僕と恋をしませんか?― 妻に愛されていなかったことを、僕は彼女が死んだあとに知った―

酔夫人

第1章 手紙

第1話

「《アウレンティ王家の歴史》……明日から展示みたいだけど、見に行かない?」

「えー、俺は別に宝石とかドレスとか興味ねえし」


 少年の答えに少女はぷうっと膨れ、展示を報せる広告を見る。

 諦め切れない少女は少年の袖をくいくいっと引いて、自分の方を見たときの“仕方がない”と書かれた顔に勝利を確信する。


「ありがとう」

「はいはい」


「でも、ほらあんたの好きな魔道具の展示もあるって。監修はディア工房だって」

「マジか!?ああ、そう言えばアウレンティ王国って昔から魔道具作りで有名だったよな。うわ、絶対行く、明日行く、何があっても行く!」


「小さい頃からディアの工房に勤めるのが夢だって言ってたわよね。私に感謝しなさい」

「ありがとう!!」



 立場が逆転した少年と少女。

 二人の話を近くのテーブルで何となく聞いていた一人の女性が楽しそうに笑っていると、女性の視界が翳った。


 見上げるとスーツ姿の厳つい男性。


「若いって良いわね」

「マリサ様も十分お若いですよ」

「五十点ね、女心を学び直しなさい」


 マリサと呼ばれた白髪の老女はころころと楽し気に笑いながら立ち上がると、男性が止めるのも聞かずに自分でトレーを持って返却口に向かう。

 「ご馳走様」と声を掛けると、カウンターにいた若い店員が「ありがとうございましたー」と元気な声で答える。



「やっぱり若いって素敵だわ」

「アウレンティ王国の王妹である殿下が庶民に気安く声をかけるなど……」

「侍女だろうが庶民だろうが、感謝の気持ちはきちんと伝えるべきよ。感謝を知らない人間になってはいけないわ」


 自分の言葉に感銘を受けたような素直な男にマリサは笑って訊ねる。


「貴方は自分でお茶を入れたことがある?」

「いえ」


 自分の護衛騎士を務めるのだから、伯爵家以上の出身だと推察したマリサの予想通り、男は首を横に振る。


「茶葉とお湯があれば淹れられるって思いがちだけれど、お湯の温度や蒸らす時間とかで味は全然変わるのよ。これじゃお湯だ、これじゃ薬だって、お兄様たちはとても煩かったんだから」


「大公にも入れて差し上げたのですか?」

「旦那様?もちろんよ。結婚した頃にはお茶も美味しくいれられたし、それどころかイチゴタルトも上手に作れるようになったのよ」


 信じられないという顔をした護衛騎士に、マリサは「若いわね」と微笑んで、


「自分たちの手で作らなきゃ生きていけなかったのよ。七十年前はかなり殺伐していたんだから」


「そう考えると随分平和になりましたね。王妃様の御人柄でしょうか」

「お義姉様のおかげもあるけれど、今の王宮が穏やかな理由はお兄様の《初恋の君》のおかげよ」


 思い出すのは兄が将来の義姉を兄妹に紹介したとき。

 本人不在の絵姿のみだったが、「絶対にこの女性と結婚する」と宣言する兄の熱意に全員が納得したものだった。



「今回の展示会のテーマは《初恋》でしたね」

「そう、展示の目玉は宝石でもドレスでもなく、一つの手紙なの」



 ― 僕と恋をしませんか? ―



 ***


「陛下、王妃様が御崩御なされました」

「分かった。白い花だけの花籠を作っておいてくれ。政務が終わったら持っていく」


「―――畏まりました。」


 この場にいる者全員が、王妃の死の報せを聞いたときの国王の素っ気なさを想像していた。

 しかしこの態度は後の問題を引き起こす可能性があるため、国王の信頼の厚い侍従長のマッテオは深呼吸一つして進言した。


「既に花籠の準備は出来ていますので、今すぐ向かって下さい」

「政務がある」

「陛下、この国には未だ彼の方を推す声が多くあります。彼らの反感を無駄に買わぬよう、《夫》として誠意ある行動をとるべきです」


 国王こと、エドアルド・デ・アウレンティ。


 彼は王国の北にあったフォンターナ王国の王太子だったが、先代国王であるクラウディオの侵攻よって生国を滅ぼされて以来ずっとアウレンティ城で生きてきた。


 本来ならばエドアルドも王や王妃、そして弟妹たちと共に処刑されるはずだった。

 フォンターナの復権など、後の禍根を残さないためにだ。


 エドアルドが処刑されなかったのは偏にクラウディオ王の気紛れである。

 クラウディオは城を守ろうと暴走させたエドアルドの膨大な魔力に興味を持ったのだった。


 クラウディオは王都に帰還すると、平伏する家臣たちの前でエドアルドを王女クラウディアの夫にすると宣言した。


 クラウディオの娘クラウディアは父王の血を濃く受け継ぎ、他国を容易に侵略できる膨大な魔力を持ったアウレンティ王国の《兵器》だった。


 クラウディオ王にとって産まれた赤子は子ではなく自分の複製だった。

 だからこそ彼は自分の女名である『クラウディア』と名付けたのだ。



 王女の膨大な魔力が発覚したとき、臣下たちはその《兵器》の性能に喜んだが、王女としてはその素質が問題視された。


 この世界で子を成すには、女性は体の中に吸収した男性の魔力を安定させなければならず、魔力の量に差があると子どもが出来にくい。


 王族が王とその子ども一人なのはそれが理由だ。


 クラウディアの母はそれなりに魔力の量が多かったために子を成すことに成功はしたが、クラウディオの魔力に対する拒絶反応に苦しみ続けた後に出産し、その後一日も経たずに亡くなった。


 女の方が魔力量が多い場合、男の魔力はあっという間に無力化されるので拒絶反応はほとんど起きないが、同時に子どもを成すこともできない。



「娘を娶れば王にしてやる。但し、息子を作れ。俺の代わりとなる男をクラウディアに産ませるのだ」



 そう言われた日から三十年以上。

 クラウディアの死を聞き、エドアルドはようやく首の枷が外れた気がした。

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