三杯目 「信太妻」を肴にする。

 人形浄瑠璃なら「信太妻しのだづま」。歌舞伎になれば「蘆屋道満大内鑑あしやどうまんおおうちかがみ」ってお話だがね。要は、命を助けられた古狐が、晴明の父親である安倍保名あべのやすなを助け、恩返しをする訳だ。


 で、情が通って夫婦となる。


 間に生まれたのが「童子丸どうじまる」、即ち後の晴明だ。


 ところが、やがて狐の正体がばれて、生まれ故郷である信太しのだの森に去って行くんだな。幼な子との別れを惜しんで襖に一首の歌を書き残す。


「恋しくばたずね来てみよ いづみなる 信太の森の うらみ葛の葉」


 見せ場だね。子別れの段。


 歌舞伎なら曲書きさ。この歌を下から書いたり、左手で鏡文字を書いたり、最後は筆を口に咥えて文字を書く。


 歌舞伎役者ってのは、凄いもんだ。


 お芝居の話はここ迄にするとして、設定に興味がある訳よ。


 まず信太妻しのだづまの出身地ね。和泉いずみの国は、信太の森。和泉といえば、「泉穴師いずみあなし神社」のあるところ。


 穴師とは山師、つまり鉱山技術者のこと。銅や鉄を掘り出して加工することを生業としていた一族のことだ。つまりは土師はじ氏だよね。彼らは古墳を造営する土木技術者であると同時に、鉱山技術者や鍛冶師だったはずなんだ。


 泉穴師神社は「穴師坐兵主神社あなしにいますひょうずじんじゃ」の流れを汲んでいると、俺は見ているけどね。


 こっちは奈良桜井にある神社な訳さ。祭神は「御食津神みけつのかみ」とされていて、これは穀物の神様。つまりは稲穂に宿る聖霊という感じ。


 学説的には「天鈿女命あめのうずめのみこと」、「素盞嗚尊すさのおのみこと」、「天富貴命あめのほきのみこと」、「建御名方命たけみなかたのみこと」、「大己貴神おおなむちのかみ」、「大倭大国魂神やまとのおおくにたまのかみ」などを主神と唱える説もある。


 古い神社だけにややこしいんだが、ざっくりいうとスサノオに代表される「出雲系の武神」と、御食津神とか天富貴命が表す「稲作の神」とが合体していると考えたら良いんじゃないか。


 乱暴なことを言えば、スサノオは大国主とほぼ同じ内容の神格と言っても良くて、大国主は「大穴持おおあなもち」とも呼ばれている。つまり穴を掘って鉱石を精錬する土師氏の象徴だったっていうことさ。


 一方、泉穴師神社の祭神は天忍穂耳尊あめのおしほみみのみこと拷幡千千姫命たくはたのちぢひめのみこととされている。オシホミミはスサノオが生み出した「稲作の神」。拷幡千千姫命ってのは、「機織りの神様」だ。


 二つの穴師神社は山師と農耕民が和合した歴史を象徴しているとともに、土師氏がさらに麻や葛から糸を紡ぎ布を織る紡織の民をも取り込んだということを示している訳さ。


 晴明の話に戻ると、信太妻も保名を助けて暮らす徒然に奥に籠って機を織るんだよね。これは紡織を業とした部族から嫁いで来たという事実を表した説話だと思うんだよ。「鶴の恩返し」のお話と同じさ。


 阿倍氏は天皇家から分かれた血筋なので、要するに、天皇家が政略結婚によって土師氏と縁戚関係を結んだという事じゃないか。


 流石に直接皇族が縁を結ぶ訳には行かなかったので、阿倍氏に一旦皇族籍を捨てさせた訳さ。

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