第2話
残り四分。ぎりぎりまで「休憩」してやる。頭はノイローゼのように加熱していく。二次選考に進むタイトルや作者名を見ないようにブラウザを閉じる。ついでにアプリゲームも。それから、Twitterを開く。今日も無駄なことに忙しい。
昼間のあいつは何をしているんだろう。
俺のTwitterのフォロー数は百人。フォロワー数は八十人。はっきり言って弱小アカウントだ。無名なりに自分の小説を拡散するために作った垢だ。八十人全員が読んでくれるわけじゃないから、まあ、よくて二人程度か。拡散してもらえたら、もう少し多くて十人ぐらいが、一週間に一回読みに来てくれたらいいほうだ。プロはすげーよ。一万人に物を売るんだよな。無料で読めるウェブ小説でこの人数だもんな。小説って読まれないコンテンツなのか。アマチュアでも面白い作品が山のようにあるのに。どうして、出版社は「面白い」作品を出版させないのか不思議だ。好きな作品がことごとく出版していない……。なんてことも多々あるし。
俺はTL(タイムライン)にときどき現れるイラストをいつも心待ちにしている。
ちょっとした息抜きのつもりでイラストレーターや絵師をフォローすることがある。その中で拡散されて流れて来たイラストに心打たれることがある。特に、ショートカットの銀髪少女の泣き顔イラストを見ると、胸に染み入って安心感を得ることができる。
そのイラストを描いた絵師は「死にたがりF」。そいつと知り合いになれて、展望が開けたかもしれない。
Fのイラストは、銀髪の悲痛な顔の少年少女ばかりがモチーフだ。プロではないが、フォロワー数は五千人とかなり多い。そいつのイラストが他と違うと俺が認めたのは、人物の「泣き顔」の光と闇の部分だ。プロ顔負けの腕で、仕事の依頼も多いそうだが、そいつは全て断っている。俺もダメ元でお願いしたらあっさり断られた。
食える技能があるのに、そいつはあくまで趣味で絵を描いていると主張する。どう理解すればいいのだろう。才能を無駄にしている。そして、才能は天から与えられる。努力で天才は成り立っていると人は言うけど、とんでもない。はじめから才気ある若者の努力は、並みで平凡な人間の努力のそれと違う。更に手の届かない場所へと行ってしまう。世の中は不公平だ。まあ、文句言っても仕方がないんだけどな。マンガや絵はガキの頃に諦めた。恐ろしく下手で誰にも見せられなかったから。だから、俺は何の取り柄のないないまま小説を書く。
ああ、今夜も一人、落選パーティーだ! 落ちたのは一作? いやいや短編二作、長編二作だ。同じ日に結果発表するのやめてもらいたい。俺のメンンタルはボロボロよ。脳みそを千切りにされて海に捨ててくれ。そうしないと、どっかのアホみたいに出版社に放火するぞ。ああ、ああいう輩って遠い国の奴だと思ってた。俺も本屋ぐらいには放火できる才ぐらいはあるだろうか。
書き殴ることの無意味さよ。小説の形態になっていたら通るんじゃないのかよ。ハリー・ポッターの作者だって言ってたぞ。「妄想だ」って。本になるまでは全部人の頭の中にある絵空事なんだ。それをプリンタよろしく機械的に出力できた奴が正義ってわけだ。俺の妄想、一緒に誰か愛でてくれよ?
ガチで書いてなんで駄目なんだよ! きっと、「ガチ」の中身や性質、クオリティが違うのだろうが、細かいところは未だに分からない。なぁ、Fはどうして自己完結できるんだ。絵をもっと多くの人間に見てもらいたいと思わないのか。
残り三分の休み時間で絵を眺めていると、死にたがりF本人との乖離にぞわぞわする。俺にとっての太陽? いや、これをなんと形容しようか。ウェブという大きく開けて小さい空間であいつの周りに円を描いて人が集まって来る。そんなイメージ。だけど、本質はそこじゃない――。
今日も死にたがりFは、淡々とイラストをTwitterに投稿している。スマホの通知が二十件も溜まっていた。そのほとんどはFの通知だ。全部が全部イラストじゃないが、一言一句見逃したくないので、追いかけるのも楽じゃない。
〈校門前で泣いている女の子描いてみたよ〉
そう題された絵には、目を腫らして泣いている少女が描かれている。白縹色の空が夜明けといった感じでファンタジーみがある。朝日は物悲しく、見る者に少女の痛みを印象付ける。今日の絵は特にギャップが面白い。生徒はぐんぐん校門を走り抜けている。その疾走感や躍動感をよそに、一人佇んで泣いている銀髪の少女が引き立つような構図。一枚画とは思えない情報量の多さに、心搔き乱される。少女の涙は朝露だ。世界で一番美しい瞬間だ。
流石、死にたがりF、五時間前にアップして一万いいね獲得か。てことは、朝の七時ぐらいに絵をアップしてるんだよな。学校行く前にこいつは絵を描く時間があるのか?
急にFの絵をスクロールすることができなくなる。やはり炎天下でのスマホ使用は故障に繋がるな。喫茶店の代わりに、腰を下せるような木陰を探す。公園付近の○○印刷所の電柱に身を寄せるか。木に留まり損ねた蝉のように。
死にたがりFとは、TwitterのDM(ダイレクトメッセージ)で出身地や好みの食べ物などを教え合った仲だった。といっても、友達と呼べるのかは不明だ。お互いに本名や顔や声も知らないし。だけど、知り合って半年、毎日やり取りを交わしている。相手のことが手に取るように分かるような気がしている。たぶん、こういう心を許した相手に裏切られたときに、地元の情報など流出して身バレするんだろうな。
俺はDMに〈腹減ったー〉と生理的欲求をととっと打ち込む。一分と待たずに〈お昼ご飯まだなの?〉と返ってくる。〈昼飯代がもったいねぇの〉〈身体に悪いよ〉やり取りは普通の学生といった感じの内容だ。そう、死にたがりFは年下の少年だと思う。俺が三十なら、あいつは十九ぐらい? ときどき嫌に大人びたことを言うが。
〈生物はみな、何かしら食すと思うけどね。日に摂取する量と回数には違いはあれど。それもリスクを冒したり命の駆け引きをしながら、栄養になるものを得ようとする〉
人間も動物みたいに食って寝るだけなら楽なんだけどな。
〈俺だって、金がもう少しあればココイチでスクランブルエッグカレーを食ってる。てか、お前だって拒食症だろうが。人の心配とかしなくてもいいだろ〉
死にたがりFはその名の通り、病んでいた。いや、誰かがそう認めたわけではない。なんというか、Fは「死」に興味を持っている。ただ、もしFに理解ある母親が存在するならば、一度は心療内科に連れて行ってやると思うのだが。
FのTwitterのメディア部分をタッチして開けば、過去絵がたくさん表示される。田舎道でSLが走り、それを見て涙する銀髪の少年のイラスト。Fは蒸気機関車なんて乗ったことがない世代だろう。何が彼にこれを描かせる動機となったのか、皆目分からない。そういう意味では半年の付き合いは短いと言える。絵の隅々に神の寓話だって描きかねないぞ、こいつは。
日本家屋の風呂場で半袖半パン姿で泣き叫ぶ少女の絵が、一万いいねでバズっている。少女の意味深な涙と、乱れた衣類が行為の後を想起させて、見る者を扇情するのだろう。
あるときは群青色に波打つ海で打ちひしがれ泣いている少女。またあるときは虹色の太陽光を乱反射する川に浸って、濃紺の夜空を駆ける流星に死を
彼らの不幸を取り除き、救いたい。俺にそう思わせる死生観が縦スクロールで流れていく。ポーランド人画家ベクシンスキーの絵が至高だと思っていたんだが、このFという奴の絵もネット上では秀抜。何より人物の泣き顔が上手い。笑顔や、水着で恥ずかしがっている絵もあり、「いいね」は五千から最高では三万いいねを押されているが、誰がなんと言おうとこいつの真価が発揮されるのは「泣き顔」だ。
それらは死期を悟り、あるいは将来に絶望したり、些細な事で不幸を感じて死にたいと思ってむせび泣く未成年者に向けて発信された。ネット上では「暗い」と称される部類の芸術だろう。だけど、凄惨さを薄めるためのファンタジックな要素やSF感で「生きるとは何か」と問いかけているように見える。
だが、それは表向きの話だ。Fには、技術力でもって人の不幸をカメラで切り取る戦場カメラマンやジャーナリスト的な側面はありはしないか?
思想の根底にベクシンスキーと同じ「絶望」や「死」の臭いを感じる。いや、俺の思い込みの可能性も大いにあるが。
大勢が「少女の嘆き」のイラストに希望を感じ取り「いいね」や「リツイート」で拡散し、ファンになっていくのに、俺は真逆の悪魔じみた不穏なものを見出している。
次の絵は一万いいね。名だたるプロのイラストレーターでも、毎回叩き出せない数字だ。少女が両手で顔を覆って泣き止んだ直後といった印象のイラストで、後光が差すばかりか、少女には純白の翼が生えている。セーラー服を破っていて、露になりそうでならない微妙な胸元が少し萌え要素になっている。男に母性本能はないはずなんだが、無条件に守ってあげたくなる絵だ。少女の頭髪が少年のように刈り込まれているのも強烈だった。一見して、処女のまま火刑にかけられた英雄ジャンヌ・ダルク。少女の髪色は薄い金髪(プラチナブロンド)で日本人の学生ではあり得ない髪色なのだが、その二次元の世界はアニメ的でありながら絵画のようでもあった。
この絵がまさに、彼女の死後の出来事だと思った。少女の復活を描いたに違いない。
人々は少女の清らかな涙の後に、必ず幸せが訪れると確信して、「いいね」を押した。いやいや、俺はこの少女が今しがた地獄を見た後だと思って「いいね」と「リツイート」で拡散してやる。
人が嫌悪するほどの、嫉妬や憎しみ、覆い隠したい羞恥などの数々のイラストを目に焼きつけた。
「三人で海」というタイトルのイラストは中央の少女が裸足で、ピチピチサイズのスクール水着を着ている。二人の少年が腰から足までどアップで、真ん中の少女は二人に挟まれる構図。二人の海水パンツから日焼けした足と、日焼けしていない少年の足が両側に柱のようにそびえている。額縁の役割にも見える。
少女は一人海へと駆けだして、振り返るなり少年に早く来るように声をかけているように見える。褐色と色白の少年二人ともが驚いているのかもしれない。少女のスクール水着からは想像できない、大人に変わりつつある女性の肉体美に。
この絵を解釈すると、敵対した二人が美しい少女を見てあっけに取られているというところだろう。二人とも彼女が欲しい。彼女は笑い泣きしている。
すぐに「いいね」を押す。少女の為じゃない。この沈鬱な関係にある二人の少年に賛美の「いいね」を送った!
Fのイラストスタイルは、水彩画のように澄んだ特徴がある。透明感が同世代の少女に受けているとも言えるし、多感な少年にも守る勇気を与えるのかもしれない。あるいは、勃起したり、単純な夢精を促す効果があるのかも。
DMで更にやり取りする。一分以内にお互いが返事できる。
〈なあ、F〉〈死にたがりFだよ〉〈Fでいいじゃん〉〈「死にたがり」がないと、どんなFか分からない。ぼくは死にたがりであることを強調しているんだ。いつでもこの世から消えてなくなってもいい状態にしておきたいんだ。つまり、イラストを描き、ツイッターに投稿する絵師とは終活と同義〉〈老人かよ〉〈心は老いている。肉体はまだ若い。この精神的老化をなんと例えようか模索中だよ〉〈アルツハイマーでいいじゃん〉
そんなことを書き込んでしまったので、Fは声こそ荒げなかったが、アルツハイマーについて
〈いいかい、A〉
俺の苗字のイニシャルだ。
〈君の定義するアルツハイマーは君の思う、そうだな、君に分かりやすくいうならばボケ老人全てを内包しているんだ〉
〈誰もボケ老人だなんて、そこまで言ってねぇ〉
〈老人に敬意を払うべきだよ。えーっと、原因は遺伝もあるけど、生活習慣などの複数要素が絡み合っている。それから、認知症の一種であって加齢による物忘れ、Aの思ってるボケのことね。これは、ボケたことの自覚症状があるんだ。認知症は物事を記憶する段階から起こる。物を忘れる以前に覚えられない。分かった?〉
ああ、と口に出してぼやく。Fは生きたがりだな。ほんと。だけど、絵を描いているときは別人なんだろうな。知れば知るほど、お前は幸せだよと思う。自分の幸せを感じることができないから不幸なんだよな?
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