月明かりの天使

@mlosic

第1話天使

「あなたに響くといいな」


 一目惚れをした。いや、正確には一聴惚れなのだが。


 俺は、音楽のプロを志していた。しかし、現実は厳しい。同じことを考えていて、そして俺以上の努力をしている人はごまんといる。


 俺も努力をしているつもりだが、それはただの自己評価でしかない。努力とは他人に認められて初めて形として表されるものである。俺の師匠からの教えだ。その通りだと、俺も師匠の考えには共感している。


 ただ、そんな大層な思考を持っていたとしても、俺はただの売れないミュージシャン。それは変わりようのない現実だった。誰からも評価されていないということは、まだまだ努力が足りない。


 俺は今日もいつものごとく、オーディションでボコボコにされたせいで、地獄の悪魔達にあらゆる生気を搾り取られたような顔で帰っていた。


 なんとなくいつもとは違う帰り道を選んだのだが、この選択が俺にとっての大きな転機となるとは、この時の俺は思いもしなかった。


「天使」


 天使がいたのだ。地獄の悪魔達とは馴染み深かったのだが、天使と会うのは初めてだった。天使とは目の前で歌っている彼女のことだ。彼女は月明かりのスポットライトの下、綺麗な歌声を響かせていた。


 透明感のある透き通った声とはよく聞くが、まさにそれだった。透き通った声を辞書で調べれば、彼女のことと書いてあるだろう。こんな幻想的な場面で、俺の疲弊した心に潤いを与えてくれる声を響かす存在は、天使以外の何物でもなかった。


「この思いがとど」


 歌っていた彼女が俺の存在に気付き、歌うのをやめる。少しびくっとしたようにも感じた。


「あ、ごめん。いや、君の」


「!」


 彼女は目を見開くと、俺が言葉を言い切る前に走って去って行った。


「あ、ちょ」


 俺は逃げる彼女の後ろ姿を見送ることしかできず、せめてもの思いで手を伸ばしていた。綺麗なショートカットの後ろ髪が、月明かりで照らされながら遠ざかっていく光景が目に焼き付けられる。


「え、え」


 目の前で起きた一瞬の出来事にただただ困惑した。そして俺はあることに気付いた。さっきまで天使である彼女のステージだった場所に、天使の羽もとい、小さなカバンが置かれていた。


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