ネオン街のウォータードロップ
星宮 司
第1話「ティアドロップ」
歌舞伎町の路地裏の一角には、ティアドロップという小さなバーが人知れずひっそりと位置するのをご存知だろうか。そこでは、この道数十年のベテランバーテンダー
「――水谷。明日から。いや、厳密には今日から1ヶ月間、店番を頼まれてくれるか?」
ある日海は、陣にそう頼んだ。時刻は深夜2時。客が帰った店にモップを掛けてる真っ最中だ。当然、陣は唖然とした。彼はまだ、バーテンダーとなって1年と経っていない正真正銘の新米だ。カクテルの1杯すら入れられない青二才にこの初老は何を頼むのか。水谷は内心そう思っていた。
「店長。お言葉ッスけど、オレに店番を頼むってのは、ちょっと許容出来かねますぜ?いやまぁ、自分で言うのも何スけど、オレがカクテルの1杯も作れねぇペーペーだってのはわかってるッスよね?」
陣の言葉に海ゆっくりと頭を縦に振った。
「無論、それは承知の上だ。けど、済まないな。誰かが店に残らねばならんのだよ……。“あれ”の管理をする者が、必要なのだからね」
海は渋るような口調でそう言った。彼自身も、新人一人を店に残すことに納得がいっていないのだ。
「はぁ……。まぁ、頑張りますけども。けど店長、“あれ”って一体何のことッスか?正直そこをハッキリして貰わないと、オレ何すればいいか分かりませんよ?」
陣の言葉を聞いた海は、ブツブツと何かを呟きながら、腕を組み考える素振りを見せた。
「――まぁ、此奴相手なら問題ないだろう……」
海は陣に聞こえないくらいの小さな声でそう呟き、そそくさと店の奥の倉庫へと消えていった。
数分後、戻ってきた海の手には何やら透明な液体が注がれた小瓶があった。
「店長それは……?」
海は小瓶を陣に手渡した。小瓶を手に取った陣はそれをまじまじと見つめた。何やら甘い香りがするなと、そんなことを考えながら陣は小瓶の中に注がれた液体を凝視する。
「それは、秘伝のシロップだ。カクテルに混ぜて飲めば、それはもうビックリするくらいに美味くなる魔法のシロップといったところだ」
その魅惑の言葉に、陣は唾をゴクリと飲み込んだ。そんなものがあるなら、是非とも一口飲んでみたいものだ。陣はそう考えながら、再び小瓶の中にあるシロップを注視する。しかし、先程までと違いその目には、明確な魅了の字が浮かび上がっているかのようであった。
「極論、1ヶ月間店を閉めたままでいても構わない。ただ、そのシロップの管理だけは欠かさずにやって欲しいんだ。――頼めるか陣?」
「――もし、1ヶ月の間にコイツを割っちまったり、台無しにしちまったり、最悪誰かに奪われたりしたら、オレはクビになるんスか?」
陣は目線をシロップに向けながら海に問い掛けた。
「――当たり前だが、クビだ。状況によるがな」
不意に陣は海の方へと目線を向けた。特に深い理由は無い。強いて言うならば、そうしなければならないと、彼自身が何かを感じ取ったからだ。そのまま2人は見つめ合い、沈黙が辺りを支配した。
「――約束して下さい。もし、コイツが1ヶ月間無事だったなら、そん時はコイツを使ったとびきり美味いカクテルをご馳走してください」
陣は沈黙を打ち破るようにそう言った。海は再び考える素振りを見せた後、
「考えておく」
そう短く呟いた。
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