第42話 交渉

 市川市の南側は東京湾に面していて、京葉工業地域の一角を担っている。埠頭辺りは廃工場や空き倉庫のような建物もたくさんあって人影もまばらだ。田村祥子を乗せた車はとある建物の前で停車した。車から降ろされた祥子は、建物の中の薄暗い通路を通され奥の部屋へと連れていかれる。部屋に入ったところで目隠しを解かれた。


 部屋の中には大きなベッドと、こじんまりとしたソファーが置かれていた。ソファーに座っていた男が口を開く。

「いやーよく来てくれたね。約束を守る子は好きだよ」

「あなたが東(あずま)さんですか。別に好きになって頂かなくて結構です」祥子は低い声でそう言った。


「まぁまぁそう怒らないで。こっちとしても組織にとって不利益をもたらした人間には、何らかのペナルティを受けてもらわないと示しがつかないからね。なーに1時間も黙ってればすぐ終わるから。最近の高校生ならなんて事ないだろう?」東が言った。

「それでもう家族や友人には手を出さないって約束してくれるんですね」祥子が東に問う。

「約束は守る。犯罪組織にだって筋ってもんはある」東は答えた。


「さ、こちらへどうぞ」東が入り口の扉に向かってそう呼びかけると、部屋に一人の男が入ってきた。歳の頃は五十代半ばと言ったところだろうか。白髪交じりの髪は短く借り上げられている。顔には気持ちの悪い笑みを浮かべている。


「私は大部屋の方にいますので終わったら呼んでください」そう言って東は部屋から出て行った。


 祥子は初老の男と部屋で二人きりになると、立ったままでおもむろに話し始める。

「16歳の私はきっとあなたの娘さんよりも年下ですよね。よくこんな事する気になりますね?」

「ははは。若いからいいんじゃないか」そう言って初老の男はベッドに腰かけた。

「さぁ早くこっちに来てごらん。悪いようにはしないから」そう言ってベッドの自分の隣をポンポンと叩く。


「初対面ですけど、自己紹介もされないんですか?」祥子の発言に男は答える。

「祥子ちゃんだったかな?まぁ硬い事はいいじゃないか。何だったらあとでお小遣いをあげてもいいよ。そこは君次第かな」男はそういってニヤニヤと笑う。

「瀬野さんでしたっけ?あなた、県警の副本部長さんなんですってね。通報者の個人情報を売っていいと思ってるんですか?」祥子は仁王立ちのまま男にそう言った。


 それを聞いて男は顔色を変える。


「どうして俺の名前を…」

「こういうことをするなら顔ぐらい隠した方がいいですよ」そう言って祥子はポケット内からスマホを取り出した。ポケットには小さな穴が開いていた。ダボっとしたパンツスカートにはひだが付いていて、取った体勢で穴は隠れたり露出したりするようになっている。


「今までのやり取りは全部動画撮影しておきました。あ、このスマホを壊しても無駄ですよ。全部クラウドに上げましたから…。私が解除しない限りは設定時刻になったら世界中に公開されるようになってます。マスコミ関係にもあなたの肩書と共にプッシュ通知されます」祥子はスマホをポケット内に戻してから続ける。


「さっき確かに車の中でスマホは没収されました。スマホを取り上げれば安心だとでも思ったんでしょうけど、女子高生がスマホを一台しかもっていないっていう思い込みはどうかと思いますよ。 こういうところは、携帯の電波が届かないようにジャミングした方がいいってさっきの男、東さんでしたっけ?にアドバイスしたほうがいい。警察なんだから詳しいんでしょう?」

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