二、家族

 桜の門に向かう途中、花帆はまたしても呆気にとられた。

 満開の桜花よりも色めき立った声に、男が一人囲まれていた。

 冷めた目と浅いえくぼで、男が内心邪見にしていることが分かった。

「お兄、ちゃん」

 花帆も冷めたトーンで呼んだ。すると偽りの仮面が一気に剥がれて、えくぼの溝と両頬の上部が赤く見えた。

 花帆とこの男との間に道が開けた。こいつは両腕を広げたが、花帆はもう一度兄と呼び、一歩も前に進まなかった。

 こいつは公の場にいることのみ理解していたようだ。左腕のみ脇を開いたままで、花帆の右肩に届くまで歩み寄った。

「妹のこと、よろしくね」

 花帆はこいつの背中に隠れてしまった。

 花帆への眼差しは虫唾が走るほど温かく、花帆は両肩を小さくすくめて導かれた。

「相変わらずモテるんだね。すっかり女子高のアイドルじゃん」

 校門をくぐり、二つ目の停留所を通り過ぎたころだった。

「妬いてくれるのか? 心配するな、いつだって俺の一番の女は花帆だから」

「それ、養女に言うセリフ?」

 こいつは花帆の頭部に左手を乗せて、桜の花びらをそっと払った。いつだって反吐の出る男だ。

 花帆は口先だけで、半ば諦めていた。こいつに関しては、大衆の前で素を出さないだけで十分だからだ。

「花帆も。二十九歳の俺を戸籍通りに呼んだら、周りが花帆を傷つけかねないからな。お前を守れるならば何だっていい」

こいつ、赤木義貴よしたかは現在、花帆が唯一頼るべき保護者だ。実際は叔父と姪の血縁関係であり、わけあって花帆を養女に迎えた。

「ところで花帆、明日の登校時間は何時だ。俺も出勤時間を合わせよう」

 花帆はふと、紅潮していた芳恵を思い出した。

 だがあの強引さは、花帆が鵜呑みするには不十分だった。合理的な理由もなく警戒を解きたくなかったからだ。

 それがどう伝わったのか、義貴は素っ頓狂なことを言い出した。

「まさか、俺とのデートが嫌になったのか?」

「いや、これ入学式の帰りだし」

「ただのデートじゃない。今日は俺にとって、一生の記念日だからな。もちろん、これからの毎日も俺たちの記念日だぞ。そう、毎日がデート! 最高だな、どおりで桜がかすんで見えるわけだ」

「明日の放課後は眼科一択だね。でも嫌とかそういうのじゃなくて、これ以上心配かけないようにできるってだけだから。それに」

「早速友だちができた? 頬まで桜色になっているぞ」

 義貴は左指の背で花帆の左頬を撫でた。保護者としては喜ぶべき進歩だが、義貴は寂しそうに花帆を見つめていた。

「今日はお祝いだ。何が食いたい? お前の好きなもの全部作るぞ」

「全部なんて食べきれないよ」

 義貴は左手を話、左肘を差し出した。わたしとしてはそのまま関節をゆがめてやりたかったが、花帆はそんなことを考えもしなかった。

 袖の一点を右手で摘まみ、義貴は腕組みもどきに浮かれていた。

「やはりデートだな」

 花帆は両肩を竦めるだけで、何も言わなかった。

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