11 最大の選択

「あの、王様…」


アイリンにしては珍しく、緊張している様子が見てとれた。


これはもしかして、早々と告白タイムか?


積極的が過ぎるぞ、アイリン。


オレにも少し考える時間をくれ。


「私、結婚したいと思います」


え、結婚! いや、それはいくら何でも急ぎすぎではないか。


まだ会ってそんなに経っていないわけだし。


友人、恋人、婚約相手と、段取りを踏んでいかないとですねえ…。


「早いことは分かっています。でも、ダメですか?」


アイリンは、アムルばりのウルウルな目をした。


いや、ダメですかと言われても…。そんな潤んだ目で見られても…。


私は仮にも一国の王だ。その私と結婚するということは、きさきになるということだ。普通の結婚とは違うのだぞ。


きさき、まさかそれが狙いということはあるまいな。


あの、いや、その、とまったく言葉にならないオレにしびれをきらしたか、アイリンがきっぱりとした口調で言った。


「私たちは、結婚することは心に決めています。今、王様のお許しをいただけなくても、いつかは結婚するつもりです」


へ、私たち?


オレはここでようやく異変を感じた。


これは何か違うぞと。


「実は相手の方も一緒に伺う予定だったのですが、遅れて来なかったので、私一人で先にご報告に来てしまいました」


やはり、相手はオレではないようだ。




その時、部屋の扉をいかにも慌てた様子で叩く音がした。


「申し訳ありません。酔ったアムルに絡まれていて遅れました。」


オレが応じると、すぐに扉が開いて、一人の男が入って来た。


クバルだった。


そうか。このイケメン剣士の存在を忘れていた。


「もう少し待ってくれても良かったじゃないか」


「だって、一刻も早く、王様にご報告したかったんですもの」


二人は小声で言い合っている。だが、そんなやり取りも楽しそうだ。


「王様、私たちの結婚を許していただけるでしょうか?」


クバルがイケメンな声で伺いを立てた。


オレは、動揺する心の内を決して悟られないように最大限に気を使いながら、言葉を返した。


「許すも何もない。この国に集ってくれた若き男女が結ばれる。こんなめでたいことはないではないか」


それを聞いたクバルとアイリンが、手を取り合った。


オレは、うんうんと、微笑を湛えながら頷く。


二人は深々と頭を下げて退出した。




扉が閉まると、オレは頷きをすぐにやめて、ベッドに飛び込む。


枕を相手に、ヘッドロックやエルボードロップをきめる。


別にプロレスが好きなわけではないが、仮想クバルをとっちめてやりたかった。




今思い起こしてみれば、顔が紅潮して見えたのは、やはり紅蓮ぐれんの指輪が照り返していただけのことであり、距離が近かったのもアイリンの性格によるものだったのだ。


王様の絶頂期は、わすか一日で露と消えた。

あまりにもはかない、うたかたの夢。


三日天下は聞いたことがあるが、一日絶頂はその上を行くではないか。




両手に掴んだ花のどちらを選ぶのかと、思い悩んでいた自分が片腹痛い。


そしてこうなると、ルイの件も俄然がぜん自信がなくなる。


こちらも単なるオレの思い込みなのでは、という考えが強くなる。


一刻も早くそうではないことを確かめたかったが、その勇気はなかった。


それに、アイリンの方がダメだったから、すぐルイの方に声を掛けるというのも、あまりに節操がないようで気が引けた。


それで、何も進展がないまま一週間余りが過ぎた。


だが、そうこうしているうちに、オレの知らないところで新たな事態が動き出していた。




宣言通り自室に籠り、二度の会議を欠席していたキジが、今日の会議にひょっこり顔を出した。


しかも、なんだか柄にもなく、常に笑みを浮かべている。


オレが怪訝な目で見ていると、キジが思いもよらぬことを話し始めた。


「私は今、他国の情報を余念なく集めているところであり、可能な国とは水面下の交渉を開始しています。

その中で、内陸国のハルホルムが我が国との同盟を求めており、その一環としまして、王様と同国の姫君との婚姻を打診されました」


「婚姻?」


皆が一斉に前に体を乗り出した。無論、オレもである。


「おーー」


クバルとアイリンが歓声を上げた。


「えー、王様が結婚されるんですかあ」


アムルが驚きながらもにやけている。


だが、待て待て。降って湧いたような話に頭がついていかなかったが、それはいわゆる政略結婚ではないか。


キジのヤツめ、何を勝手に話を進めておる。


ふとルイの様子を見ると、沸き立つ周囲の中で、一人目を伏せて沈んだ顔をしているように見える。


いや、だがそれも、オレがそう思いたいように見えているだけなのかも知れない。




「だが軍師、そのようなことを急に言われても困る」


オレが困惑をそのまま口にすると、キジはしたり顔で、


「ええ、ええ、それはそうでしょう。これは水面下での話でございますれば、王様にその気がなければお断りされればよろしいかと存じます。ただ、王様…」


そう言って、声をひそめるフリをした。


「同国出身のダモスに聞いてみましたところ、かの姫君は相当の美人だとのことでございますぞ」


オレに向かって、ひじを二回突き出した。


このこの、ではないわ。


だが、美人さんと聞くと、やぶさかではない。


ただ、この異世界に写真はない。写真があれば一目瞭然だが、ダモスの話だけではなんとも心もとない。


人の好みは千差万別だからな。


「ともかく少し時間をくれ」


オレの言葉にキジが頷いた。


「無論です。ただ、相手を待たせ過ぎても良くありませんので、一週間のうちにご決断いただければ幸いです」




それから一週間は執務どころではなかった。


ハルホルムの姫との婚姻をどうするのか。


そして、ルイをどうするのか。


いずれにしても、これは我が人生最大の選択と言っていい。


だが、そう考えれば考えるほど、容易に結論は出せなかった。




石板も、気を利かしているのか、すぐには着信をよこさなかった。


人生最大の選択ということを考えると、残り三日辺りで着信が届くというのが、オレの予想だった。




そのハルホルムの姫への回答期限残り三日となった日。


城の三階の通路で、オレはルイとすれ違った。


ルイはまたあせあせした仕草をしながら、足を止めてオレに尋ねた。


「王様、ご結論は出されましたか?」


「いや、まだだ」


オレが答えると、「そうですよね」と小さく言って、視線を下に泳がせた。


「ルイはどう思う?」


オレは思わずそんなことを聞いていた。


ルイは一瞬「え?」という表情で凝り固まったが、頬を膨らまし加減で一点を見つめて言った。


「それは王様がお決めになることですから、私にそのようなことを聞かれても困ります」


「そうだったな。すまん、オレは何を言っているんだか」


それを聞いたルイは、早足で自分の部屋に入って行った。




怒らせてしまったかな?


オレは部屋に戻ってから、自責の念にかられた。


だが、何て声を掛ければ正解だったのだろう。




その夜も、石板の着信は鳴らなかった。


もし着信が来て、選択を強制されていたら、どちらを選んでいただろうか。


ハルホルムの姫を選んだら、婚姻まで事は運ぶだろうが、幸せな結婚になるかは分からない。


ルイを選んだら、そもそもそういった話に発展するかも分からない。


選択の正解を選ぶのは難しい。




そして、回答期限残り一日を切った最後の夜になった。


オレは、ついにここまで決断をできずに来た。


なんだか、現実世界のオレに逆戻りしてしまったようだ。


考えてみたら、今まで難しい選択もなんとか選び続けて来れたのは、石板のおかげかも知れない。


石板に選択を強制されてきたからこそ、前に進むことができた。


それが無くなったとたん、この有様だ。


でも、なんでこんな大事な時に限って、選択を強制してくれないんだ。


それがあれば、オレは無理にでも覚悟を決められるのに…。




オレは、今日何度も開いている石板の画面をもう一度開いて見た。


やはり、新しい着信は届いていない。


石板は、かたくなに沈黙を守っている。




ふと、選択の正解とは何だろう、と思った。


確かに結果から見れば、その選択に正解と不正解は存在するだろう。


だが、選択する時点では、その選択に正解も不正解もないのではないか。


オレはあまりにも正解を選ぶことに固執しすぎて、結局何も選んで来なかったのかも知れない。


そこまで思い至った時、オレの心を縛ってきた何かが、解きほぐされたような気がした。




何の文字も表示されていない石板の画面に、選択の文字を思い描く。


どちらを選びますか?


   ①ハルホルムの姫      ②ルイ




オレの指は、自然と右に動いた。


もし、三日前にこの画面が届いていたら…、


想像の中のオレは、②のルイをタップした。


一週間前だったら…、


結果は同じだった。




そして、オレはようやく気が付いた。


そうだ。選択の強制が来ないのは、オレの中で先に答えがある時だった。


オレの心はとっくに決まっていたのだ。


オレはベッドの中でひとしきり涙した。




オレはその夜を寝ずに過ごした。


そして、日の出とともに、ルイの部屋の扉を叩いた。


寝間着ねまき姿のルイが驚いた様子で出て来た。


オレはそのルイに向かって、片膝をつき、こうべを垂れて、右手を差し伸べた。


「私と結婚してください」


ルイは、「えっ」という声を飲み込んだ。


しばらくして、オレの右手に、ルイの暖かな手が添えられた。


「はい、喜んで」


ルイの小さいが確かな声が、オレの耳に響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る