと、心配になってきた。


「それより、科挙といえばあの話を知ってるかい?」

「あの話?」

「なんでも、今年の科挙に受かるのはほとんど西派にしはの息子たちらしいよ」


 西派とは、幻栄国の政権派閥の一つ。

 西派と東派ひがしはの派閥争いは先王の時代からからしばらくは東派が勢力をふるっていたが、それは東派の家紋出身である大王大妃が幼い王に変わって摂政をしていた影響が大きい。

 しかし、大王大妃が亡くなってから、西派の勢力が増してきているという話だ。


「なんでも科挙の問題を作ってる官吏が西派らしくてね……西派の息子たちにって話だよ」

「なんだいそれは……それじゃあ、不正を働いてるってことかい?」

「まったく、これだからこの国は駄目なんだ」

「そう思うなら、あんたも科挙でも受けて官吏にでもなってみなよ」

「馬鹿言うな。オレら平民にそんな力あるわけないだろう……武科で受かっても、戦のないこの太平の世じゃ、庶民は庶民のまんまさ」

「そうそう。それに、武科だって結局貴族の息子しか出世できないんだから」

「今日の科挙も、事前に問題を知ってる西派の連中が合格するようにできてるんだろ?」

「いやいや、東派の連中だって毎年替え玉を雇ってるって話だぞ」

「なんだそれ……本当、お役人たちときたら……」

「科挙に不正はつきものさ」


 替え玉と聞いて一瞬どきりとしたが、西派の息子たちが事前に問題を知っているという噂に足が止まる。

 これでは、普通に科挙を受けても首席で受かるのは難しい。

 東派でも西派にも属していない、なんの後ろ盾もないジアンが果たして公正な目線で科挙に首席で合格することはできるのか、不安になってきた。


(————……落ち着け私。科挙で替え玉は確かに横行してるけど、事前に問題が漏れているなんて話は、聞いたことがないわ。きっとただの噂よ。それに、私なら……どんな問題だって絶対に合格できる。いざとなったら、千里眼で前の人の解答を見ればいい)


 それも立派な不正行為なのだが、そんなことをしなくても、あのジソンの姉なのだから、本気を出せば首席合格間違いなしだと自負していた。


「はい、どうぞ。空いている席に座ってください」


 ジアンは受付で真っ新な解答用紙を受け取ると、空いている一番後ろの席に座り、硯に水を垂らし、墨を磨る。

 アン知聲ジソンと先に名前を書いて、問題の発表を待った。


 しかし————


(あ……)


 斜め前に座っていた見るからに高級そうな紫色の衣を着た男が、袖口から何かを出している。

 よく見ると、小さく折りたたまれた紙だ。

 気になったジアンは、その紙をじっと見つめ千里眼を使う。

 折りたたまれ重なった文字を脳内で組み立てると、それは書かれていたのは、発表される前に答えられるはずがない、問題の答え。


「それでは、問題を発表する————」


 試験官が問題の書かれた大きな紙を掲示すると、開始の合図である銅鑼の音が会場に響き渡り、なに一つ悩むことなく、その男はスラスラと解答用紙を埋めていく。

 しかも、それはその男一人ではない。

 噂通り西派の息子たちが不正に入手した問題の答えを、そのまま書き写しているのだ。


(————なによこれ……!! ふざけるな!!)


 いったい何日前から問題を入手していたのか、西派の息子たちは言い回しは違えど、合格するようによく考えられた答えを書いていく。

 中には受付で渡された解答用紙と事前に答えが書かれた紙をそのまま入れ替えている男もいる。


 千里眼の透視の力を使い、彼らのそんな不正行為をすべて把握したジアンは、この事前に用意された答えよりさらに上の答えを書き上げることを決意する。

 しかも、その上でこの科挙が不正に行われていることを告発する文章になるようにとある細工まで施した。


 ジソンの替え玉をやっている自分の行為は、棚にあげて————


(絶対に首席をとってみせる!!)




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