第4話 初恋の記憶
パーティーにも入り、わたしは順調に学園生活をスタートさせていた。
学園では朝必ず集会が行われ、その終わりにナーロッパ国家を斉唱するのが決まりだ。
わたしは寺子屋があれでこうだったため、ろくに国家を覚えていないのだ。だから、こんな時は、下を向き、歌っているふりをした。
集会場の窓から、校庭がのぞけた。
その芝生に寝転んでいる男性の姿が見えた。
制服を着ておらず、生徒ではない。
あれは誰?
遠目にもきれいな金髪をしているのがわかる。光りに、それはちょっと青く輝いた。
青く。
そこで記憶がよみがえった。
初恋の、窓辺の君。
彼を見たのは、わたしがほんの子供の頃だ。父がどこかに放浪していた際に、母が困窮して、貴族の邸にメイドの仕事に出ていたことがあったのだ。
わたしはそのお邸であの彼を見た。病気で静養中の邸の子息のようだった。
彼だ。
きっとそう。
遠目でもわかる。わたしは視力がすごくいい。きれいな横顔があの時の彼そのものだ。
すらりと伸びた長い手足。ああ、元気になったのだ。
よかった。
ここにいるのは、教師をしているのだろうか。受け持ちが違うのか、わたしは会ったことがない。
集会の後で、友人に聞いてみた。
「ああ、イライジャ先生ね。いつも、集会は参加なさらずに校庭にいらっしゃるの。人が密集した環境が、お身体に障るのだって」
まだ病気が完治はしていないのかもしれない。
更に、先生はもふもふパーティーの顧問をしているのだという。
「もふもふパーティー?」
「ディーったら何も知らないのね。獣人の着ぐるみを身に着け、互いにぶつかったり温まったりし合う活動のことよ」
「そうなの? 楽しそうね」
友人は首を振る。
「人気がなくて、廃パーティーになりそうなのよ。メンバーがたったの一人。イライジャ先生と合わせても二人でしょ。たった二人きりじゃパーティーの発展も見込めないからね」
「そうなんだ」
放課後は、勇者パーティーは校庭に集まる。火を起こし、肉を焼くのだ。
けれども、心はこのパーティーにない。
わたしの心は、イライジャ先生の率いるもふもふパーティーに飛んでいた。
そして、肉を巧く焼くだけのパーティーの深みのなさにも、わたしはいら立っていた。
アルプスの岩塩やハーブ塩を家庭から持ち寄り味つけするメンバーにも、違和感がぬぐえない。
「レモンを軽く絞るのも美味ですよ、賢者様」
「パクチーを包むのもなかなか」
どうして誰も焼肉のたれを持って来ないのだろう。
家に帰ってから、庭の芝でゴルフクラブを振るう父にたずねてみる。
「カルビ君の家を悪く言いたくはないが、チーギューチェーンのあの味の濃さが、我々の舌を馬鹿にしてしまっているんだよ」
「え」
カルビがよく届けてくれたチーギューを、わたしは喜んで貪っていた。確かに、あのこってりとした舌への絡みっぷりは尋常じゃない。
「わたしの好みは下品だったの?」
「下品とは言えないが、貴族は薄味を好むからね」
薄味。
スナック菓子でも、薄味など選んだら負けだと避けて来た。濃く、より濃く。塩よりコンソメ。かなうならにんにくバター醤油味。
わたしは、学生カバンに忍ばせた焼き肉のたれを厨房へ戻した。
イライジャ先生はきっと濃い味はお嫌いね。
再びのパーティーの時間、わたしは焼いてスライスした肉に、おろしポン酢をかけてみんなに振る舞った。
これは絶賛され、わたしのパーティー内での地位は否が応でも上がっていく。
紙皿に取り分けたそれを、わたしはイライジャ先生に食べてもらおうとした。
「イライジャ先生はどこ?」
「もしかして、あの先生にお肉を届けに?」
「いけないの?」
「いや、そうじゃないけど。イライジャ先生は、肉を食べないから...」
「え」
肉を食べない?
わたしの驚き方に、友人が心配顔をする。彼女はクイズパーティーからわたしと同じ勇者パーティーに移って来ていた。ヨーコという。
今では一番の親友と言っていい。
イライジャ先生が肉を食べない。
その事実は雷鳴のように頭の中に響き渡る。
肉を食べない。
驚きの後で、ひたひたとした先生への思いがあふれた。
ご病気の後のお身体への影響なのかもしれない。
肉を食べないのだ。
何という圧倒的な透明感。清らかな修行僧のような清浄なイメージが彼を包む。
わたしの初恋の彼は肉を食べない。
肉を食べないのなら、何が好きなのだろう。
考えながら、行き場を失ったおろしポン酢味の焼き肉を食べる。
「ディー、もしかしてイライジャ先生が好きなの?」
ヨーコがこっそりと聞いた。
「うん。初恋の人なの、きっと」
「え。そうなの? 学園で再会するなんて、運命みたいね」
そうかもしれない。
彼と再びめぐり会うのは運命だったんだ。
肉の差し入れは断念したが、気分はよかった。
家に帰り、居間から和気あいあいとした声がもれて来る。
執事が言うには、ビーエルが友人を連れて帰り、父と母も加わり談笑しているのだという。
勇者パーティーに加わって以来の習慣で、ファブリー〇の霧を浴びてから、居間に向かう。
兄の友人に挨拶をしないといけない。
我が家は挨拶に厳しい。特に母がうるさい。九九を覚えるよりはるかに大事だと、さんざんしつけられてきた。母には、九九を覚えるより大事な何かがたくさんあった。
「ただいま帰りました」
居間には両親と兄のビーエル、そしてこちらに背を向けている男性の姿があった。彼が友人らしい。
「いらっしゃいませ。ビーエルの妹のディーです」
わたしの声に兄の友人が振り返る。
わたしは目を見開いた。
そこにいたのはイライジャ先生だったのだ。
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