第2話
▫︎◇▫︎
次の日はしっかりと休むために、停戦区へと向かった。髪を下ろしてワンピースに身を包んで、持ち歩くのは最低限の武器であるレイピアのみだ。
ふわふわとくらげのように泳ぐ青いワンピースの裾を自由にさせながら、私はお花畑の中に座り込む。
誰のいない空間。
季節の花々が咲き誇る、美しい空間。
けれど、私の影からは醜い手が伸びてきている。
ーーーズキッ、
ひどい頭痛に襲われて、私は咄嗟に額を押さえた。
もう10年もまともに眠れたためしなんてない。あの日、母が死んだあの日から、私の心に安寧が訪れた日なんてない。
「ーーー」
後ろから人の気配を感じて、私は何事もなかったかのように取り繕って、気配の先に視線を向ける。
そこには、1人の男性が立っていた。
ふわふわの漆黒の髪に、深い海のような青い瞳。
なによりも美しいであろう彼の造形に、私はすっと息を呑む。皇女時代にも、こんな美丈夫を見たことなどなかった。
そのくらいに、私の視線の先にいる男は美しかった。
彼は一直線に私の方にゆったりとした仕草で歩いてくる。
ここでは他人に関わらないというのが暗黙の了解だと聞いたが、どうやら彼はそのルールを破る気らしい。
仲良くなっても、情を持ったとしても、国籍を関係なく滞在できるこの場で出会った人間は基本的に敵国同士。
殺し合う未来しかない。
「先客ですか?」
「………えぇ。あなたもここに?」
「はい。今日はお休みですから」
ふわっと微笑む彼の体つきはしっかりと均等に鍛え上げられたもので、剣士なのだろうと思った。
けれど、私の隣に腰掛けた彼の腰に下げられているものは、剣ではなく、磨き上げられた木の棒だった。
「………魔法使い」
今現在、武術国家ディステニー帝国は文明国家ヴィクトリア公国と魔法国家ヴァルキリー王国との3カ国で戦争を行なっている。
だからこそ、私はすぐに彼がヴァルキリーの人間であると気がついた。
魔法使いもこの手で何人も屠ってきた。
「はい。僕は魔法使いです。お姉さんは剣士さんですか?」
「えぇ」
私の剣で何もかもわかっているだろうに、彼は穏やかに微笑んだまま聞いてきてた。
だからこそ、私は遠くのお花を見つめながら、そっけなく答える。
仲良くなることは危険だ。
私はいずれ、彼も殺さないといけなくなる。
「お姉さんはよくここに来るのですか?」
「いいえ」
「じゃあ、お姉さんはここに初めて来たのですか」
「えぇ」
「お姉さんは戦場に来て何年目ですか?」
「………6年」
6年前、当時10歳の私は初めて戦争というものに参戦した。
血みどろの世界に、見知らぬ兵士のみがいる戦場に、私はたった1人で飛び込んだ。
「お姉さんは武器を握ることが好きですか?」
「えぇ」
「姉さんは、戦争がお好きですか」
「ーーー好きよ」
私は戦争が好き。
だから、戦場にいる。
「嘘ですね。お姉さんは戦争がお嫌いです」
「そう」
「お姉さんは自分のことに無関心なのですね」
「いいえ」
「そうですか?私には、お姉さんが自分のことを大事にしていないように思えます」
「そう」
さわさわと風が吹いて、私の髪を揺らす。
「お姉さんはお花が好きですか?」
「えぇ」
「お花、綺麗ですよね」
「そうね」
でも、私には似合わない。
「お姉さんは何のお花が好きですか?」
「特には」
「そうですか。じゃあ、この中でだったら、お姉さんはどのお花が好きですか?」
私は辺りをふわっと見回して、すっと近くにあったたくさん連なっている小花を指差した。
根元はぷっくりと膨らんでいて、中間地点はすぼまって花弁の先になるほど細く広がっている。青のような紫のようなお花はとても愛らしい。
小さくて素朴なところに、私の瞳は惹きつけられた。
「カンパニュラですね」
「?」
「“小さな鐘”という意味を持つ花です」
「そう」
「可愛いですよね。お姉さんみたいです」
「………そう」
「嬉しそうじゃないですね?」
「………小花だと言われたのは初めて」
「そうですか。………普段は薔薇とかですか?」
「えぇ」
私の真っ赤な瞳を見ながら言った男は、なるほどなるほどと呟きながら頷いた。
けれど、本当の理由はそんな可愛らしい理由ではない。
私が“薔薇”と喩えられる理由は、帝国の象徴である国花が薔薇であるからだ。
他にも、いつも血塗れで真っ赤だからとか諸々あるが、1番はやっぱり、皇女である私には国花に例えるのが1番やりやすいのだろう。
「薔薇はお嫌いですか?」
「えぇ」
「薔薇は、作られたものですからね」
「そうね」
薔薇は作られたもの。
彼の言葉で、なぜ今まで薔薇を毛嫌いしてきたのか分かった気がした。
私は作り上げられた人間だ。
並はずれた力を持つように、並はずれた武力を持つように、並はずれた頭脳を持つように、そう、作り上げられてきた。
ーーーかあー、かあー、
私の頭上を漆黒の鳥が飛ぶ。
いつのまにか橙に染まった空を見上げて、私は息を吐いた。
ただただ男の質問にそっけなく答えているだけなのに、なぜか私の心は休まっていくことに気がついていたからか、私はいつのまにかこの穏やかな時間が永遠と続けばいいのにと柄でもないことを考えていた。
本当に、馬鹿げている。
「私はもう失礼するわ」
「そうですか、残念です」
「………敬語、使わなくて結構よ」
私は彼より先に立ち上がって立ち上がって、草を払ってこの区画を出るために歩き始める。
「ばいばい!お姉さん!!」
大きな声に振り返ると、彼はぶんぶんと手を振っていた。
美麗な見た目に似合わぬ大胆な動きに、私はくすっと不覚にも笑ってしまうった。
私は立ち止まって彼の方をまっすぐ向いて彼に届くように声を出す。
「お姉さんは似合わないから、そうね………フローラとでも呼んでちょうだい」
それだけを話すと、私はくるっと進むべき道を見据えてまっすぐと歩く。
『フローラ』
今は誰も呼んでくれない、私のミドルネーム。
本来ならば、特別な人しか呼んじゃいけない特別なお名前。
お母さんしか呼んでくれなかったこのお名前は、私の大事な宝物。
でも、私はもうこのお名前を忘れかけている。
10年来誰も呼んでくれない私のお名前。
どうして私が彼にこのお名前を教えたのかは分からない。
けれど、彼には呼ばれてもいいと思った。私のお名前の響きを忘れないように、利用してもいいと思った。
この時の私は知らない。
これが私の犯した、1つ目の罪だということを。
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