2023/04/23 霊

 薬の効果もあって、熱はすっかり下がり、咳と鼻水はまだ治りきってはいないものの、昨日までのダルさは消えて普通に動けるくらいになってきた。病院と薬は大事、本当に。


 今日は彼女も作品鑑賞をする元気があったようなので以前に途中まで観ていた『もののがり』を最終話まで観た。彼女の興味がある映画やアニメは、彼女が集中して作品を観れる元気があるのが稀なので、観るのが後回しになることが多い。『進撃の巨人』のアニメとかまだまだだいぶ置くと思う。

 アニメ作品では、いわゆる「あやかしモノ」を好んで観ることが多いのだけれど、そのきっかけはなんだったのかふと聞いてみたら、私が勧めたからだと言う。……覚えてないな。

 昔、アニメのヒロインに彼女と似たキャラはいないか聞かれて、戦場ヶ原ひたぎと答えたことがあって、それ以来なのだそう。それは覚えてる。ほんとーに昔。

 彼女はホラー映画を観ない。観れないというか、意識的に観ない。理由は単純で、彼女には「霊感」があったからである。出産時期を境にそういうものとは無縁になったが、霊のようなものを観ていたし、感じることがあったという。そういう経験があるものだから、霊を題材にしたホラー映画は過去を思い出してしまうので観ない。そんな中で、妖モノは丁度いいラインではあるようだ(一部グレーなものも存在する)。


 因みに私の「霊感」に対するスタンスは一言では説明しにくい。

 基本的には、世の中の「霊的」なものは科学で説明できるか、作り物だと思っている。いわゆる「霊感」も実際に霊が存在しており、その霊を感じているものではなく、精神疾患であったり感覚過敏であったりするものと思う。それとは別に私はキリスト教徒でもあり、「霊的」なものを完全に否定する立場ではない。聖書にも悪霊の記述は多く、また旧約聖書には口寄せ的なことを行う霊媒師も登場する。聖書の言葉を信仰する立場として、これらの記述を否定はしない。

 そして世界の見え方は人によって様々である。その人が「霊感」があると主張するのであれば、それが「本物」であれ「偽物」であれ否定するものではない。人生の中で「霊感」を持つと主張する人には多く出会って来た(教会にもそうした人は少なくなく、私の母もまたその一人だ)が、その性格は千差万別であり、彼らはそういったことを滅多には他の人間に吹聴しない。ただ、そう見えると言葉にする、という事実があるだけだ。

 というわけで、「見える」と言うなら「見える」のだろうし、「感じる」と言うなら「感じる」のだろう、というのを私はそのまま受け止めるだけである。


 私も今では「霊感」はゼロだけれど、完全に「霊的」なものと無関係というわけでもない。自分の名前を呼ぶ幻聴を感じたり、いたずらを唆すような声が耳元で聞こえたこともある。イマジナリーフレンド的な話し相手がいた記憶もある。それらもまた全て科学的に説明できることでもあるが、だからと言って「霊的」なものを否定する理由にはならない。


 自分の預かり知らぬところは預かり知らぬというだけ。

 ホラー映画を一緒に楽しめない、というのはちょっとだけ残念なことではあるけれど。

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