じゃんけん

深雪 了

じゃんけん

私と隆介はさまざまなことをじゃんけんで決めていた。


外出先で食事のお店を決める時、見たいテレビ番組が違った時、消耗品が切れて急な買い出しが必要になった時など。


二人が25歳の年齢で結婚してからしばらくの間は、たびたびじゃんけん大会が催された。


けれどいつしか私達はじゃんけんをしなくなった。何度か勝負をするうちに、不思議と私の方が勝つことが多い気がしてきたのだ。


それからじゃんけんをする時に注意していると、私は自分がやたらチョキばかり出していることに気がついた。隆介はパーばかり。最初は偶然かとも思ったけど、一度疑いだしてみると、隆介が負けた時の彼の悔しがるリアクションは変に演技じみていた。彼は演技が下手だった。

隆介は私が同じものばかり出すことに気がついて、わざと負けるようになったのだ。何の条件も無く彼が折れると私が気にすると思って、優しい彼は形だけでも公平なふりをしていた。


だから私は、もうじゃんけんはやめようと言った。いい大人なんだから話し合いで決めようよ、とかそんな言い訳を持ち出したのを覚えている。

なのでもう一年以上、じゃんけんはしていなかった。



その日は平日で、夕方から大雨が降ったせいで隆介はだいぶ濡れて帰ってきた。傘は持っていたけど、それでも服や鞄が濡れるような雨だった。

冷えないようにと隆介は早々に風呂に入り、からすの行水よろしく上がった彼と私は食卓で向かい合った。

テレビでバラエティー番組が流れて、その日あった何気ない出来事を話して、いつもと変わらない夕食の風景だった。けれど、私は今日彼に話さなければならないことがあった。


「今日ね、また病院行って来たんだけど」

「うん」


病院というのは産婦人科のことだった。私達は結婚して二年になるが、未だに子どもの出来る気配は無く、たびたび産婦人科に通っていた。


「お医者様にね、・・・この先妊娠する可能性は低いでしょうって言われたの」

私が生唾を飲み込んで隆介に告げると、彼は小鉢のおかずを咀嚼しながら神妙そうに頷いた。

「そうか・・・それは残念だね」

予想はしていたが、彼は少し気落ちしている様子だった。


「それでね」

一息吸って、私は切り出した。箸を握りしめる手に力が入っていた。

「隆介、ずっと子どもを育てるのが夢だったじゃない。結婚した時も、子どもが一人か二人欲しいななんて言ってたよね。・・・だから、私、考えたんだけど——」

俯き加減で話していた私は、はたと隆介を見た。

「私達、離婚した方がいいと思うの」

「・・・・・・」


隆介は食事の手を完全に止めて私の発言を聞いていた。そして箸を完全に置いてしまうと、真正面から私を見た。

「いきなりそんな話になるなんて、ちょっと早計すぎやしないかい」

「だって・・・もう、子どもは出来ないのよ。あんなに欲しがっていたのに」

「養子という手だってあるだろう」

「自分の子供の方がいいでしょう。早いうちに新しい相手を見つけるべきだわ」


私が引かないのを見ると、隆介は斜め前を見据えて思索していた。

そして再度私の方に顔を向けると、じゃあ、と言った。

「じゃあ、じゃんけん、しないか」

「じゃんけん?」

素っ頓狂な声で私は聞き返した。

「そんな大事なことをじゃんけんで決めるの——」

異を唱えかけた私の言葉は途中で止まった。そういうことか。彼には、勝算があるのだ。隆介は私がじゃんけんで最初に何を出すか知っている。だから今度は、昔と逆のことをして自分が勝つつもりなのだ。

「いいわ。じゃんけん、久し振りにやりましょう」

「よし、じゃあ」

そう言って隆介はおなじみの両手を組んでひねるようなポーズをした。私も拳をつくって構えるような仕草をする。


「じゃん」

「けん」


——ぽい。


目に映った二人の手に、私は「え」と声を出さずにはいられなかった。

私が出したのはパー、隆介が出したのは・・・チョキだった。


何で。どうして。

隆介は私がチョキばかり出すことを知っているのだから、勝ちたい今回はグーを出すはずだった。・・・そう思っていたから、私はパーを出したのに。どうして。何かの偶然だろうか。


「やっぱり、前にじゃんけんやめたの、わざとだったんだねえ」

微笑みながら私達の手を見つめる隆介が言った。その瞬間、私の頭の中に一筋の光が差し込んだ感覚がした。


隆介は、知っていた。彼が私にわざと負けていたことを、。だから隆介がグーを出すと思い込んでいる私が、パーを出すだろうと思って彼はチョキを出したのだ。

やられた。演技が下手なのは隆介だけではなかった。かつてもうじゃんけんは止めようと言った私の演技も見破られていたのだ。


「僕が二葉ふたばと結婚したのは」


黙り込んでしまった私に言い聞かせるように、隆介は話し始めた。

「君という人と生きていきたかったからだよ。その上で子どもができれば尚のこと良かったけど、無理なんだったら仕方ない。それで君と離れようなんて思わないよ。まずは君と一緒にいることが、何よりも大事なことなんだから」


ああ、私はどうやら一人で何もかも決め込んで先走っていたようだ。子どもができなければ駄目だろうなんて、隆介の気持ちを勝手に憶測して決めつけていた。彼は私が思っていた以上に私のことを大切にしてくれていたし、理解もしていたのだ。


私はうつむいて「ありがとう」とだけ言って夕食を突っついた。目頭が熱くなっていたのと、照れていたのを隠すためだ。そんな私を、隆介は微笑みながら見ていた。


優しくて勘が良いなんてなんだかずるいな。懸命に焼き魚をほぐしながら、私は尊敬にも近い嫉妬をした。明日の晩は隆介の好きなカレーにしようか。彼が無邪気に喜ぶところを想像しながら、頬を染めた私は思わずくすりと笑った。

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