人を食ったようなおねえさん

藤原くう

第1話

 ロフト付きワンルームが三万円。


 その言葉に誘われた感は否めない。N県N市は田舎だったけども県庁所在地ではあって、真新しいアパートの一室へ三万円ぽっきりで住むことができるのはあまりに好物件だ。ちょっと小高い山の途中に位置しているのも、N大学からは遠かったが、景色は素晴らしかったから、マイナスどころかプラス。


 チラシを見てすぐ、記載された電話番号をダイヤルした。そのとき電話に出たのは、若い――それも自分と同じくらいの年の――女性である。


 福路耀という女性とは、そこで出会った。



 福路先輩はN大学の医学部に籍を置いている。僕は経済学部一年なので、大学の三年先輩ではあるけれど、構内では全く縁がなかった。医学部棟と経済学部棟とはずいぶんな距離がある。話すのはもっぱらアパートの僕の部屋で、どうして僕の部屋へと上がりこんでくるのか、さっぱり見当がつかないでいた。


 夏真っ盛りのむしむしとした今夜も、福路先輩はやってきた。


「どうして鍋を?」


「カレーが余ったんだ」


 先輩は赤い鍋を持っていた。ホーローの洒落た鍋の中からは湯気が巻き上がり、むさくるしい我が家をオリエンタルな香りが包み込んでいく。

その匂いに、ぐうと腹の虫が一鳴き。先輩が笑い声をあげる。恥ずかしくって、先輩の方を見れなかった。


「外食ばっかりなんでしょ。ほら、いいからいいから」


 福路先輩はスニーカーを脱ぎ、僕を押しのけるようにして部屋へと向かっていった。止めても無駄なことは何度も思い知らされていたから、何も言わない。それに、手料理は素直に言って嬉しかった。


 部屋には段ボールが中身もそのままに積まれていた。それらに囲まれた中央に折り畳み式のローテーブルがある。


「まだ片付けてなかったの?」


「あはは……」


 僕は頭をかく。しようしようとは思っていたけども、なかなか手を付けられないでいた。


 ため息をこぼしながら、福路先輩はリビング併設のキッチンへ。すでに何度も僕のうちに上がり込んでいる先輩は、狭いキッチンに何があるのかを知り尽くしている。まもなく、カレーライスをよそった皿を二つ持って戻ってきた。


「はいどうぞ」


 置かれたカレーライスは、野菜たっぷりというよりは肉ばかりで、ビーフカレーのよう。福路先輩を見れば、ウィンクが返ってきた。


「すみません」


「いいって、好きでやってることだし。ご飯の量ってそれで大丈夫?」


 白米の山はちょうどいいように見えたので、首を縦に振る。


 いただきます。僕と福路先輩は声を合わせて言って、スプーンですくって口の中へ運ぶ。スパイスのきいたルーとごろりとした肉のフルーティーで不思議な味が絶妙にマッチしていて。


「おいしい」


「よかった。甘いのが好きだったらどうしようかなって思ったんだけど、口にあったみたいで」


「昨日もその前も……どうして」


「――どうしてご飯をおすそ分けしてくれるのかって?」先輩はにこりと微笑んだ。「そりゃあ好きだからね」


「す、好き……?」


「うん。好き。頬を赤くさせてどうしちゃったの。こんな借り手のないアパートに来てくれたんだから、好きになるよ」


 顔が熱い。はたから見れば、ゆでだこだったに違いない。そう考えると、すごく恥ずかしかった。そして、その言葉の意味を理解すると、また別の羞恥心がこみあげてきた。


「客としてってことですか」


「そういうこと。もしかして、本気にしちゃった?」


 先ほどまでよりもずっと強い感情が、僕の体を焦がして、今にも走り出したくなってくるのだった。

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