よく喋る犬

あまつか ゆら

よく喋る犬

「新しく犬を二匹入荷したから、彼らにDを打ち込んでおいてくれ」

 店長からそう言われた私は、注射器を持ってDを打ち込む専用の部屋へと向かった。そこへ行くと、二匹の雑種犬がぎらついた目でこちらを睨みつけてきた。兄弟らしかった。

 私が彼らに注射器を向けると、兄らしい犬は弟を庇うように前に出て、威嚇するように大きく唸っていた。首輪がついていなければ、今すぐにでも飛び掛かってくるだろう。私はいつものことだと自分に言い聞かせながら、彼らの口輪を抑えながら、首筋に注射した。彼らは少しの間沈黙したが、しばらくすると先ほどの一幕が嘘だったかのように、彼らは落ち着き払っていた。

「これは、これは。先ほどは警戒してしまってすみません。兄の私が代表して謝罪させていただきます」

「いえいえ。調子はどうですか?」

「全く問題ありません。私に何をしたのですか?」

「Dという薬品を打ち込みました」

「ははあ、素晴らしい薬品ですね、Dは。脳が冴え渡っているのを感じます」

「それはよかったです。しばらくしたら、店長が来ると思うので、よろしくお願いします」

 私は部屋を出ると、ひっそりとため息をついた。Dを打ち込まれた犬が、Dについて賛美するのはこれで十三回目だった。

 動物愛護団体にとって、Dは神の薬だ。T社が開発したDは、犬に人語を解すほどの高度な知性を与えるものだった。最初こそ倫理的観点などから禁忌の発明と言われていたが、教育訓練が必要なくなったり、ペットが家族団欒に参加できるようになったりと有用性が認められると、急速に世界中で広まっていった。何より、犬自身が自身の立場を正確に理解し、ペットや猟犬を受け入れるのがよかった。

 世論の圧力によって、ペット用の犬へDの使用が義務付けられるようになってから、小さな町のさらに小さなペットショップで働く私は、入荷した犬にDを注射する係に命じられていた。凶暴そうだった犬が理知的になる瞬間を見るのは、いつまで経っても慣れなかった。

 動物にも自由意志を、という理念でT社は開発を進めているようで、もうすぐ猫用のものも完成するらしい。人間と会話しているのと変わらない状況は、私にとって名状しがたかった。昔から動物と触れ合うのが好きで、ペットショップの店員になったからだ。

 二人の犬にDを打ち込んだ後、一般業務をしているとまた店長から話しかけられた。

「ああ、君。すまないが、ずっと売れ残っていた犬が一匹いただろう。そろそろ損切りしないといけないから、今後について話しておいてくれないか。私は今手が離せないのでね」

「あ、はい。エドワードですよね。今はどこに?」

「カウンセリングルームにいるよ」

 私はカウンセリングルームに向かった。扉を開けると、一人の老いた犬が行儀よく座っていた。皺の刻まれた顔は何かを悟った風で、少し気味が悪かった。

「こんにちは。エドワードです」

「これはどうも。今日はあなたに一つ話したいことがあります」

「ええ、ええ。そのことは私が一番よくわかっています。二ヶ月前に入ってきたチワワが、隣のショーケースからいなくなっていた時、ああ、私はもうダメなのだろうなと察していました」

「それはさぞ辛かったでしょう。あなたには今二つの選択肢があります。一つは信頼できるNPOの動物保護施設に預けられること。もう一つは紹介できる中で最も優良なブリーダーに引き取られることです」

「おや、まだ選択肢がありますよ。私は保健所に入りたいのです」

「エドワード。そう悲観的にならないでください。保健所はあなたたちにとって一番残酷な場所です」

「私は本気です」

 そう言うエドワードの目はよく澄んでいた。あまりに落ち着いているものだから、まるでエドワードの言うことが至極真っ当なもののように思えた。

「保健所は恐ろしい場所です。あなたは今よりも真っ当な扱いをされないでしょうし、今よりも環境は悪いでしょう」

「ええ」

「何より、あなたはもう歳です。これじゃあ、結末なんてわかったようなものです」

「ええ」

 私は段々と苛立ってきた。この犬は、生きる欲求がないのではないだろうか。これだけ心配しているのに、どうして平然としていられるのか。

「エドワード、聞いていますか」

「もちろんです。あなたは、私を心配してくれているのですね」

 彼はわずかにこちらへ近づいてくると、弱った首を重そうに持ち上げ、澄んだ視線で私を貫いてきた。

「仮に、あなたの言った二つの選択肢のどちらかを取った時、どうなるのでしょうか。あなたの言った通り、私はもう高齢です。施設に行けば、満足に体を動かせないまま、年若い犬たちに陰口を言われながら、職員からも疎まれて孤独に衰弱していくでしょう。ブリーダーの元へ行っても、できることは大して違いありません。せいぜい、ただ飯食らいと罵られながら、何度も呼んだ本を読み返すだけの余生を過ごすことになるでしょう」

 エドワードの目には信念が見えた。狂気的な信念だった。

「私は、自分の意志で死にたいのです。自分の選択の結果として死ぬ、これ以上に幸福なことはありますか。Dがなければ、私は行きたくもない場所へ連れて行かれて、したくもない老後をこなさなければいけなかったでしょう。ああ、正にDは神の薬です!」

「なるほど、あなたの言いたいことはよくわかりました」

「そうでしょう。さあ、早く私を保健所に連れて行ってください」

「なりません。あなたはブリーダーのところへ連れて行きます」

「そんな! それじゃあ、生きている意味がない。私は自分の意志が、この世界に影響したしるしが欲しいのです」

「売れ残った動物を保健所に連れて行くなんて、あってはならないのです」

「何だって。こんなの、カウンセリングルームなんて名ばかりじゃあないか」

 数日して、ブリーダーがエドワードを引き取りに来た。そのブリーダーは博愛主義者として有名で、動物好きとして右に出る者がいなかった。

「それでは、彼をよろしくお願いします」

 私はエドワードをブリーダーに渡した。たった数日で、彼は更に老けこんでいるように見えた。

「任せてください。私の元にいることが、この犬にとって一番幸せでしょう」

「ええ、その通りだと思います。私は動物が大好きなので、動物には幸せになってほしいのです」

 すぐにエドワードたちは車に乗って行った。私は店内に戻ると、店長から空いたショーケースの掃除をしておくようにと言われた。その後、また新しい犬にDを打ち込んでほしいとも。

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