四月
04.01|天井になった日
エイプリルフールということで、エイプリルフールらしいことをなにかできれば良いのではと思ったが、なにも思いつかなかったので、Twitterアイコンを床ではなく天井にした。
アイコンを天井にしたならば、アイコンに応じてわたしの文言テンションも床文言でなく天井文言らしいテンションであるべきなのではないかと一瞬、思ったのだが、そも、天井らしいテンションはハイテンションということでもないような、という気持ちになってしまい、かつそれを実際に実行したところで、突発で思いついた行動でしかない以上、嘘に真実性がないから「なんかエイプリルフールだからって、アイコンを天井にしてテンション高く騒いでるやつがいるけれども、どういうことだよ」という、なにか突然四月一日に奇行を行った人間がいるという認識にしかならないだろう。
だから、なんというか、もう、ただただアイコンを天井にして、普段通り過ごすことにした。
と考えるともう、そもそも、アイコンを天井にする意味も無いし、「エイプリルフールだから」でアイコンを天井にする意味もよくわからない。アイコンを天井にすることがひとつ嘘なのか、嘘ではないのか。嘘をついても良い日というが、それが一種なんだろう、エイプリルフールの解釈として、いつもよりフィクション性を有しても良い日、という解釈をするといいのかもしれない。
そういう風にして、ぼーっと漠然と過ごしていたら、TL上にも突如として幼女が現れたり、彼氏を名乗る方が現れたり、恐竜になった人がいたり、石像化した犬も現れた。賑やかでたいへん楽しいが、心理が忙しかったのも事実だ(楽しいゆえの疲弊である)
自分というのをより虚構存在へ近づけてもよい日がエイプリルフールであるとするなら、それはひとつ、なにか、心理的な救いを生じる機会になるのかもしれないと思う(仮装大会みたいなものか?)。と考えるとわたしもなにか、天井になることで自分というのをいつもとは違う虚構存在にすることで、なにかひとつの道筋を得ようと無意識にしたのかもしれない。
そも、普段が床であるし、宮古遠は本名ではないし、わたしというTwitter上に存在する諸々は、最初からずうっと嘘を纏った存在でしかないわけで、と考えるとエイプリルフールは、Twitter上では一種そういう、別の嘘をまとうことで、普段の嘘の現実性を高め、以前よりもっと実在物として存在することをその空間で確立するための儀式の日なのかもしれない。
などといま思ったが、これは現在いまわたしの、天井になってしまったわたしの一瞬の思考物でしかないので、内容としてはまったく意味の無い、疲弊をするだけのなにかだと思う。
という感じにうだうだとした、意味無なお昼のお時間だった。そろそろ床に戻ろうと思う。戻るというか、なんというか、わたしは床ではないのだけれども。十年以上前、東京に住み始めたときに撮った、前住居者がつけたであろうたばこ焦げのある床の写真。ずいぶんと長い付き合いすぎて、なにか、身体の一部みたく思えてきている。
この床の画像を、わたしはこのままわたしの一種、像の象徴としていいものなのかどうかは、はたしてわからない。今後のわたしがなにをどう外部へみせたいかによるのだろうとは考える。が、変わるのは億劫だし、そんなになにかを常に考えて生きているわけでもないので、わたしはこれからも漠然とこういう姿をとる気がする。
ということで今後ともどうぞよろしく。漠然とした二時でした。お許しを。
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