第十七話 異変

 5人の食事の後、年増の二人組は用事があるからと去っていった。ハル達はサージェリーに呼ばれて、父親がいるモニター管理室に赴く。

 コンコンと扉をノックすれば、もう聞き慣れた空気が抜けた音と共に扉が開く。


「やぁ、ここの生活も慣れてきたかい?」


 開口一番、フルーゲルはそんな社交辞令を口にする。ハルは当たり障りのないよう、そうだなとだけ答える。


「さて、今回君たちを呼んだのはね、これを渡すためだ。本当は明日渡すつもりだったんだけど……訳ありでね」


 そう言って差し出されたのは、サージェリーが使っているのを見たカードだ。


「これで君たちも晴れて、僕たちの仲間……っと忘れてた。これも渡しておこう」


 不思議そうにカードを眺めていた二人の前にさらに小さな腕時計が差し出された。もちろんこの時代なので、デジタルだ。時計の小さな液晶に発光した数字がくっきりと浮かび上がっている。


「その腕時計はこの施設の機器と連携している。自己情報の確認とセキュリティ管理のためのものだ。知っての通り一人当たり1日に使える電力は決まっている。機械にカードをスキャンしたときカードの記録がその時計にも反映されるんだ。横のボタンを押せばモードを変更できてそれを表示できる」


 ハルが言われた通り時計のボタンを押すと、ピッと画面が切り替わり残量6.0kwhと表示された。これが奴の言う残りの電力なのだと納得する。同時に遠隔でこんなことまで記録されるとはと、今までも監視されていたのではないか、と気味の悪さを感じた。


「それで、悪いんだけどさ。早速君たちにお願いがあるんだけど……聞いてくれる?」


 二人の視線が自分の方に向いたのを見て、フルーゲルは続ける。


「明日僕は秘匿の物流ルートから、食料を仕入れなきゃいけないんだ。そこの中継地点へ向かう道中アスヴァドルも襲いかかってくるだろうから護衛がいるんだよ。するとここを2日も空けなければならない。そうなると今度はここの防衛が手薄になるんだ」


 護衛と言っているし恐らくトラックのような荷台で搬送するのだろうと予測するハル。だがそこで疑問なのが人数制限だ。重量の自動車にそこまでの人は乗れない。護衛人とフルーゲルと残り数人。これだけしか抜けてないのにアイツは手薄になると言った。よほど自分の実力に自信があるのか……とハルは考える。


「隠れ家だから見つかることはないはずだけど……万が一アスヴァドルに襲われたら、少しだけでいいから娘に加担してあげてくれないかい?どうせ聞き分けの悪いあの子のことだから少し面倒かもしれないけど……」


「自分の今現在の住居だ。潰れたら困る。無論そうなれば手は貸すつもりだ」


「ありがとう。これで僕の肩の荷も軽くなるよ」


「そうか。ではな」


 もう要件はなさそうなので、部屋から出ようとする。


「あ、ちょっと待って。君たちの部屋なんだけど……」


 フルーゲルは丸ごと画面と化した机を操作すると、そこにこの施設のマップが現れる。


「ここの客室を使ってくれ。割と広い空き部屋があってね。掃除もしといたから、自分たちの使いやすいようにレイアウトを変えて、存分にくつろいでくれ」

 

 指さすところはこの部屋から出て、右に曲がったすぐ近くだ。


「ありがとう」


「どういたしまして。さ、もう夜も遅い。早速部屋に行くといい。それじゃあおやすみなさい」


 アキは頭を下げて、部屋から退室して行った。

 ハルはと言うと……意味ありげにある一点を見つめた後、アキの後を追いかけて行った。


「ふぅ〜」


 フルーゲルは深く息を吐くと、椅子に座り込む。その肩の上にはどこから現れたのかハムスターがよじ登ってきている。

 フルーゲルは優しくハムスターの鼻先をつつくきもう一度ため息を吐いた。


「……勘がいいな。あの子」


 意味深な一言はただ誰に聞こえることもなく宙に溶け込んでいった。




 ハルは布団の中で眼を覚ます。時計を見ると6時になっている。電灯の赤外線センサーにリモコンを向けて、ボタンを押し電気をつける。突然の明るさに思わず目を瞑ったあと、そっと目を開く。

 フルーゲルに呼び出された後、二人は部屋に行き作業していた。気づいたら眠っていたのだ。昨日分け与えられた客室のスペースを持て余し気味だが、ハルの枕のそばには開きっぱなしの本が散らばっている。


「いつのまにか眠ってしまっていたのか」


 ハルは寝落ちした事を遅れて認識すると、昨日の続きを読もうと本に手を伸ばし、朝ごはんの時間になるまで読み続けた。

 因みにこの客室はなんと図書館の真下に位置する。この部屋の図書館にあった入力装置を操作すると遠隔で本を取り寄せることができたのだ。

 もしかしたらフルーゲルはそこにまで気を遣っていたのかもしれない。



 コンコンとノックが聞こえる。ハルはインターホンを覗いた後、昨日の顔ぶれかとゆっくり扉を開く。


「おはよー。朝だよ」


「何か用か?」


「ん?朝ごはん一緒にどうかなって」


「構わない……少し待ってろ」


 ハルは自分の部屋を横目に見た後、断りを入れて一旦部屋に戻りアキを呼びに行く。ハルと同様着替えを済ませてヨタヨタと歩いてこちらに来た。


「この服動きづらい」


 そう言うアキとハルは服の裾が膝まである不思議な服を着ている。


 今まで着ていた服は洗濯中だ。風呂上がりのパジャマとこの軍服の二着を現在借りている状況だ。青色調の生地が滑らかな服。触り心地はいいがどうにも着なれない。


「でも今日の仕事柄、その服装の方が融通が利くんじゃない」


「仕事……ここの警備についてだよね?」


「そうだけどそれは本職の軍人に任せればいいんだよ。ずっと要塞内から外の監視をしてても暇だし折角なら、体を動かしたいんだよね」


「何か力仕事でもやるの?」


「仕事というより後始末?ドームの瓦礫の撤去だよ。資源は無駄にできないから使える金属も回収したいからね」


「それで私たちもその手伝いをすればいいんだね」


「そうして欲しいんだけど……手伝ってくれる?」


「いいよ」


 三人は朝食を済ませると早足に廊下を歩き、玄関の厳重な扉へと向かった。


「む」


 扉の前には兵士が銃を腰に携えて立っていた。


「サージェリー殿と友人方ではないか」


「おはよう。私達も外に行きたいんだけどいいよね?」


「危ないからだめです……と言って聞き入れてもらったことはありませんな。外には兵士もいますし困ったら声をかけなされ」


「心配性だな」


 兵士は諦め半分の苦笑いを浮かべ扉を開いた。

 

「くれぐれも気をつけなされよ」


「はいよー」


 三人はいとも容易く要塞からの外出を許された。


「随分と軽いやりとりだったね」


「いいのいいの。ここらの範囲内ならアスヴァドルもそこまで脅威ではないし」


 どういう事かとアキは疑問を呈する。


「ああ言ってなかったね。ある場所にアスヴァドルに組み込まれた回路に到達する、電源線や信号線に特定周波数の電磁波を紛れ込ませて、命令系を撹乱させる装置が隠されてるの。だからあれでも弱体化されてるんだよ」


 ハルはやっと初めて戦った時、言葉を発する度にノイズが混じっていたのを思い出す。その原因はこれかと得心する。


「寧ろあの状態でも動かせるゼクロスがすごいんだけどねぇ……ちなみにその装置の開発主導者は私のお母さんなんだ」


 なんとも誇らしげに胸を張っている。余程嬉しい事なのだろう。




 要塞から徒歩で15分。三人はドームの入り口に到着した。


「相変わらず酷い有様」


 アキはそこらに散らかる残骸を見て、ここでどんな虐殺があったのかと夢想する。


「かつての居住者も無念だっただろうね」


 ハルは相変わらず無関心に、凄惨な景色を眺める。

 

「金属は何処かに集めて、その他の瓦礫は撤去するという事でいいんだな」


「うん。あまりにも錆びていたり、再生しても使えなさそうなものはいらないけど……」


 サージェリーは背中に大砲のついた霊獣を顕現させる。しかしその背中から発射されたのは鉛玉ではなく、網目が網羅したネットだった。


「《ミネルズ》捕獲隊。そのまま瓦礫を中央に集めてきて」


 あの小動物たちのどこに潜在的な力が秘められているのか、瓦礫の山を丸々包み込んだネットを次々と中央に集め始める。


「何をしてるんだ?」


「選分けだよ。まぁ見てなって」


 瓦礫をネズミ達が引っ張り一箇所に集めた後、サージェリーが手を振り何かを指示した。


「《ミネルズ》合体!」


 そういうや否やネズミたちが一斉に真ん中に集まり始めて、煙を立てたかと思えばあっという間に巨大な一匹のネズミとなったのだ。


「……どういう原理だ……?」


 ハルの独り言は虚しく風に乗り去る。

 

「装備変更。エレクトロマグネット」


 巨大なネズミはその指示に従い、背中の大砲を虚空に消し去る。次いで背中に出現したのはクレーンで吊るされた巨大な円盤の電磁石であった。


「スイッチオン」


 ネズミの持つ電磁石は光沢を持つ物体を主に釣り上げ始める。これにより金属のみを選定しているのだとハルは驚きつつ感心したように見上げる。

 電磁石に連なり吸い寄せられた金属たちの行き先は、このドームに数箇所設置されてる大型の鉄製の荷台の一つだ。

 電弱の電源を切ると同時にその荷台へ、余す事なく落下して行った。


「こうやって集めた金属は荷台を引っ張って、工場とかに持ってくの」


「なんとも壮観だな。それで残った瓦礫はいつもどうしている?」


「取り敢えず邪魔にならない場所に寄せて、いつになるか分からない戦後に、回収して埋め立てや焼却処分することになるはず」


 ガラス、コンクリート、陶磁器の破片なんかも粉々になって散らばっている。ハルはそれを見てならばと提案する。


「では瓦礫処理は俺に任せろ。まとめて灰にしてやる」


 ハルは自信満々に宣言した通り炭化したものやコンクリートなどの山を、赤い粒子で次々と灰にしていく。


「やっぱ便利だよその能力……ずるいなァ。いや私も自分の能力に、不満があるわけじゃあないけど」


「お前の能力も汎用性が高いではないか。それにまだ成長の見込みもある」


 二人が共同作業で金属と瓦礫の層分けと、瓦礫処理をしているのを後ろで見守るアキはふと思う。


「私ってもしかしていらない……?」


 誰に問うわけでもなく、淡々と作業を続ける二人の背中を見つめながら呟く。この取り残された感じがなんとも虚しいのだ。


 半ば拗ねたアキが何となく周りを見渡す。その時アキの耳がいつしか聴いた電子音を耳にする。

 じっと目を凝らせば蟹のような造形のアスヴァドルが瓦礫に埋もれているのが見える。


「ねぇ2人共……アレはほっといていいの?」


 アキの視線を先を追って二人も、そのアスヴァドルを認識する。


「ん?あぁ、そこにもいたんだね」


 サージェリーは一旦作業を中止し攻撃隊を、顕現しようとしたところで横のハルが先に赤い粒子をその元に送り込んだ。

 通常より控えめな効果のそれは、ポツポツと斑点が広がるようにして灰に変えていきやがて、内臓部分までもが無惨な姿と化し電子音は止んだ。


「やはり便利だな。俺のゼクロス」


 ハルは一人満足げに頷くと再び瓦礫の処理に携わった。


「仕事が早いね〜。なんか任せっきりで悪い気もしてきたよ」


「気にしなくても大丈夫だよ。いいストレス解消になってるみたいだから」


「確かに側から見てても、プレス機や破砕機で粗大ゴミを鉄屑に変えてくような爽快感があるね」


「……多分そんな感じ」


 アキはプレス機とはなんぞやと、ぎこちない相槌と共に適当に返事をする。


 そんなこんやでアキも瓦礫を灰に変えたことによる粉塵を砂嵐で払いながら、周りの警戒もするというなけなしの助太刀をしながら自分の能力の非力さに打ちひしがれるのだった。




「今日も一日何事もなかったねぇ〜。それが一番なんだろうけど……ここでの缶詰状態も結構精神的にクるものがある……」


 時刻は夕刻。気づけば日も沈み各配置につく、兵士たちも番交代していて朝見た時と顔ぶれが違っていた。

 3人はタイムスケジュールを見て、人が空いている時間帯を見計らい各々別々に浴槽にて体を洗ったところでパジャマに着替え、食堂近くの廊下で合流した。どこか煙りや泥くさかった三人も髪に艶を残し、シャンプーのフローラルで清潔な匂いを漂わせている。

 ハルとアキもぎこちない手つきで頭を洗った後の、昨日も感じたじんわりとした余韻に浸っている。


「うげッ!今日の飯キノコ入ってんだけど!」


「もういい歳でしょ。それくらい我慢なさい」


 どこか子供じみたやり取りが目の前で繰り広げられる。そこには昨日会った二人……現在頭を抱えるナイブロムとため息混じりに呆れるサーレがいた。


 サーレがこちらに近づく三人に気づくと、頭を悩ませていたナイブロムとも視線が合う。


「お!お前ら!ちょうどいいとこに!」


 ナイブロムがこちらにすり寄ると、両手を顔の前で擦り合わせ懇願のポーズを取る。


「サージェリー!いや、アキちゃんでもハルくんでもいい!キノコスープもらってくれないか!?代わりに何かお願い聞いてやるからさ!」


「大の大人が何を言ってるの?どんな交渉されたって私たちも手伝いたくないよ、そんなこと」


 ねぇ?と同調を求めるサージェリーと、望みの綱になんとしてでも縋りたいナイブロム。それに対してハルは逡巡の末、ナイブロムに声をかけた。


「なら俺がその交渉に乗ってやる」


「何!?」


 思わずこの場の全員が驚愕し、らしくない言動を用いた主に視線を一点に集めた。


「ホントに言ってるの!?こんな子供の茶番に付き合わなくたっていいんだよ!?」


「別にこっちに利がありそうな交渉になるだろうと踏んだから乗っただけだ」


「なんだ!?ハルくんも嫌いなおかずがあるのか?」


「お前と一緒にするな」


 ハルは同調意識でこちらに何か共通項を見出そうと持ちかける奴の言葉を一蹴すると、ある提案をした。


「昨日会った時自分が、メカニックだと名乗っただろ?」


「ああそうだぜ。何か作って欲しい物とか直して欲しい物があるのか?」


 いいや、とハルは首を横に振る。


「欲しい物はあるがお前に作って欲しいわけではない。むしろその逆だ」


「どういう事だ?」


「色んな機械の構造を理解するには、本だけではなく立体的に見てみないとわからない部分があったから実物を分解してみたいんだ。壊れたものや現在使ってないものでもいい。いくつかそういうのをくれないか?それと工具一式も併せてくれるなら、あとは言うことはない」


 ナイブロムは目を点にしてしばし硬直した後、徐々にその口端を釣り上げて行った。


「なんだよ!そんな事でいいのか?だったら廃棄処分される物を取り寄せてやるよ。いやぁ、勉強熱心でお兄さんは嬉しいぜ」


 何を思ったのか喜色の笑みを浮かべこちらに抱きついてこようとする奴を、ハルは横に回避した。


「なんだお前……?よく分からんが俺に触れるな」


「あー……こういうスキンシップは慣れてないタイプ?」


 ハルは困惑と一種の気色悪さを目にした時の表情を呈している。時代も違えば常識も違う。こういう奴の行動も突如奇行に走ったようにしか見えなかったのだ。


「まぁ、こんなご時世だし?知人と言えども能力使いには常に警戒しておかなきゃなー……て事だよな?別に俺が臭いとかじゃあないもんな?」


「どちらかと言えば胡散臭い」


「それはそれでショック……」


 こんなやり取りがありながらも、夕飯を窓口から受け取り席に着くと、ハルはキノコ入りのスープを食器ごとナイブロムから受け取る。雑談混じりに夕飯を皆んなで食していた。

 

「どうせメニュー表作るんなら今日のご飯はこの定食とこの定食って種類を増やして選べるようにしたらいいのにな」


「喫茶店とかじゃあないんだから、そんなことあるわけないでしょう?利潤が目的ではないんだから。そんなことしたら必要以上の食糧が使用されてその上、受け取る側の気分で余る食材も出てくるだろうし、統計をとって予想するにも時間がかかる。あなた個人の願望を叶えるためにそこまでの労力を割くのは資源も時間も無駄よ」


「そんなこと言ったって嫌いなもんは嫌いだ。無理して食いたくねぇよ」


「ハァ、贅沢な人」


 なんの生産性のない口論を小耳に挟みつつ、三人も料理を口にする。


「お前らはどう思うわけよ?ぶっちゃけまだ子供のお前らにも嫌いな料理の一つや二つくらいあるだろ?」


 行儀悪くも三人をスプーンの丸い部分を指し向けながら質問するナイブロム。


「ごめんけど私、よっぽどひどい料理じゃあない限りなんでも食べれる人だから……あまり料理人の人たちに迷惑かけたくない派かなって……」


「育ちの良さが出てんな、サージェリー」


「またそう言って……私たちは恵まれてる方だよ。ここより酷い紛争地帯じゃ、ご飯にありつくのもやっとなはず。文句言ってらんないでしょ」


「そうだね。何か温かいものを食べれるってだけで泣いて喜ぶ人だっているはず。ね、ハル?」


「そうかもな」

 

 話半分に聞いていたせいで若干適当な、返事になってしまったが気にするものは誰もいなかった。

 ナイブロムは少数派の崖っぷちに追い詰められ、僅かに身じろいだ。


「そ、そーかよ。俺の味方はいないんだな。構いやしねーよ。俺は好きなものを喰いたいだけ喰える時代になるまで、意見は変えないからな」


「全く。そんなことよりもっと────」


 突如ガタンと言う音と共に天井についていた照明が暗くなる。視界が一瞬のうちにシャットアウトされてしまった。


「な、なんだ!」

「停電!?」

「落ち着け!ブレーカーが落ちただけかもしれない!」


 真っ暗な部屋の中。急な出来事に人々もどよめき合う。唯一頼れる聴覚も雑音だらけで余計に混乱が伝播していく。


 テーブルを同じくする5人も食事の手を止め、冷静に周囲の警戒へ移行した。


「ちょっと待てよ」


 ナイブロムが何か言い出したと思えば、5人がいる机の真ん中で明かりが灯った。

 ハルが見た光源の正体は、どこか風変わりな亀が背負っているその甲羅だった。いつの間にか存在している亀。その甲羅は透けており甲羅の内部から光が発せられている。


「今度は亀か……」

 

 どうして顕現される霊獣は動物など象形的なものばかりなのか?ハルはナイブロムのゼクロスであろうものを見て、このような状況であるにもかかわらず密かに疑問を抱いた。

 

「ここだけじゃない。廊下まで真っ暗だ。少なくともこのフロアの電源は落ちたと考えて良さそうだな」


「そうね。この規模の異常。スピーカーの放送もない。何かあったのかしら?」


 すると早足にこちらに接近する複数の足音が聞こえてきた。かなり慌ただしく落ち着きがないがどこか統制の取れた音。


「この場にいる諸君!現在この施設内にて不測の事態が発生した!」 


 足音の正体は兵士たちだった。亀の光源とは別に懐中電灯で此方を照らしている。


「この施設全土のシステムが原因不明の手段で使用不可にされた。今技術士が原因究明と復旧を取り急いで行っている。万が一の為、何も異常がないと判断されるまで直ちにシェルターへ避難してほしい」


 繰り返す!と口頭による伝令を早口に言う兵士。流石の避難民も兵士たちの言葉に緊張感が高まったのか、先ほどまでの動揺がなりを潜めた。


「おいおい。こんな事今までなかったぞ?」


「それでもあってもおかしくないハズだった。でもそれが起こったのがよりによって今日だというのは……」


 もしこれが偶然ではないのだとしたら……この軍の最高司令官フルーゲルの遠征に乗じて執り行われた必然みたいだ、とみんな心の内を同じくしていた。


 事情がわからないハルとアキも皆の反応と、兵士の言葉から、事態の深刻性は伝わっている。ここで安易な質問をするほど鈍くはなかった。


「皆さん!我々の避難誘導に従ってください!」


 そぞろに避難していく人間たち。


「私たちも急ごう」


 位置取りから人間の波に揉まれるのを避けて、最後尾につく五人。この食堂にいたのが目算で30人いるかいないか。それが4列横隊の縦7,8列で廊下を歩いている。


 前方の機械的な廊下は兵士たちによって照らされ、後方の警戒はナイブロムの頭の上で存在感を醸し出す亀によって可能になっている。


「ここの照明が消えた途端に不気味に感じる」


「怖いの、サージェリー?」


 サーレの質問に隠す事なく返答を返す。


「まあね。もう慣れた場所のはずだけど光の照らされ方が変わるだけで、違う場所みたいで」


「俺もここに一人で放り出されたらと考えると、思わず身震いしちまうぜ」



 5人は階段を下り地下のシェルターに行き着く道のりを辿る。昨日サージェリーに案内してもらった通り、この先に頑丈な特殊合金で生成された扉があるはず。扉というにはデカ過ぎるので最初は壁と勘違いしたほどだ。


 ハルが異変を感じたのは階段の踊り場を折り返したその時だった。


 どこかで聞き覚えのある電子音が聞こえてきたのだ。


「この感覚……」


 前方は何もない。後方を振り返っても同様。


「どうしたの?」


「聞こえないのか?この音が」


 それなのにあの音は消えるどころか、大きくなる一方。増大していく不快感。近づいてきているその存在にハルはまさかと思い上を見上げた。


「!?」


 ハルは声もかけず真っ先に後ろに飛ぶ。その様子に勘づいたナイブロムも上を見上げ思わず声を上げた。


「何!?」


 残りの面々もその場にとどまる。


 階段の上方の壁面に張り付く蜘蛛型のアスヴァドルの姿があったのだ。暗がりの中、節足の音も立てずこちらに近づいてきている。虎視眈々と様子を見計らうように、その目は真っ直ぐ人間たちを捉えている。


 その姿を見た民衆達も恐怖で体を丸め怯えたり、悲鳴をあげたり、反応は様々だが共通してパニックに陥っている。


「何故だ!?どこから!」


 ナイブロムは動揺しつつも対処しなければならないとその場にとどまると、迎撃体制に入る。懐から拳銃を取り出しこちらに向かってくるアスヴァドルへ発砲した。それでも気にせず突っ込んでくるアスヴァドル。

 後ろを見やればまともに動けなそうな人間たち。ナイブロムは軽く舌打ちすると、どうすればいいのかと焦って逆に固まってしまっている兵士に声をかけた。

 

「兵士さん達は先に皆んなをシェルターに連れて行ってくれ!」


「ですが!?」


 兵士は守るべき避難民にこの場を任せてしまうことに強い抵抗感を覚えるも、その様子を見たナイブロムが急いで説得する。


「俺は能力者だ!心配なくていい。それよりみんなの避難を優先させろ!それがアンタらの仕事のはずだぜ」


「……すいません!すぐに戻ってきますのでこの場は任せます!」


 兵士は歯軋りをたて、自分の無力さに憤りを覚えながらも自分の役割を全うすべきと向き直る。


「皆さん!事態はかなり深刻です!だからこそ我々は急いで安全を確保しなければなりません!謝罪は後でします!彼の邪魔にならないよう急いで避難に着いてきてください!」


 兵士の鶴の一声で動揺する避難民を無理やり落ち着かせ統制を取り戻すと皆を引き連れ、急いで下に向かっていった。


「私も残るわ。サージェリー。悪いけど皆んなを頼むわ」


「分かった。頼むよ」


 サージェリーは力強く頷くと歳の比較的近い、大人二人の背中から視線を外しハルとアキを引き連れて階段を下った。


「まさかアスヴァドルまで出てくるとはね。結構最悪の事態かも……!」


 サージェリーは予想だにしなかった……というより想像よりも上を行く深刻さに思わず顔を歪めた。




「皆さん。後一息です。もうすぐですよ」


 兵士が平常心を保ちながら、神経をすり減らしつつ重い足取りで歩く民間人に励ましをかける。

 実際効果があったのか、一般人たちの重圧がかった表情が若干和らぐ。


 シェルターの入り口の扉まで辿り着くと兵士は、壁面についている入力装置に暗証番号を打つ。

 軽やかな指捌きで断続的に8回の音を奏でると、厳重に閉じられていた金属の扉は真ん中の丸い窪みが発光する。扉の内部での錠が解かれ左右に分かれて開いた。

 扉の開いた側にはまた別の兵士が数人待機している。てっきり扉を開いたらすぐにシェルターにたどり着くのかと思っていたが、さらに短い廊下が続いて先には小さな扉が見えた。

 民間人を案内した兵士は、その待機している兵士に話しかける。その切羽詰まった様子に待機していた兵士たちも何か事態の重さを感じ取ったようだ。


「大変だ!」


「どうした?落ち着くんだ」


「これが落ち着いていられるものか!?アスヴァドルだよ!奴がここに侵入してきていたんだ!」


「何!?」


「地下まで通じる中棟の連絡階段。そこで奴と遭遇した。現在は能力者の青年2名に足止めしてもらってる……遭遇したのは一匹だけだが他にいないとも限らない」


「そんな事が……!」


 突然知らされる凶報。そんなこと知りもしなかった兵士たちは愕然として固まってしまう。


「一先ず食堂エリアにいた民間人たちをシェルター内に!俺たちは彼らの安否を確認し、他のエリアにいる兵士たちにもこの情報を共有しに行く!」


「分かったっ!」


 待機していた兵士が民間人たちを奥の扉の先へと収容していく。


「さぁ、君たちも早く!」


 後ろからその様子を眺めていたハル達も兵士に急かされる。

 

「待って!」


 サージェリーが後ろからここから早足に中へ押し込もうととする兵士たちに制止をかける。


「私にも行かせて!」

 

 兵士がそんなことはありえないと否定する前に、すぐさま言葉を続ける。


「私だってお父さんの娘なんだ。ここで守られてる暇はない」


「ですがいくらフルーゲルさんのお子さんだからって!」


「確かめなきゃいけないことがあるんだ。悪いけど行かせてもらうよ!」


 サージェリーは肩に乗せられた兵士の手を振り払うとそのままシェルターとは反対方向に出ていってしまった。


「サージェリー!?」


 アキはつい一人駆け出す無謀な彼女の背を追いかけてしまった。


 まんまと逃げられてしまってあたふたと慌てる兵士たち。


 取り残されたハルは、シェルターの中を遠目に覗く。丁度二つの入り口の中間地点。どちらに行こうかと少し考え込んだ末、


「アホらし」


 二人を追いかけることにした。別にアイツらが心配だったわけではない。ただシェルターの中がぎゅうぎゅう詰めで中に入ったとしても身動きが取れず、いざとなった時に動き出しにくそうに見えた。もし地下にまでアスヴァドルがやってきた時にここの兵士たちだけでは戦力として心許ない。かと言って自分が戦うにしても能力の性質上民間人を巻き込んでしまいかねない。

 責任を持って安全性を自分で確保するか、信頼できない他人に委ねるか。答えは圧倒的に前者であった。なんならそっちの方が安心できる。


 ハルは駆け足で外に出る。厳重な扉を抜けて真っ暗な中を時計のライトで照らす。そこで一つ困ったことがあった。

 

「アイツら……どこに行ったんだ……?」


 思った以上に足が早く見逃してしまったハルは、少し歩くペースを落とす。


 出てきてしまった手前戻るわけにも行かず、一人で施設内を歩き出すのだった。

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