第77話 デート

 二日後、『乃木坂』が休みの土曜日に、トキネさんに指定されたデート場所に僕は来ていた。場所は乃木神社だ。乃木神社はトキネさんの喫茶店の名前になっている乃木坂と呼ばれる地域にある。実は住所表記には乃木坂という地名は無く、乃木坂と名付けられた坂の周辺を人々がただそう呼んでいるだけである。しかしそれは地下鉄の駅名にもなっていて、乃木神社の最寄り駅は地下鉄乃木坂駅ということになる。


 歴史上有名なあの乃木希典将軍と僕との間には、おそらく血縁関係があるだろうという話は先日来聞いているが、恥ずかしながらこの神社に来るのは人生で初めてだった。地下鉄乃木坂駅の一番東側の出口を出ると、すぐその横が乃木神社の一の鳥居になっている。その鳥居をくぐって中に入るとすぐ左手の方には、公衆便所がありその前は少し広くなっている場所がある。中央には巨大な樹木があって、その周りを囲むようにベンチが配置されている。樹木が丁度公衆便所のいい目隠しになっている。そこのベンチでトキネさんとは待ち合わせていた。


 ここから徒歩圏のデートスポットと言えば、東京ミッドタウンや国立新美術館あたりだろうか?一応昨日のうちに下調べは済ませてきたがそれは杞憂に終わる。


 程なくしてトキネさんが現れた。季節はもう師走だ。真っ白なコートに赤いマフラーをしている。僕はその姿に気が付いてベンチから立ち上がった。

「こんにちは」そう言うのが精一杯だった。なんというかいつもと勝手が違って僕は緊張していた。いつも毎日のように顔を合わせているのにだ。思えば日曜日に市川の道場で会ったり三船氏の家に行く以外で、こうしてお店の外で改めてトキネさんと会うのはこれが初めてかもしれない。しかも今日は二人きりだ。


「とりあえずお参りしましょう」トキネさんはそう言った。僕はてっきりここでは待ち合わせるだけなのかと思っていたのだが、彼女はそう思っていない様だった。ベンチのある広場から一の鳥居の方へと移動し、そのまま直進すると二の鳥居がある。更に参道を奥に進めば本殿があった。トキネさんは手袋を取るとそれをコートのポケットに入れて、お賽銭を投げ入れて鈴を鳴らす。二礼二拍一礼で参拝する。流石拍手は見事な響きだった。僕も同じようにお参りして、本殿を後ろにすると左側の宝物殿の前に置かれた木のベンチに二人で腰掛けた。


「北原さんは何をお祈りしたんですか?」トキネさんが僕の顔をのぞき込んで聞いてきた。正直お祈りの作法はしたものの、頭の中は真っ白で何も願い事は頭に浮かばなかった。

「世界平和ですかね」僕はその場凌ぎに訳の分からないことを言ってしまった。

「奇遇ですね。私もそれです」そう言ってトキネさんは笑った。


「この神社って乃木先輩のお宅の跡地なんですよ。お墓は近くの青山墓地にありますけどね」僕はそのあたりの事は不勉強であまりよく知らなかった。乃木将軍が明治天皇に殉じて自宅で自刃されたという話は聞いたことがあるので、ここがそうなのかと思った。


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