第35話:外交
「よくぞ来てくださいました。
このままでは多くの民が死んでしまう所でした。
相場よりも多少高くても構いません。
どうかお持ちの家畜を全部お売りください」
我が国との国境にある侯国の当主が平身低頭で迎えてくれます。
人口二千人の交易都市と周辺にある農村十カ村千人を支配する、グレンデヴォン侯国ホープ侯王家の当主です。
毎日ゲートを使って移動した場所と地竜森林を往復できるので、一国を縦断するほど移動させたのに、家畜は丸々と太っている。
グレンデヴォン侯王が何を言おうと、遠路はるばる運んできた生きた家畜を、入国そうそう全部売る訳にはいきません。
それにホープ侯王家に全て売っても転売されてしまうだけです。
「申し訳ありませんが、父の伯王と誼を結んだのは貴家だけではありません。
多くの侯国と誼を結ばせていただきました。
その全ての国が、冬支度ができずに困っています。
家畜はできるだけ公平に売れと父に申し付かっています」
「そこを何とか、少しでもいいです!
他家よりも多めに売っていただけないでしょうか?」
侯王ともあろう者が、もの凄く下手にでてきますが、それは仕方のない事です。
俺は中型肉食亜竜と中型草食亜竜の群れを率いているのです。
逆らう気など爪の先ほども思い浮かばないでしょう。
それに、俺が有力貴族を二度も叩き潰した事は大陸中に広まっています。
ホープ侯王家に来る前には、ヒューズ侯爵家を完全併合しています。
自国の王など歯牙にもかけず、王都を素通りしてここに来ているのです。
「そうですね、生きた家畜は父から厳しく命じられていますが、塩漬けにした肉ならお譲りできるのですが、それでもいいですか?」
「売っていただけるのなら何でもありがたいのですが、ここまで来られるのに一カ月以上かかっておられますよね?
鮮度が落ちているのではないでしょうか?」
「全く落ちていないとは申しませんが、領地を出る直前に狩った地竜森林の鹿や猪、狐や狸なので、冬の前半に食べる分には十分だと思いますよ。
それと、かなり高いですが、欲しいと言われるなら小竜の塩漬け肉もありますが、どうなされますか?」
「しょうりゅう?
え、小竜の塩漬け肉を売ってくださるのですか?!」
「はい、酒で割った血と塩漬けした内臓、皮も牙も爪もありますが、どうされます?
侯王殿下が買われないのでしたら、次に訪問を予定しているマーガデール侯王殿下に声を掛けさせていただく予定なのです」
「買います、買わせていただきます。
我が家の財産全てを差し出してでも買わせていただきます」
大昔から、竜の素材には不思議な力があると伝えられています。
亜竜は、純血種竜のように、全てのケガや病気を治す薬の素材にはなりません。
ほんの少し寿命が延びるとか、ケガが早く治るとか、病気を予防する程度です。
まあ、それもただの言い伝え、伝説なのですが、広く信じられているのです。
なので、多くの王侯貴族や金持ちは、竜素材が出回り次第買い占めます。
転売など当たりまえで、疫病が流行ったり戦争が始まったりすると、値段が暴騰してしまうくらいです。
竜素材に余裕のある家や、伝説を信じない家、自分達の命よりも金を優先する商人は、保管してあった竜素材を高値の時に売りに出します。
本当に必要な物というよりは、投機商品のようになっています。
我が家が竜素材で財政を保てた理由は、そういう伝説や投機家のお陰です。
「ありがたい話しですが、それは良くないですよ。
まずは領民が餓死しないように家畜と塩漬け肉を買われて、残ったお金で小竜の素材を買われないと、どこぞの侯爵家のように領地を失われますよ」
「うっ、そう、でしたね、民を顧みない統治は自分の首を絞めるだけでしたね。
分かりました、直ぐに必要な食糧を計算させていただきます。
数日かかるかもしれませんが、それまでゆっくりとなされてください」
「ありがとうございます。
ただ、お申し出はうれしいのですが、俺は戦士の気風が強いのです。
城や家の中でのんびりとするのが苦手なのです。
今日はこのまま失礼させていただき、城館の外で野営させていただきます」
「公子殿下、そのような事を申されずに泊って行ってください。
十分なもてなしをさせていたくべく、色々と用意させていただいているのです」
暗に女を用意していると言ってきますが、それが面倒で嫌なのです。
「とてもありがたい申し出なのですが、困った事に、俺が長い時間いなくなると、中型肉食亜竜が暴れ出してしまうのです。
侯王殿下にご迷惑をかけてはいけませんので、もう失礼させていただきます」
「そういう事なら、これ以上引き留める訳にはいきませんね」
グレンデヴォン侯国・ホープ侯王家の滞在は二日間でした。
生きた家畜はほとんど売らず、塩漬け肉を売りました。
民にしても、面倒な屠殺をせずに塩漬け肉が手に入れば助かります。
冬支度には塩も必要なのです。
少々高くても、両方一緒に買えれば楽なのです。
何より、今食糧を確保できなければ、冬を越せずに死んでしまうのです。
★★★★★★
「よくぞ来てくださいました。
このままでは多くの民が死んでしまう所でした。
相場よりも多少高くても構いません。
どうかお持ちの家畜をお売りください」
グレンデヴォン侯王陛下と全く同じ言葉を、次の交易相手であるマーガデール侯王殿下に言われました。
ですが、彼が馬鹿なのでも気が利かないのでもありません。
高い地位にある者同士が正式に会談する時には、自分が恥をかかないのはもちろん、相手に恥をかかさないようにする必要があります。
それをマニュアル化して誰にでも使えるようにしたのが定型文です。
親友でもない限り、いえ、親友だからこそ、絶対に守らなければいけない礼儀作法があるのです。
「公子殿下、グレンデヴォン侯王との取引の事は聞いています。
国境よりも少し奥に入った我が家では、少々高くなる事も承知しています。
ここに我が家が出せる全財産を持って来させています。
これで売れる範囲の食糧を分けてもらえないだろうか?」
「いいですよ、生きた家畜には限りがありますが、輓竜に大量の塩漬け肉を持たせてきましたから、必要な量はお譲りできると思います」
マーガデール侯国は、街道沿いにある宿場町のような侯国です。
路村として人口を増やした首都には千人ほどが住んでいます。
路村よりも家が密集していて城壁に守られているのは、敵の襲撃から民を護る為でしょう。
次の街道都市との間に村はなく、十三の村が街道から少し離れた場所に有ります。
食糧の生産をするためもあるのですが、街道自体が危険だからです。
戦争で軍隊が侵攻しようと思えば街道を通るしかありません。
急ぎの侵攻だと、街道を離れての略奪ができなくなります。
何より交易で現金収入が期待できる村は都市に発展しやすく、領主は独立を宣言して侯王を名乗る事が多いのです。
一日かけて歩いてたどり着く次の街道都市は、マーガデール侯国ではないのです。
他の侯国になっているのです。
「竜の素材も欲しいのですが、それよりは予備の食糧を確保したい。
塩漬け肉なら肉を取り出した後の塩水も利用できる。
冬の間の狩りは難しいが、絶対に不可能という訳ではない。
一番安く買える塩漬け肉から譲っていただきたい」
マーガデール侯王の申し出は、家に一番いい条件です。
肉食や雑食の小型獣は臭いもきつく美味しくないのです。
普通なら安く買い叩かれるのですが、今回なら上質の羊肉と同じ売値です。
海から遠く離れた我が家では、塩をとても高い値段で買っていました。
その事は多くの王侯貴族が知っていますから、大量の塩が必要な塩漬け肉は、相対的に高くなります。
ですが今の我が家では、もの凄く塩分濃度の高い鹹水が大量に手に入ります。
それを使えば塩漬け肉を簡単に作れますし、塩の差額分も儲かるのです。
「わかりました、民の生活を想う侯王殿下の御心に感動したしました。
今回運んできた一番安い塩漬け肉は全て殿下にお売りします」
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