第2話 天才替え玉士



「ひ……人違いじゃないかね?」


 裏返りそうだった声を無理やり低くして、なんとか乗り切ろうとする。

 科挙の会場から出たとはいえ、男しかいないこの場所で高い声なんて出したら目立ってしまう。

 付け髭までして男装しているのだから……


(どうしてバレたの!?)


 ジソンの手を振りほどいて逃げようとしたが、逃すまいと強く握られていて動けなかった。


「いやいや、そんな声出しても無駄だから。顔一緒だし! 質問に答えてよ、姉さん」


(まって、やめて! 姉さんて呼ばないで!!)


 会場から出てくる他の男たちの声でかき消されて、この中に一人女が混じっているという事に、まだ誰も気づいていない。

 しかし、門の目の前で立ち止まっている二人を邪魔そうに見ている人もいて、このままでは危険だ。

 同じ顔が二人いるというだけでも、かなり目立つ。


「……わかったわよ。ちゃんと説明するから、とりあえず人のいないところに行くわよ」


 小声でそう言って逆にジソンの手を引き、二人は人気のない路地裏に入った。



 * * *


 華陽の端に、ギリギリ中級貴族のアン家はある。

 現当主は中級貴族にふさわしく武科の科挙に合格して、少しだけ出世し、今は王族や貴族の子供達の剣術の師匠をしている。

 戦でも起こらない限り、これ以上の階級に上がることはできないだろう。

 そこまで裕福な家ではないが、五年前に長男・知虎ジホは父と同じく剣術に長けており武科に合格し、王の親衛隊に入った。

 おそらく、将来は父と同じ道を進むであろうと、誰もが予想しているところだ。


 一方で次男のジソンは、誰に似たのか幼い頃から神童と呼ばれるほど頭が良く、文科の科挙に合格すること間違いなしと言われていた。

 安家の希望の星であるジソン本人も、科挙で首席合格すると希望する部署で働くことができるということを知ってからは、首席だけを目指してこれまで懸命に勉学に励んでいた。

 勉学に励んでいるのであまり外を出歩かないが、近所では花より美しい顔立ちをしていると噂になっている。


 そして、もう一人安家には娘がいる。

 それが、ジソンの双子の姉・知眼ジアンである。

 ジアンは兄であるジホと同じく剣術にも長けているし、ジソンとは性別が違うだけ、顔や背丈、声もよく似ていた。

 もちろん、その頭の良さもだ。


 しかし————


「あのねぇ、姉さん。女は科挙を受けられないって、知ってるよね? それも、こんな髭までつけて男装して……」

「いやーそのー……それはわかってるんだけどー……」


 女であるジアンに、科挙を受ける資格はない。

 この幻栄国で、ジアンはそもそも官吏にはなれない。

 良妻賢母、それがこの国の女の理念なのだ。


 貴族の家に生まれたからには、少しでも自分の家より高い階級の貴族の家に嫁に行き、子供を立派に育て上げるのがこの国に生まれた女のあり方であり、それこそが女の幸せだという。

 どんなにジアンの頭がよかろうと、その剣術が優れていようと、この国ではなんの役にも立たないのである。

 それでもまつりごとに関わりたいのであれば高い階級の官吏に嫁ぐか、後宮に入るしか方法はないし、もちろん武官にもなれない。


 だが、ジアンは知っている。

 ジソンと同じく中性的で均衡の取れた容姿は美しいが、中途半端な階級貴族の娘————それも双子の自分を嫁に欲しいと思う高官なんていない。

 良くても側室だろうと思っている。

 王族や高官たちの間で双子は不吉であると忌み嫌われいるのだ。


 さらに、ジアンとジフンが生まれたのは星が雨のように大量に落ちるという凶事があり、先王が崩御した夜だった。

 半年前に新しい王妃を決める選定が後宮で行われたものの、顔は美しいが生まれが不吉すぎると落とされたくらいだ。

 その貰い手も、いつ現れるか分かったものじゃない。


「わかっていて、どうしてこんな事を? 僕が今年の科挙にどれだけかけてるか知ってるよね? やっと十五になって、科挙が受けられる年齢になったのに……僕が首席で合格できなかったらどうするつもり?」


 ジソンとジアンの頭の良さは同じ。

 下手をすると、ジアンの方が上かもしれない。

 もしジアンに科挙で負けることがあれば、ジソンのこれまでの苦労は一体なんだったのか……


「わかってるわよ! 大丈夫、ちゃんとわざと間違えて手を抜いてるし……そうしないと、二次試験で本人にボロが出たら大変だから————」

「本人……?」


 てっきりジアンは性別を偽って科挙を受けたのだと思っていたジソンは驚き、目を丸くする。


「まさか……替え玉!? 姉さん、替え玉をしたの!?」

「しーっ!! 声が大きい!!」

「あ、ごめん……。でも、なんで替え玉なんて……」

「その……どうしても、欲しい本があって……」

「また本? そんなの僕が官吏になったらいくらでも買ってあげるって言ったじゃないか。それに、姉さんの千里眼せんりがんがあれば本なんて開かなくても読めるのに……」

「読むだけならそれでいいけど、収集したいのよ……私は」


 不吉な日に生まれた代償に天が授けたのか、ジアンは生まれつき視力が異常に良く、遠くのものもよく見え、ものを見透かす透視能力まで持っている。

 書店の店主が立ち読み防止にと紐でくくってある本も、その能力————千里眼をうまく使えば見ることができた。


 それでも気に入った本はなんとしてでも収集したいジアンは、その本欲しさに店主から替え玉の話を持ちかけられて、やったのだ。

 実は去年の武科でも、同じように男装して科挙を受けていて替え玉の仕事は二度目。

 筆跡まで真似て書いたものだから、その見事な替え玉っぷりに仲介業者に天才替え玉士とお墨付きをもらったくらいだった。


「それにジソンだって、疲れるでしょ? 順風耳じゅんぷうじを使うのは」

「うん……まぁ、僕の場合制御するのがだけど」


 ジソンはジアンと違って聴力が異常に良い。

 気を抜くとありとあらゆる人の声や音、三件先の家の夫婦喧嘩まで聞こえてくるので、制御するのが大変だ。


「とにかく、本が欲しいなら僕が買ってあげるから、もう誘われても替え玉なんてしちゃだめだよ? もしまたやったら、通報するからね」

「わかったわよ……」


 ジソンに釘をさされ、次に替え玉の話が来ても絶対に断ろうと心に決めたジアン。

 数日後、雇い主から見事に依頼通りギリギリで一次試験を通過したとの知らせが来て、次の科挙で弟の分もと頼まれたが、丁寧に断った。


 ————ところが、科挙の最終試験が明日に迫った頃、問題が起きる。


 一次、二次と首席で通過し、神童と言われた秀才、安家の期待の希望の星であるジソンが高熱を出して倒れてしまった。

 どうしても今年の科挙で首席合格し、希望している部署に行きたいジソンは、高熱にうなされながらも必死で訴える。


「姉さん、僕の代わりに明日の最終試験受けて……」


 ジアンに替え玉を頼んだ。


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