転・蜘蛛の糸

物部がたり

転・蜘蛛の糸

 虫けらは何の役にも立たないものという意味だが、自然界では一匹の虫けらでも自然循環に貢献している|諸法無我≪しょほうむが≫の存在である。

 一粒の麦は地に落ちることで多くの実を結ぶように、ここにいる一匹の蜘蛛も同様であった。

 往来の真ん中に巣から落ちた蜘蛛がいた。

 蜘蛛は巣に急ぐが、人の足で一二歩の距離でも、小さな蜘蛛からすればとてつもない距離だった。


 普段から人通りが少ない通りだったが、その日、その時に限って前方から人が歩いて来る。

 このままだと後四歩で蜘蛛は踏み潰されていた。

 そのとき、隕石の軌道を違う隕石がそらすように、背後から走って来た人物が、蜘蛛を潰そうとした人物にぶつかって、蜘蛛は潰されずに済んだ。

「どこ見てるんだ! ちゃんと前見ろ!」

 怒る人物に謝りもせず、蜘蛛の命の恩人はそのまま走り去ってしまった。

 その間に蜘蛛は命からがら巣に戻ることができた。


  *             *


 それから間もなく、蜘蛛の命の恩人が事故に遭って生と死の狭間を彷徨っているという噂を耳にした。

 蜘蛛は自分の命を助けてくれた恩返しをしようと、極楽のお釈迦様に、命の恩人を助けてくれるように頼んでみることにした。

 蜘蛛は蓮池にて、お釈迦様を見つけた。

「お釈迦様、あの人は僕の命を助けてくれました。どうか蘇らせてください」

「あの者は生前、悪さばかりしていたのだよ。お主を助けたのも、ひったくりの際の偶然の産物。決してお主の命を尊んでの行いではない」


「そうだとしても、僕の命が救われたのは事実です」

「よかろう」

 お釈迦様は蜘蛛の願いを聞き届けてあげることにした。

「では、お主が決めるがよい」

 お釈迦様は蜘蛛に生と死の狭間を彷徨っている者を、糸で救い出すよう言い付けになった。

「ありがとうございます。お釈迦様!」

 蜘蛛は極楽から地獄で彷徨う恩人の元に糸を垂らした。


「僕の糸につかまってください」

 恩人は糸を手繰りながら登り始めた。

 どれほど登ったであろう。

 恩人が疲れ果ててしばらく休憩していると、下から亡者たちが後を追って次々に登って来るではないか。

「来るな! これは俺の糸だ!」

 といいながら、恩人は登って来る亡者たちを蹴り落とした。

 その光景を見ていた蜘蛛に、お釈迦様はいった。

「お主が決めなさい」と――。

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