第6話 心の動き

 次の日、早く起きるとそそくさと食事を済ませ、山井君が起きる前に家を出て大学に向かった。時刻表を気にしてあせって自転車をこいだ割には時間より早く駅について、息を弾ませながらホームのベンチに座って列車の来るのを待っていた。

 少しスカートが短かったかな。これじゃあどう見ても高校生。もう少し落ち着いた格好をして来れば良かったと悔やんでいた。

 ひしめき合う人もいないローカル線。つい大きな声で善ちゃんのバラードを口ずさんでいた。

  『この町は 俺に似過ぎている

  風の匂いも 雨の勢いも 何もかも

  でも…お前の仰ぐ星空は お前ので    

  それは俺には見えない

  お前の心も 俺には見えない

  近くにいても こんなに近くにいても…』

 これちょっと悲しいラブソングなんだ。私も自分の心が見えない。ずっと一緒に生きてきたのに……

 父さんと、母さんが羨ましい。二人はずっとお互いの心が見えていたような気がするんだ。同じ雨を見て、同じ風に吹かれてずっと一緒に生きていてずっと幸せそうだった。

 遠くから列車の音が聞こえてくる。私は立ち上がって歩き始めた。

「晴子!」

 自転車のブレーキ音が鳴って山井君が叫んだ。

「お前抜け駆けするなよ!コソコソしてさ」

 抜け駆け、こそこそ…なんで山井君に抜け駆けしたり、こそこそしたりしなくちゃいけないのよ~いい加減ピキッと切れそうになった。そう、私でもそんな気になるんだ。

 でも、急いで走ってきた山井君が息をきらしているのを見て思わず吹き出した。

「お前ちゃんと笑えるじゃないか」

 ピキッ。あ~予想以上に山井君とは絶対相性悪いよ。いつもこんなに険悪なムード。最低。意固地になって返事も出来ずに列車に飛び乗った。

 私を怒らせてすごすごと後から乗り込んだ山井君はそれでも嬉しそうに、いくらでも席はあるのに、私の横に腰掛けた。

『善ちゃん、私こいつにはホトホトまいってるよ。助けて』何故か私はあんなにうさんくさく思っていた善ちゃんに心の中で助けを求めていた。私の中で初めて善ちゃんがそんなふうに登場した。いよいよ私、自分の気持ちがよくわからない。複雑な自分の心に振り回されてため息をついた。

 意外や手の届かないものに憧れるタイプなのかなあ。嫌な女だ。益々落ち込んだ。

「どうした。俺ついてきたの迷惑だった?」

 山井君がそう言うと耐えられないよ。自分がすっごい悪者になったような気がした。

「ううん」

 それだけ言ってうつむいた。勝手に心の中で温めていた山井君のイメージはもう何一つない。山井君の頭の中は測り知れなくて手におえない。心の中を覗けば覗くほど深みにはまりそうで横に座っているのさえ生きた心地がしなかった。

 列車はカタカタと揺れている。遠ざかる町並みが私をいよいよ無口にさせる。二人の距離がだんだん縮まる。息苦しい。

 何でもいいから話をしてくれないかなって自分勝手にそう思った。

 指先で自転車のカギをもてあそびながら時折チリンチリンと鳴る小さな鈴の音に気を紛らわしていた。

「晴子…俺の両親、この夏休みが終わったら離婚するかもしれないんだ」

と、突然山井君が話し出した。

「え?」

 私が驚いて手を止めると、私の手からカギを取り上げて目の前でクルクル回しながら話を続ける。

「入試が終わるまで頑張ろうと思ってたんだろうな。俺に心配かけないように気をつかっているのがよくわかった。

 でも、お互い話もなくて、考えてることも別々で、これ以上一緒にいるのは無理だと思うんだ。親父の理屈はおふくろには当てはまらない。綺麗ごといったってやっていけるもんじゃないよな」

そう言う山井君の印象ははかなげで悲しい。ギュッと胸を締め付けた。

 そして、そういったまま、目を閉じて後は何も言わなかった。私達の間に流れる時間が静かに形を変えていくようだった。

 本当は、悩んで苦しい思いの中から北海道まで来たのかもしれない。両親に無理させたくなくて、夏の間、家を出ようと思ったのかもしれない。こっそり顔を上げて、目を閉じている山井君の顔を無遠慮にじっと見つめて、心が騒ぐのを感じた。

 泣きたくても、泣けないんだ。辛いけど我慢してる。ふざけたことばかり言って、困らせて、自分の心を慰めてるのかもしれない。私はシュンとなった。善ちゃんに助けを求めてなんていられない。助けて欲しいのは山井君なんだ。

 だけど……何をしてあげたらいいのかわからなかった。

 列車がホームに滑り込んで私達は駅に着いた。突然の話を聞いて何かを引きずってる私に山井君は顔を上げて優しく笑った。何の笑顔なんだろう?心配しなくていいって言ったのかなあ。私は戸惑いながら、山井君に一歩遅れて列車を下りた。

 山井君の背中が遠ざかっていく。寂しそうな背中が追いかけて欲しいって言っているような気がした。

「あの…」

「ん?」

 小走りに追いついて山井君を捕らえる。

「さっきの話本当なの?」

 と、遠慮気味に聞いた。山井君は不思議そうに見つめ返して、

「お前から俺に話しかけたの初めてだな」

 と、真面目な顔をした。

「そう……ね」

 山井君の横を並んで歩くと少しわかり合えたような気がした。

「晴子、お前の父さんと、母さん仲いいな」

「うん、ずっと、私はおまけだから」

「おまけか、いいな気楽で。

うまくいかないもんだよな。誰でも自分のことが一番大切なんだ。だけど、自分を大切にし過ぎると駄目になるんだよな」

 そう、黙ったまま何も言ってあげられない。何も知らないし、何もわからない。だけどこうしていることで山井君の気持ちと私の気持ちが溶け合って黙っていても少し、少しだけ幸せな気持ちだった。

「私ね、卒業したらこっちにこようと思ってて、だから……好きな人いても付き合ったりするの止めておこうって決めてたの。悲しいの嫌だから。今だけって淋しいから…」

 そう正直に言った私を山井君が優しい顔で見つめていた。そうか、こっちが話をすると山井君無口になって私の理想の王子様になるのか~

「俺ずっと、お前のそばにいたいよ」

 そう言った山井君がなんか羽根の傷ついた鳥のようで、この胸で温めてあげたい気持ちだった。

  『今だけならいいよ。

  それから先はわからない。

  来年のこともわからない……

  でも、今だけならいいよ』

 私はそう思った。

「また無口?」

 かなりゆとりな感じでそう言う。自分の気持ちを伝えるのは楽じゃない…

山井君のようにはうまく言えない。

 でも、山井君の差し出した掌に私の掌を重ねた。

「いいさ、言葉なんてなくたって」

 山井君が私の掌を握った。        

 大学のポプラ並木を二人で歩くと、もう自分たちの学校って錯覚して、二人でこの学校に来れたらいいなと思った。

 山井君の心に触れてしまった。触れてしまったら、知らん顔なんか出来ない。そんなに強くない。一人でなんて歩けない。

 早苗のことも善ちゃんのことも全部吹っ飛んで、心の中がすっかり山井君になってしまったみたいに、あふれそうなほど何かが込み上げてくる。これが恋と言うもの何だろうか?

「私、父さんと母さんに会えないよ」

 ポツリとそう言うと、

「なにも悪いことしてないよ。お互い大切なだけだから」

 そう言った山井君に涙が出てきた。

 山井君優しい。辛いこといっぱいあるんだろうに。どうしてそんなに優しいの?

 私は山井君の悲しい分まで泣いてしまいたかった。

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