小さな刀に願いを込めて

おじぃ

小さな刀に願いを込めて

 東海道中のとある茶屋町で、壱拾五じゅうごの頃から刀鍛冶を続け五拾五年。


 曲者を成敗する刀に憧れた子供時分、三代に亘り店を営んできた我が家にて、一人息子である己が後を継ぐのは必定であり、誇らしかった。しかし反面、刀が曲者の手に渡れば悪事の道具とされ、やりきれぬ思いに苛まれる生業であると、生きるほどに身に染みていた。


 ここから一日ほど歩いた所にある横濱(よこはま)では、鐡道てつどうなる石炭を燃して人を運ぶ、よく解せぬかごが異国から伝来したと聞く。一方で侍の世は衰退の一途。鐵の役目は刀からその籠を成すためのものへと移ってゆくだろう。


 最後に客が来たのはいつの日だろうか。とはいえ鍛冶屋が無くなってしまえば未だ僅かに残る侍が困るのも事実。もう鍛冶屋は流行らぬと読んだ息子は家を出て、江戸、いや東京で八百屋を始めたが、時代ときの流れが全ての侍を消し去るであろうから、後継者など要らぬ。


 我が家は代々刀鍛冶一筋で、包丁など自らの生活に必要な刃物は全てこさえているが、客には刀鍛冶の誇りに懸け、刀以外は頼まれても頑なに売らなかった。ただひたすら殺し道具を世に送り出す、そんな人生に年々嫌気が増している。刀があるから、侍がそれを用いて治安を維持している。だが最初から刃物の類が世に存在しなければ、盗人や辻斬りといった悪人は現状より少なかったやも知れぬ。


 茅葺屋根かやぶきやねの隙間から冷気が流れ込み、何種かの虫の声が混ざり合っている。昔を思い起こすには丁度良いときだ。


 儂が初めて刀を握ったのは鍛冶屋の修行をしても良いと父からと認められた壱拾五の秋。今のように虫が鳴いていた。


「これを握る、覚悟はあるか」


 家族三人揃っていながら、刃を研ぐ音と外の雑音しか聞こえない屋内で問われた。


「ああ、あるさ」


 一言、それだけ返すと、父は今ほどまで研いでいた刀をおもむろに差し出した。


 持ってみろ。


 眼と僅かに上を向いた顎は、そう語っていた。それまでは刀を持つなど一切許されなかった。渡されたそれの柄を持ったとき、想像を超える重量感に少し重心がぶれ、驚いた。


「儂に向かって、構えてみろ」


 言われた通り、刃と父との距離を保ち、両手でそれを構え、父を真っ直ぐ見詰めた。


 これを振るえば、父の身は言葉通り一刀両断。自ずと呼吸が乱れ、柄を握る手が震え、まなかった。これを落下させれば己の足に刺さるやも知れぬ。だが父が許すまでは、下ろすわけにはゆかなかった。


「身が果てるまで、これを生み出し、世に送り続ける覚悟はあるか」


 そう、その覚悟を問われているから、勝手に下ろしては成らぬ。


「あるさ」


 本当に覚悟を決められていたかと言えば実は揺らいでいたが、その瞬間ときから、儂は刀鍛冶の肩書を得たのだ。刀鍛冶として恥じぬ刃を研げるようになるまでは、それから弐拾年ほどかかった。


「ごめんくださーい」


 なんだ、こんな時間に来客とは珍しい。服装や背恰好からして壱拾八じゅうはち前後の平凡な町娘のようだが、この辺りでは見掛けぬ顔だ。女子おなごといえば用件は鈴なり式に浮かぶが、念のため娘に問う。


「近頃この辺りに嫁いできた者ですが、おひとつ包丁をこさえていただけないかと思いまして」


「うちは刀一筋。包丁なら他を当たってくれ」


 やはり包丁を所望か。


「いいえ、あなたにこさえて欲しいのです」


「何故だ。付き合いがあるわけでもなし、他所者が辺境の名もなき刀鍛冶に拘る理由などないだろう。それに儂ももう歳だ。そろそろ店を畳もうと思っていたところよ」


「なら最後におひとつ、いかがです?」


 その言動から、しとやかに見えて芯は図太い女子と見た。


「何を言う。儂は刀鍛冶だ。包丁など今まで一本たりとも売ってはおらぬ」


 言うと、正面に立って儂を見下ろしていた娘は何故か微笑み、屈んで背の低い儂に目線を合わせた。


「ちょっとだけ、昔話をさせてもらえませんか?」


「夜は辻斬りが出やすい。日が暮れる前に帰れ」



 ◇◇◇



 そう。まだ私が七つの秋でした。お転婆で独り林に鳴き声を頼りに蟋蟀や鈴虫を探しに行ったら夢中になって、林を出た頃にはすっかり日が暮れてしまって。急いで帰らねばと町へ続く人気のない小走りしていたら、ボロボロの衣服を纏った貧相な男が竹藪から現れて、私の前に立ち塞がったのです。


「ひああっ、誰かっ、誰か助けて……」


 辻斬りだと直感した私は恐怖で声が掠れ、脚が震えて間もなく、その場に崩れ落ちました。


 斬られる、斬られる、誰か助けて……。祈っていると、辻斬りの背後に何処からともなく現れた黒い影。お侍さんでした。お侍さんは私にこうべを垂れ、こちらを見るなと合図し、その通りに私が目を伏せると聞いたことのない鈍い音がして、辻斬りは頭が縛られるほど大きく、重たい悲鳴を上げました。


 恐る恐る顔を上げ、痛みに喘ぐ辻斬りとお侍さんに付着した返り血や冷徹なまなこは、生涯忘れられるわけなどありません。


「あっ、あっ、あっ、ありがとうございます!」


 私の身を守るために繰り広げられた凄惨な光景に息を荒げ、全身を震わせながらどうにか上擦った声を搾り出すと


「礼なら刀鍛冶に言え。拙者など、刀が無ければ只の木偶でくの坊だ」


 ◇◇◇


「それで、お侍さんから教わったのがこのお店でした。故郷の駿河するがからここ相模さがみまではなかなか出向ける距離ではなくて、拾年以上の年月としつきを重ねてこちらへ嫁ぎ、ようやく謝意を伝えに来られました」


そうか。とだけ儂は返した。刀は本来、お偉方や女こどもを暴漢から守る道具だと、生業を正当化して、砕けそうな気をどうにか確かに持ってきた。護身のためであれ、か弱き者が、または事を知り馳せ参じた侍が刀を振るい、血飛沫を浴びる。それが如何に恐怖を伴うものと承知しながら。


「どうなさいました? 目に活力が感じられませんが、何かありましたか」


「何もない。毎日平凡な日々を過ごしておる」


 言うと、女子は儂の奥底にある何かを見透かしたように、先ほどより大人びたやわらかい笑みを浮かべた。


「また明日、来ますね」


 それからというものの、昼を過ぎた頃に、買い物がてら毎日ここを訪ねるようになった。気が付けば楓の葉が色付き、もうじき冬将軍がやって来る。


「毎日来られても包丁は売らぬぞ。仕事の邪魔だ」


「そんなこと言って、何もしている様子ないじゃないか」


 儂の読み通り芯が強く肝が据わっていて、日に日に生意気な口を利くようになっていた。うるさいうるさいと強がるも、それしか言い返せないのかとからかわれ、刀はこさえられても言葉の刃はまるで立たぬ。


「あのね、私、赤子を授かったみたいなの」


「ほう、それは良かったじゃないか」


「うん。でもね、あの時辻斬りにやられていたら、この子には出会えなかった」


 まだ膨らんでいるか着物越しには判らぬ腹を、女子は大事そうにさする。まだ小娘だが、その慈しみに満ちた表情は、紛れもなく母に成る喜びと覚悟があった。


「そうか。だが辻斬りは最初から刀が無ければ出てこなかった」


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないね。それでも、あなたはお侍さんを通して私を救ってくれた。それは紛れもない事実さ。この子に出会えただけじゃない。救われなかったら出来なかった経験を、あなたのおかげでたくさん出来た。生きていればできることが山ほどある。それを知る機会を私に与えてくれた恩人だよ。図々しいお願いだけど、それに誇りを持ってくれたら嬉しいよ」


 何を言ってくれる。そんなこと、承知しておるわい。だが言われたのは初めてだ。長らく己の胸に秘めた信念。しかしそれは時に揺らぐもの。それを他者に、しかも事実に基づいて言ってもらえる。それがどんなに肩の荷を軽くしてくれることか、いまようやく思い知った。


 思えば儂は寡黙で、照れ臭さや言わずともわかるだろうと思って、嫁や息子に肝心なことさえ伝えぬまま生きてきた。


 儂の刀は一級品。しかし人格は非人にも満たぬやも知れぬ。


 店を畳んで後は死を待つのみとばかり思っていたが、まだまだ修行せねば成らぬことが山ほどありそうだ。



 ◇◇◇



「ほら、これやるよ」


 季節ときは巡り、外では桜が咲き乱れている。そんな折、あの女子が久方ぶりに訪ねて来た。


「わぁ、小さい刀! もしかして夜毎よごと上がっていた狼煙のろしは……」


「なんのことだ」


「夜になると、このお店の方角に狼煙が上がっているのが見えるのさ。近頃はお腹が大きくなってなかなか外に出て来れず、ごめんよ」


 へへっと舌を出す剽軽ひょうきんさに、もはや何も言い返す気は起こらなかった。


「折角くれてやったんだ。何に使うかは任せるが大事にしろ。それと、いや、なんでもない」


「何さ、勿体ぶらないで言っておくれよ」


「儂の‘刀’は切れ味が良い分、刃こぼれしやすい。研いでやるからこまめに持ってこい。万一破片を飲み込んだら一大事だ」


「ふふふ、そうだねぇ。ふふふふふ……」


「なんだ、何かおかしなことでも言ったか!」


「いいえ~、なんでもありゃしませんよ~」


 人殺しに加担する人生を歩んできた儂。悪意はなかったが結果として罪を重ねた事実は拭えぬ。だがなんとか、一人の女子の笑顔は守れたようだ。


 この先にある世でも、刀は無くなろうと刃物な無くならないだろう。贅沢な願いやも知れぬが、この破壊道具が全て笑顔を生み出す道具に化ければ、世も刀鍛冶の誇りも守れると、口には出せぬ思いを、女子にやった刀の柄に桜の模様を刻み込んだ。

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