第199話

二之宮凪沙にのみやなぎさ 視点◆


『知らない天井だ』・・・私が生まれるよりずっと前に放送されていたアニメの有名なセリフらしい・・・いつだったかラブホテルでセックスをした後そのまま眠ってしまったが目を覚ました時に天井へ視線を向けたままそんな事を口にし、無反応だった私に対してその様な説明をしてくれた。


その時はただただに相槌を打ち気分を損ねずいる事で少しでも多くのお小遣いをもらう事だけを考えて聞き流していたけれど、いざ自分がその様な天井を見ると言いたくなる気持ちが少し理解できた。



意識に靄がかかり違和感があるのは間違いなく、何かの事故に巻き込まれてしまったのかここで寝かされている理由も分からなかったけれど頬と頭に鈍い痛みを感じるので怪我をしたのは間違いないと思う。引き裂かれるような痛みは感じないので傷付いて醜悪な顔になっていないだろうと楽観してみたものの不安を感じる・・・醜くなったら何のために努力してきたのか・・・冬樹ふゆきを振り向かせることができなくなる・・・



おかしい・・・冬樹のことを考えているのに心が凪いでいる・・・いつもなら冬樹の顔を想像するだけで心臓が早鐘を打つ様な感覚になるのに、驚くほど気持ちが動かない・・・




自分のおかしさに困惑していたら巡回に来た看護師さんが私が目を覚ましていることに気付いて『痛いところがないか』『気分は悪くないか』など尋ねた後にお医者様を呼んできて、今の状況を確認し概ね問題がないだろうという判断をされ、あとで改めて検査をすると言い医師せんせいは去っていき、同伴していた看護師さんが『ご家族へ連絡してきます』と言ってナースステーションへ戻って行き、再度病室まで来てくれてから『ご家族へ連絡をしたらすぐに来てくれると言ってくれましたので待っていてくださいね。すごく心配してくれていましたよ』と言われたものの、両親がすごく心配してくれるというのが想像できなくて、看護師さんのリップサービスかと思った。



スマホが手元になく、看護師さんに尋ねると貴重品だからと家族が一度持ち帰っていてこれから持ってきてくれるとのことらしい。


また暖房が入っていることや他の人の服装を見て違和感を覚えたので、看護師さんに今日がいつなのかを尋ねたら12月だということにも混乱し、追加でその事を伝えたら医師せんせいを呼んできてくれて、緊急でMRIやCTを用いた本格的な検査をしてもらったところ、脳には異常がなさそうなものの衝撃を受けた際に一時的に記憶の一部を喪失してしまう一過性全健忘になったのではないかという推測をし、しばらく様子を見るということになった。




検査が終わり病室へ戻ると大人っぽい女性が待っていて、その女性が誰なのかわからなかったけど顔を見たらすごく安心する気持ちになれた。



凪沙なぎささん!良かった!」



その女性は私を見るなり相好を崩し安堵の表情を見せ話しかけてくれ、そのまま近寄ってきて抱き締めてくれた。



「あ、あの。失礼ですが、どなた様でしょうか?」



私が困惑しつつそう尋ねると女性の身体が固まり、少しだけ身体を離して私と顔を見合わせる。



「私のことがわからないのですね・・・看護師さんから伺ってはいましたが・・・」



その女性が悲痛の表情を見せ、病室まで同伴してくれた看護師さんが間に入り説明をしてくれた。





「そうですか・・・おそらく待っていれば記憶は戻るだろうということですね?」



「はい、ですのであまり気を落とさず見守っていていただければと思います」



「わかりました、ありがとうございます」




20代後半と思われる優しげな雰囲気をまとった女性は看護師さんが説明を終えて去っていくと、私へ向かって記憶のすり合わせや説明をするために話を始めてくれた。




女性・・・鷺ノ宮那奈さぎのみやななさんと話を始めてから記憶が整理されてきて、自分が忘れていた事を思い出してきた。この感覚はとても不思議なもので、靄がかっていたものが晴れると言った感じで、元々知っていた事をもう一度知る妙な体験でもあった。


ただ、那奈さんには記憶が戻ってきていることを告げず、記憶を失っている振る舞いを続けた。


心の底から心配してくれている那奈さんには申し訳ないと思いながら今回のことは私が騒動の種を無数にバラ撒いてきていたことの芽が出てきただけだと痛感しているし、まだまだ不安の種は尽きていない。


今回は私が1人の時で私だけが殴られるだけで済んだから良かったけれど、次の時には那奈さんを巻き込んでしまうかもしれない・・・そもそも既に巻き込んでいて、婚約していて式まで秒読みだったところを破談へ追い込み、一連で背負わされた借金や家族のために風俗で働かざるを得ない状況へ追い込んだし、全治2ヶ月の怪我もさせた・・・私は那奈さんの側にいてはいけない人間なのだと再認識させられる思いだ。


・・・このまましばらく記憶が戻らない振りをして退院し、見ず知らずの人と一緒に暮らすのは居心地が悪いからとでも理由をつけて川崎のアパートを離れ、神待ちでもしながら日々を繋いで18歳になったら風俗みたいな学卒や身元を問われない仕事に就いて生きていけば良いと思う・・・もう那奈さんを巻き込みたくないから・・・




高梨先生がお見舞いにお越しになってくれて、那奈さんよりもより深く記憶のすり合わせをするための会話をしている・・・恐らく最近の記憶がない二之宮にのみや凪沙として振る舞うことができていると思う。




更に、美波みなみさんも来てくれて、那奈さんや高梨先生と一緒に気遣ってくれる・・・この人たちをこれ以上巻き込まないためには一緒に居てはいけないと思うのだけれど、気持ちが温かなこの人たちと離れるのは嫌だと思ったら涙が湧き出てきて視界がぼやけてしまった。


それに気付いた那奈さん達は私に近付いてそれぞれが気遣う言葉をかけてくれて、それが一層涙を誘うことになった。

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