第6話

 Fと面と向かって話すと俺の声が弾んでいるな。俺ってこんなにうきうきして話せたか? Fの方は機械的微笑を湛えているが、心ここにあらずといった感じだ。何となく俺も、そわそわしてくる。そうだ、テーブルにスマホを出しておこう。通知。通知。通知。


 きっと、開いたら二十件ほどの通知が溜まっているはずだ。FのTwitter更新以外にも、作家仲間のLINEやYouTubeやGmailやDiscordやMocriが通知されるから。いつもどこかで、誰かがいるはずだ。会話したり、配信したり、投げ銭したり。それに忙しくて、最近はアニメを見る暇がない。そもそも、テレビを見ている余裕がない。


 仕事に行くまでの貴重な時間に、誰かが俺にSNSで呼びかけてくる。LINE、Twitterで返信する。憧れのアーティストの楽曲配信をYouTubeでチェックし、アニメや漫画の考察動画を見る。ゲームアプリは朝のデイリーミッションの通知や、昼休みをもろに狙った一時間限定のチャレンジミッションなんかを提示してくる。スマホに拘束され、目の前に相手がいてもおかまいなしに、苛立ってしまう。今日、まだ我慢で来ているのは目の前にFというインフルエンサー絵師がいるからに他ならない。


 Fも同じ状態なら、無名作家の俺なんかとつるんでも楽しいことは何もない。一分とて時間を無駄にしたくないだろう。無意識にスマホの電源ボタンを押して、ホーム画面を開けてくれても構わない。Fだってネット中毒者だろう。


「ねえ」


 Fが突然、赤茶色の瞳を突き出すようにして、低い声で言い淀んだ。Fがスマホをいじる気配は今のところない。ただ、心が戻ってきている。何か閃いたように、目に光を湛えている。なんだよ、はっきり言えよ。


「死ぬ前に誰かを殺したくなるのは普通のことなのかな?」


 Fは屈託ない無邪気な笑顔で俺に問いかけた。冗談半分? いや、こいつは自分の顔に笑顔を描けるのか。こいつは、演劇部でもきっと成功するだろう。


 子連れの一家族が入店してきて、店内の騒音が増した。俺達は声音を変えることなく続ける。


「死ぬ前限定か? 普通のことだろ。俺は何度、鉄材の荷揚げのときに現場監督を突き落とそうと思ったか」


「違うよ」


 Fの長い睫毛が、店内の白熱灯を反射して煌めいたように見える。


「殺意のない状態で自分とは因果関係のない不特定の人間を殺したいと思うのか?」


 無差別殺人? そんな。Fほどの人気者がどうして。


「なあ、F、なにもこんなところで」


 そう口にした俺の唇が醜く歪んでいることに自分でも気づいた。耳だけ残したトーストが上手く口に入らない。口角がひくひくと引き攣っている。クーラーのおかげでやっと引いてきた汗が再び噴き出すような動悸がする。


「荒だって知りたいことだろ? 荒は憎い人がいるんでしょ? そう、小説が上手くいかなくて、高次選考通過作品の作者なんかを攻撃したいって思うでしょ?」


 Fには小説を書いていることだけでなく、どの賞に応募したか教えたことがある。


 去年まで俺は新人賞一択で、ウェブで小説を発表することをしなかった。だけど、可能性があるならウェブでもやりたいと思った。ウェブ発の小説が本屋に並び始めたからだ。


 はじめこそ、俺は紙の本だけが小説だと思っていた。落選が続き、自分の作品を下読み一人が読むことに違和感を覚えた。作品が世に出ない。そう思うと首を吊って今すぐ自殺した方がいいと思う夜も少なくなかった。だけど、ウェブなら発表できる。


 だが、ウェブ小説は紙媒体のそれとは違った。流行ジャンルしか読まれない壁があった。ウェブに俺の知る紙の文体の本なんてほとんど存在しなかった。紙の文体で書いていると、難癖つけられたりもした。どこかの賞に送った作品ですと記載すると、いわゆるウェブ小説ではないというだけで村八分に遭う。そう、「小説」はウェブに居場所なんてなかった。ウェブに居場所があるのは、「ウェブ小説」だけだった。


 作品がどんなによくても、ネット上でマナーの悪い作者はいる。そんな奴の作品を出版する出版社が憎いと思うこともあった。ウェブ小説は文体がどんなにボロボロでも、内容が幼稚でも、それを求める人がいる限り書籍化のチャンスがある。


 流行を追い求める者が勝つウェブ小説。じゃあ、俺は? 俺の書きたい動機となった本は遥か昔の二十年前の本だ。今でもそれを目標に書いている。その古い本は今でも売れているか? 答えは微妙だ。だけど、俺はそれを経典にしてしまった。もう逃れられない。俺は書きたいものしか書けない。


 求められるままに書くことができるウェブ作家、いや、あいつらは商人で自分の書きたいという信念や意思がない? 分からないが、少なくともあいつらを殺したいぐらい憎んだことはなかっただろうか? どうだろう? あいつらが死ねば俺は高次選考まで残る? いやいや、椅子取りゲームとはよく言うが、上位者が死んでも下手な奴だけ残るのなら受賞作なしで終わりだ。他人を蹴落としても、上に上がったことにはならない。でも、ふつふつと沸き起こるこの興奮は何だろう。そう、妄想だ。全て妄想なのだ。本屋に火をつけ、売れてる奴ら全員蹴落としたい。そんな感情がないわけじゃない。ただ、デメリットがでかすぎる。


 いや、本当にそうだろうか。本を出す。それが目的なら獄中で出せば済むじゃないか。犯罪者が書いた本は売れるぞ。それは、プロになりたいという願いと少しずれているのかもしれないが。本にするという願いは叶う。プロになりたい理由も本を世に出したいという理由からなわけだし。


「なあ、荒」


 Fはうるさい一家五人組を流眄りゅうべんで伺う。父親、母親と女の子三人姉妹の五人。中央の二人席を三つ並べて、今どき珍しい国旗つきのお子様ランチを食べている。


 俺は急に怖気づいてしまう。俺は、脳内で本屋に立てこもる前代未聞のテロリストを妄想するが、なかなか上手くいかない。あいつら五人家族のせいだ。


「誰かに聞かれてもぼくらが実行するとは思われないよ」


 ぼくら? F。俺も数に入れてるんじゃねぇよ。いや、俺には動機があるか。


 でも、Fは? Fは俺よりも成功していて、少なからず光の中にいる。俺だってプロになれるチャンスがあるならなりたい! なのに、こいつは天賦の才があるのに趣味勢で居続ける!


 絵と小説。創作物なのに、似て非なるもの。紙と鉛筆があれば描ける。どちらも、パソコンやスマホで作業できるようになった。どちらも同じようにウェブで公開することができる。それなのに、どこで差がついたのか絵は瞬時に人が目視で評価することができ、小説は瞬時に評価されない。


 アマチュアの小説はデビューしない限り日の目を見ることが許されない。そりゃそうだ。デビューすることが日の目を見ると言う意味なんだから。


 「小説の読まれなさ」は異常だ。創作とは呪われた作業だ。やめることができないくせに、評価は得られない、無益の労働と徒労だ。


 では、ここで大らかに心の中で発表しよう。ウェブで読まれる小説は「異世界転生」「悪役令嬢」「追放」「ざまぁ」などなど、いわゆるテンプレート、王道、お約束を守った「テンプレ小説」ばかりであると。はい、拍手! テンプレ小説に栄光あれ! また、それ以外の小説にも僅かなチャンスを与えたもれ! 誰に言うとなく、願う。


 そして、その流行作品以外を広める方法はTwitterかブログしかない。宣伝、いや、喧伝だな。とにかく、全世界に広めるために、Twitterで小説をバズらせるしかない。小説がバズって書籍化したという話は、聞くところによれば数件ある。自分がバズることができるかと言えば不可能に近い。バズった小説もウェブ小説の型は保ちつつ、斬新だっことの方が多いらしいし。だが、そこは、ゴッホと同じで斬新すぎるとウェブでは埋もれる。それどころか、読者が予測できない展開を試みるとストレスがかかって、読者が離れたりする。今の若い世代は急展開をストレスに感じることもあるという。ウェブ小説は若い世代の読者が、ほんとに多い。


 それから、読ませるには読み合い企画もいいだろう。ウェブでは人脈や義理で小説を読み合う。持つべきものは読み合いしてくれる友達。当り障りのない感想をもらい、受賞の秘訣は分からず仕舞い。いや、読んでもらえると嬉しい。改善点も分かるならだけど。


 そうだ、読者という客を自分で捕まえて来ればいい。Twitterのアカウントは小説垢として使っているので小説を書く側の人間としか人脈を広げることができない。いや、読書垢の人は、紙の本しか読んでくれないんだってマジで。


 ただし、不思議なことに、絵師であるFは俺の小説を抵抗することなく読んでくれた。絵師アカウントじゃないのに繋がってくれるなんて、珍しいことだった。読書垢の人は読書して本の内容を語り合える仲間が欲しいという点が、売れていない無名の作家の作品を読まない理由なのかもしれないな。一方、絵師、イラストレーター、漫画家志望者などは、今まさに創作している点において、お互いをリスペクトし合えるのかもしれない。


 Fのアイスティーが霞んで見える。アイスティーの海にウェブ作家を沈めて溺れさせたい。あるいは書店員。思考が飛躍しすぎか。いや、俺の思考はぶっ飛んでいる。前からだ。誰も俺の小説についてこられない。だが、どうしても書きたいものを優先してしまって、いつまで経っても高次選考に行けない。お先真っ暗だ。前を見ているのに、先に見えるのは闇ばかりだ。人はいかにしてプロの小説家になるというのか? 哲学的設問を脳内海馬、シナプスに常置しておく。


 物を書いていれば作家だという人がいる。実際、先輩作家が学校に来て特別講演を行ったときに聞いた話だ。まず、書くということ。その時点で作家だと。いやいやいやいや、待ってくれ。それはプロじゃないだろう。(公演に来て下さった先生はもちろんプロの作家なのだが)夢も希望もないと思ったんだよな。学生だったあの頃。


 書けば作家なら、みんなプロじゃん! って。プロとアマも結局はやることは一緒だと伝えに来てくれたのかもしれないが。少なくとも未だに納得できていない。俺は風邪をひいても毎夜、千文字は小説を書いているというのに、作家とは名乗れない。

選考委員はアマチュア作家に対し「書き手」という言葉を使う。物を書いているけど物書きではなくて作家でもない状態。


 「物書き」「作家」はプロしか名乗ってはいけないような気がする。アマチュアが「作家です!」って言い過ぎると、お目面汚しというか。まぁ、誰の目に入るのか知らないが。少なくとも、プロでありたい自分を客観視すると、何かの拍子に「作家」と名乗ることに羞恥を感じるというか。


 それに、自分では無自覚にゴミ作品をしつらえて、必死に読ませようとしている。たちが悪いのが、作品をゴミだと認識できないこと。自分の小説は世界で一番面白いのだ。だって、自分の中での最高傑作。本屋では売っていない。世界に一つだけのオリジナル小説。だけど、あっさり落選するんだ。これを、なんと呼ぶ? 無意味。無価値。無駄。駄作。ゴミ。クソ。芸術。

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