20代から歳をとらなくなったトキネさんは、修行しすぎて無敵になりました<連続活劇編>

十三岡繁

小佐波時寝

喫茶「乃木坂」

第1話 出会い

 彼女の事を語るには、どこから話し始めれば一番現実味があるだろうか。それほどまでに彼女は存在そのものが突飛で、油断をすると自分の中でも単なる妄想の産物だったんじゃないかと思えるほどだ。


 彼女と初めて会ったのは、この喫茶『乃木坂』だった。喫茶『乃木坂』は港区赤坂では地名にもなっている乃木坂から距離的に近いと言えば近い。ただ場所的には全く関係ない千代田区の平河町というところにある。平河町は国会や最高裁判所から近く、東京都の中心部と言えば中心部であるし、日本の中枢ともいえる。ただ東京にしては珍しく、長い間大きな再開発が入らなかった。そのため表通り以外は高層ビルは無くて、未だに結構年季の入った雑居ビルが立ち並んでいる。休みなく目まぐるしい速度で上に伸びていく東京で、まるでここだけ時間が昭和で止まった真空地帯の様でもある。


 当時30歳をとうに過ぎてもフリーライターで食いつないでいた僕は、調べ物をしに国会図書館に出向いた際、気分転換にと近所を散歩をしていてこの店を見つけた。平河町では大きな道路沿いの建物内にあるテナントはともかく、一本路地を入ったところでの飲食店は珍しかった。特にレトロな喫茶店巡りに興味は無かったが、その時は何かに誘われる様にその店に足を踏み入れてしまった。


 ガラスの嵌った古ぼけた木製のドアを開けると、カランと金属の鐘の音がした。随分とまた古風な仕掛けだなと思った。その音を聞いてかカウンター内に立っていた女性がこちらを向いて、

「いらっしゃいませ」

 と声をかけてきた。


 店内はカウンター席が5,6席くらいと、4人掛けのテーブル席が三つあるだけのこじんまりとしたものだった。古ぼけていたのはドアだけではない。テーブルも椅子も木製でえらく年季の入ったものだった。椅子の背もたれは木がむき出しで、塗装なのか手垢なのか飴色に光っている。木製のカウンターも艶やかに光り、床のフローリングにも鈍い艶がある。奥の壁にはテレビが掛けてあるがスイッチは入っていない。BGMも流れていないので、店内は静まり返っていた。


 ウナギの寝床のような店内の、通りに面した扉以外の部分にはガラス窓が設けられていた。窓は二段になっていて上部は取っ手がついているので可動式だと思うが、下の部分は嵌め殺しになっていた。枠内のガラスは更に木桟で細かく分割され、古めかしい型板ガラスが入っているので外の様子はうかがい知れない。逆に言えば道行く人の視線は店内では気にならないという事だ。


 軽く一度見回せば他に客の姿が無いことはすぐにわかった。僕は真ん中のテーブル席に腰かけて、テーブルの上に置いてあるメニューを見た。そこにはブレンドコーヒーとソーダ水の二種類しか記載がない。メニューを裏返しても見たが、他には何も書かれていない。甘味も軽食も出さないとは、余程コーヒーに力を入れている店なのかなと思ったが、出てきたブレンドコーヒーを飲んで驚いた。


 そう、それは驚くほど普通だった。まずいわけではない。普通に美味しいのだが、物凄くおいしいというわけでもない。ソーダ水はどこで飲んでもきっと似たようなものなので、この店の売りはブレンドコーヒーという事になると思うのだが、それでいてこの普通さは逆の意味で凄いかもしれない。


 味の件は置いておいて、コーヒーが出てくるまでの間、僕は持参したノートパソコンを開いて書きかけの記事の続きを入力していた。なのでカウンター内で、せっせとコーヒーを入れてくれている女性の事はあまりよく見ていなかった。


 が、コーヒーを運んできた彼女の事を一目見て、僕は不思議な感覚に襲われた。これは何とも表現のしようが無かった。一目ぼれの様な恋愛感情とも違う、何か懐かしい人に再会したようなそんな感じだった。普段は初対面の女性に、そんな失礼なことをしたりはしないのだが、しばらく見つめてしまって目が離せなかった。彼女は彼女で、そんな不審な様子の僕に


「どこかでお会いしたことがありましたっけ?」

 と声をかけてきた。それが最初の「いらっしゃいませ」を除外すれば、初めてのトキネさんとの会話だった。


「多分初めてだと思います」

 そういうのがギリギリだった僕に、トキネさんは軽く微笑みかけてから、無言でカウンターの中へ戻って行ってしまった。その日は最後にお勘定で軽く言葉を交わしたものの、それだけで終わりだった。


 しかしそれからこの店にはよく行くようになった。いつしか国会図書館に行く際は必ず立ち寄るようになり、終いには店の営業日は午前中は国会図書館で調べものと作業をして、午後はずっと店に入りびたって記事を書くようになっていた。入りびたるとは言っても店の営業時間は13:00~18:00までのわずか5時間で、営業日も月~木曜日までの週に4日間だけだった。メニューの少なさもさる事ながら、これでよく営業を続けていられるなと余計な心配をしてしまった。というのも、ここが作業場所として心地いいのは、僕の他に客が殆どいない事もあるからだ。


 もちろん正直なところを言えばそれだけではない。トキネさんに対しての特別な感情が無かったかと言えばそれは嘘になる。ただ彼女を最初に見たときに恋愛感情とは違った感覚を抱いたというのも嘘ではない。何度となく店に通っているうちにそこは少し変わってきたのだろう。いや、彼女の姿を見たくて通うようになったとも言えるかもしれない。鶏と卵の様に、どちらが先という話ではない。


 店に通ううち作業の合間に、二言三言トキネさんとはたわいなのない会話を交わすようになった。名前も教えてもらった。30を過ぎたいいおっさんが高校生の様で気恥ずかしいのだが、何度も顔を合わせているうちに、もっと彼女の事をよく知りたいと思うようになってしまった。外見的には彼女はどう見ても20代だ。それも前半ぐらいに見える。こんなおっさんに興味を持たれても迷惑なだけかもしれない。しかし悩みに悩んだ挙句、無謀にも僕は彼女を誘う事を決意した。


 そうしてその日は意を決して、いつものようにコーヒーを運んできてくれた彼女に話しかける。相変わらずその日も店にいる客は僕一人だった。


「あの、よろしければ今度一緒に…」

 そう言いだした僕のセリフに、彼女は食い気味に返事をしてきた。

「お誘いとかであれば、私歳下には興味がありませんので…」

 それを聞いて、『ああそりゃそうだよな。こんなおっさんに誘われても困るよな』と思ったのも束の間、歳下という言葉にひっかかった。童顔だと人に言われたことは無いし、そんなに若く見えるという話も今まではなかった。


「こう見えて?僕は34歳なんですが、トキネさんはおいくつなんですか?」

 そういう僕に彼女は

「女性に年齢を聞くのは失礼だって、誰かに教わりませんでしたか?私見た目より結構歳とってるんですよ」

 そう言って微笑んだ。


 何か納得のいかない部分もあったが、僕を傷つけないように彼女なりのジョークを交えた断り文句だったのかもしれないなと思った。気まずくなってそれ以降店から足が遠のいたかと言えばそんなことはなかった。それからも、それまでと変わらず僕の喫茶『乃木坂』通いは続いた。


 但ししつこい男は嫌われると思ったので、僕はそれ以降は彼女を誘うようなことはしなかった。ただ軽い会話の中でも彼女の趣味趣向に聞き耳を立てていた。チャンスはいつ訪れるか分からない。


 そんなある日の事だった。珍しく僕とトキネさんの会話が盛り上がり、理想の彼氏という事で彼女がスマホの待ち受け画面を見せてくれた。それは若い青年の白黒画像だった。画像はだいぶ荒かったが、年の頃には似合わず豊かな髭を蓄え、優しそうな眼をしている。テレビはあまり見る方ではないので確証はないが、芸能人のようには見えなかった…ただなぜかその眼には見覚えがあるような気がした。…いや、気のせいではない。確かに僕はこの目を知っている。


「この写真他で見たことがあります」思わず出た僕の言葉に彼女は笑った。

「そんなわけないですよ。これはプライベートなショットで私の他に持っている人がいるわけないですから」

 そう言われて記憶違いかもしれないかと一瞬迷ったが、人物だけでなく服装や背景も段々と蘇る記憶に見事に一致していた。


「数年前に祖母が無くなりました。その遺品を見ていたときに、箱の中に入っていた写真がこれと同じでした。まわりの人間に聞いても誰の写真か全く分からなくて、祖母の昔の彼氏じゃないかとかそんな話で盛り上がりました。服装や背景からどこの誰だろうなどと話していたので、結構写真の細部まで覚えてます」

 そう言う僕の説明にトキネさんは驚いた顔をしている。そうしてちょっと一拍置いてから聞いてきた。


「その亡くなられたお祖母さんの旧姓は?」


「茂木です。出身は結構な銘家だそうで、昔は所用で実家にも何度か連れて行ってもらいました」

 その僕の言葉を聞いて彼女は一瞬固まった。そうして今度は僕の顔をまじまじと見つめる。


「なるほど、そういう事ですか。静子さんの…」

 そう言ったトキネさんに僕は

「祖母の名前は静子ではないですよ」

 と返した。


「それはそうでしょうね」そう言ってから、トキネさんは少し考え事をしている風だった。僕は彼女が運んできてくれてから、少々時間が経って冷めかけたコーヒーを飲み始める。その時は画像は何か当時の有名人の写真だったのかなというぐらいにしか思っていなかった。


「…前に私の歳を聞かれましたよね?」

 唐突にトキネさんが口を開いた。僕にはちょっと思い出したくない恥ずかしいというか残念な記憶だ。


「1851年生まれなので、今風に言うと満171歳です」

 トキネさんの言葉に、僕は飲みかけたコーヒーでむせ返ってしまった。


※イメージイラストです↓

https://kakuyomu.jp/users/t-architect/news/16817330657330936634 


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