焦がれる熱帯魚

守田優季

第1話 プロローグ 矛盾した気持ち

「ねぇ、先輩。私、ここの魚になりたい」


 水槽の壁に人差し指をつけて魚──先輩が言うには熱帯魚を追いかけながら、私はそう呟いた。再び静寂に包まれる生物室でエアーポンプの音だけが聞こえる。


 指を止め、隣に立つ先輩を見つめた。


 私の言葉に、先輩は一瞬呆気に取られたように大きな切長の目を見開いたけれど、またすぐにいつもの無表情に戻り水槽の魚たちの餌やりを再開した。


「早く帰りな」


 幼子を嗜めるような声音で帰宅を促され、私は頬を膨らます。


 つれないなぁ。


 ブクブクとエアーポンプからは途切れることなく空気が送り込まれ、魚たちは鮮やかなヒレをなびかせて優雅に泳いでいる。


 いいよね、君たちは。私も君たちみたいに熱心に見つめられたい。


 そう思いながらじっと先輩の横顔を見つめる。一向に視線は交わらない。


 ねぇ、先輩。どうしたらいい? どうしたら、私のこと見てくれるの?


 口を噤み、目だけでそう訴える。しかし声にならない問いかけは届くことなく、泡のように消えていく。気づかれることはない。


 それに、やっぱりね、とどこか安心してしまっている自分がいる。見てくれないから、一心に見つめることができるのだ。


 私は再び、先輩の横顔に目だけで語りかける。


 たぶん、私は先輩が私に興味がないところも含めて好きなんだと思うんです。


 先輩の、その情熱の先にあるものが私ではない別のものだとはっきりとわかっているからこそ、安心してそばにいられる。


 それなのに矛盾した気持ちがあります。


 その熱い視線の先が私であったら、と。そうであったらどんなに幸福か。


 おかしいですよね。自分でもこんな気持ちになるなんて思わなかった。


 今このヒーターも、エアーポンプも止めちゃって……ううん、水の中に洗剤とか、なんならこの鞄の中にある甘ったるくてやけに炭酸の強いジュースでもいい。


 なんでもいいから入れちゃえば、ここの魚たちきっとみんな全滅しちゃうよね。


 そうしたら、私のこと、気にしてくれる? 


 ああ、でも、嫌われちゃうかな? きっと、もうここへは来るなって、言われちゃうよね。顔を見たくないって言われるかも。


 怒った先輩もきっと素敵。だけど、拒絶されるのは耐えられない。先輩のいない人生なんて怖くて、苦しいに決まってる。


 私にとって、先輩は酸素だから。


 先輩のことが、好きだから。


 しないし、できない。


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