六杯目 「葛の葉」を偲んで杯を置く。

 須佐は話を止めると、熱燗の御代わりを要求してきた。これで最後にしてくれと言いながら、注文を通してやる。


「『うらみ葛の葉』か——」


 私は、氷だけになったハイボールのグラスを、くるりと回しながら呟いた。


 「うらみ」は「恨み」ではなく、「」のこと。葛の葉は裏が白いので、風で翻るとその白が目を引く。

 そこから始まって、葛は「裏見草うらみぐさ」という別名を持つ。


 しかし——。


「『恨み』も、あったんじゃないかな? 信太妻には……」


 奥に籠って機を織る。決して表に出てはいけない人間。いや、「人ではない」と言われる存在。

 力を発揮すれば、「童子」と呼ばれ、物の怪扱いされる存在。


「物の怪を超えるために、道真は天神になったのかもな」


 土師氏の象徴である菅原道真。天神と祀られるまでにその威力を示した異才は、鬼であるよりは雷神となることを選んだのか?


「——とおりゃんせ、とおりゃんせ」


 コップの縁を頬に当て乍ら、須佐が童歌を口ずさんだ。「天神様の細道じゃ」という歌詞が出て来るからか。


「行きはよいよい、帰りはこわい、か——。なあ、先生。この歌、色んな解釈があるけどさ、俺は道真に仕える使徒達が歌い始めた様な気がするんだ」


「どういう意味だい?」


「天神様の細道ってのは、天神に仕え、世に尽くすという生き方のことさ。厳しい道だね。行きはよいよい、帰りはこわい。この道に入るのはいいが、戻る道は無い、険しい道だぞということじゃないかな」


 歌は最後、「こわいながらもとおりゃんせ」で終わる。

 覚悟ある者のみ、この道を進めと言うのであろうか。


「安倍晴明はさ、清明って改名したんだよ。覚悟を決めたからじゃないのかな。『晴れ晴れ』として生きる道よりも、『清く』生きる道。そっちを選ぼうってね」

「たとえ、同族の童子を征伐することになってもか——」


 その生き方が辛くなった時、は信太の森を訪ねたのではないだろうか。

 清々と風に踊る、葛の葉を眺める為に。


 恋しくばたずね来てみよ

 いづみなる

 信太の森の

 うらみ葛の葉


 それは己のアイデンティティを思い出せという、先祖からのメッセージなのかもしれない。

 お前の帰る場所は、ここにあるという――。


(第1章 完)

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